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こころとサイエンスコミュの学問としての心理学

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学問としての心理学

<脳が人間を支配する>

どこからが心理学かという線引きをするのは難しいが、「サイコロジー(心理学)」という言葉は、心を意味する「サイキ」と理論や科学を意味する「ロゴス」が組み合わされたもの。はじめてこの言葉が使われたのは16世紀末といわれているが、はっきりと使われはじめたのは19世紀の「ヴィント」の時代というのが定説だ。

おそらく「心理」が本格的に学問対象となったのは、たとえば、進化論(注:1)が認められて人間も動物の一種であるとわかったり、近代医学、近代科学の成立の中で、心臓が人間を支配しているのではなく脳が人間を支配しているということがわかる段階に達した頃だと思われる。

それが明確になってきたのが17世紀〜18世紀で、心理学という言葉が現実に使われはじめたのは19世紀。

つまり、現代心理学の歴史は百数十年。心理学は比較的新しい学問といえるのだ。
「人間の心の中はどうなっているんだろう」という疑問は、欧米では宗教的な理由からそれを問うことすら許されなかった。キリスト教的な戒律によってタブーとされてきたのだ。

だから、相手がどのような行動をするかという予測をしたくても、長い間、そういう当たり前の好奇心が満たされてこなかったといえるだろう。

<他の学問の発展とともに進化した心理学>

ところが、他のさまざまな自然科学が発展してくるにつれ、「人間の心もこんなふうになるはずだ」とか「こんなふうになっているはずだ」ということをモデル化したり、知りたいという欲求が高まってきた。その結果、心理学が求められるようになってきたと考えられる。

たとえば物理学でも、地球が丸いことや地球が太陽のまわりを回っていると述べるのはタブーだった。同様に、人の心理を知りたいという当たり前のことが占いやシャーマニズム、あるいは宗教を通した形でしか追求できなかった。

ところが、進化論や万有引力の法則などが出て来て、やっぱり神や仏よりも現実の科学のほうが確かなものだというように、世の中の認識が変わってきた。

その中で、だんだん心理学が心理学らしくなってきたといえるだろう。

宗教の影響ということを考えた場合、東洋の儒教道徳とか戦国時代の戦術を見ていると、ただ、神に祈って戦うようなことはせずに、相手の心理を衝いた攻撃をするといった戦略的な発想が出てくる。

織田信長などは、むしろ神仏を無視していたわけだから、16世紀頃というのは、西洋よりむしろ東洋のほうが、精神論より実利を重んじていたとも考えられる。科学的でないにしろ、心理学をさまざまな局面に応用する発想はすでに芽生えていたわけだ。

ところがその後、心理学は非常に「学問らしい学問」になってしまった。つまり心理学というのは、経験則から作り上げられずに後から学問として出現したことが、その後の心理学研究に大きな影響を与えてしまったわけだ。

基本的に心理学はなんにでも応用がきく学問だが、まず理屈かは入っていき、一般的な観察や経験則から自然発生的に編み出されていった理論や手法があまりないところにその特徴がある。
このため、医学同様に「素人が何を言うか」的な要素が心理学にもあり、そのため、これまでは心理学の理論が一般に応用されるということが少なかったといえる。

注:1 【進化論】 生物は神によって創造されたのではなく、単純な原始生物から進化してきたものであるというダーウィンの説。キリスト教の世界では、神を冒涜(ぼうとく)する説として長い間否定され続けてきた。

(『心理学を知る事典』 /和田秀樹著/P18)

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