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メニエール病コミュの老婆心ながら・・・

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コミュ内全体

大きなお世話になるのかも知れませんが
皆さんのコメントの投稿時間を見ると
深夜であったり、夜中すぎから早朝の方がいらっしゃいます。
私のように22時就寝、4時起床というように
早寝、早起きの人であればよろしいのですが
もしも、深夜族であったり、昼夜逆転生活などを送っているのであれば
まずは、睡眠時間の改善をするとか
食事のきちんとした取り方などを考えるべきではありませんか?

色々な治療薬や民間療法、サプリメントなどを試す以前に・・・ですね。

PCなどの長時間使用、症状が出ている時の使用などは
避けた方がよろしいかと感じてますが。。。

コメント(58)

母が両耳メニエルですが、目眩がした頃はあまり眠れず、
パズルや字幕の韓ドラマをよく見ていました。

最近は薬のおかげもあるのでしょうが、
よく眠っているようです。
そして体調も良くなっているみたいです。

少し疲れたら無理せず、昼寝をしたりもしています。
お仕事をしている方は昼寝なんて出来ないと思うので
メニエルに限りませんが、質の良い睡眠をきちんと
とることは、何よりも体に良いと思います。
気分が悪い日でも出来る限り運動をするようにしているのですが、
夜一旦寝付いてもどうしても夜中に目覚めてしまってそれ以後眠れなくなり、
結果昼寝してしまうという悪循環から抜け出せません。
かくなる上は「ドリエル」に頼ろうと思っています。

規則正しい睡眠を取るべき、クスリは避けるべき、運動をするべき。

「べき」に縛り付けられるのも、ストレスではあるんですよね…
自分の意志だけで生活改善ができたら「理想的」ですが
実際には色々な事情もあって実行できないことは多いですね?

>岡工さん
自分の意志の弱さなどを責めないで下さいね。

>こんきちさん
「・・・べき」つまり、私ふうに言えば「・・・でなければならない」
ではなくて「・・・できたらいいナァ〜」ぐらいの気持ちで良いかと思います。

>郁助さん
確かに育児ではメニエルにとっては悪条件が重なるように感じますが
その反面、子供との関わりで、体や心にとって良い影響もたくさん得ているはずです。

本来、人間の体には、ある程度の無理や無茶苦茶な条件の中でも
正常に保てるだけの能力が備わっているはずなのです。
だからと言って、その能力ばかりに負担をかけないで
出来るだけ労わってやることも必要だと感じます。
ですから、なるべくなら「規則正しいリズムの中」での暮らしが良いのです。
でも、自分の能力が故障したり、弱ったりした場合(これが病気と繋がる)には
薬や器械の力を借りて補助してやると、本来の自分の力を戻せるのではないか?
・・・と私はとらえているつもりです。
だから、一時的には薬などの力を借りるけれど、頼りすぎるのではなくて
出来るだけ自分の本来の力をメインにすべきではないでしょうか?

古代的に考えれば、日が昇れば活動して、日が沈めば休む・・・のが理想でしょう。
けれど、そんな暮らしが私達に出来るはずもないのは充分にご承知ですよね?
アメリカなどでの夏時間・冬時間は、人間の体の機能にとっては有効な気がしますが
日本では現在、実施はされていません。
生活の中での「時間」に対する面では、欧米人は「大らか」であるようです。
日本人の几帳面さが勤勉さを育て、経済社会の発展に貢献したとは感じますが
「過労死」などという恐い現象も起きてきています。
私達は幸いに「命に関わる」病気ではありませんが、その一歩手前に居るのかも知れません。
ですから、体からの警鐘に応えてやった方が良いのではないか?
そん風に感じているんです。

自分だけでの実現が難しい時には、家族や友達、同僚など
身近な人の協力が大きな力ともなりますよ。

矛盾した言葉のようですが、「頑張らないことに頑張りましょう!!」
・・・ですね。。。
昨日は10時には寝たんですが2時頃に目がさめてしまい。
現在にいたってますw
もう、早朝ウォーキングするし今日はもう寝なくてもよいかなとw
>りんさん
両側のメニエルの方でしたか・・・
私は左側だけのメニエルなのです、今のところは。
ですから、両側の症状については未体験なのものですから
コメントできないのです。
自分が体験していない事では、一般的な情報を伝えるぐらいしか
私には術がありません。

以前、両側のメニエルの方が手術をなさった時には
手術についての質問に答えたことはありますが
その後の詳しい消息を私は知りません。

ちなみに、左のメニエルを発症する一年ほど前に
右側の突発性難聴を体験している私です。
まったく聴こえていないような状態でしたが
一週間ほどでの通院で戻りました。
早期に受診したのが良かったのかも知れません。
>なっちょさん
私も、時々、同様に早くに目が覚めてしまいます。
休日であれば二度寝をしたりしますが(起きる時間が遅くなるので)
本を読んだりTVを見たりして過ごすことは多いですね。

早朝のウォーキングも良いですね♪
早起きの習慣をつけると、得する事は多いですよ。
でも夜中の2時ごろから起き出すのはいけませんよ。

私は5時間ぐらいの睡眠時間がベースのようで
前後をあわせて6時間程度となるようです。
疲れたり、体調が良くない時には睡眠時間が伸びる傾向にあります。
それでも遅刻などの心配もなく、ノンビリと出勤の支度ができます。
目覚める時間が遅かった時には、自分の体への労わりの気持ちが
意識できますので、それも良いかな・・・と感じてます。
PCできる時間が減るのは残念ですが。。。(笑)
>momomo1974さん
ストレス発散の意味では「遊び」も大切だと思っています!
ただし、ストレスをためる遊び方や内容では本末転倒ですから
「遊び方」に気をつけましょうね、お互いに!

>ねねさん
お母様がメニエルを体験なさったのですね。
遺伝ではなくとも、体質や気質は親から受け継ぐものですから
あなた様もどうかご注意下さいね。
私の息子も今、交替勤務をしているので
生活のリズムや体調には気をつけるように伝えています。
>ZOU君@Mさん
お気遣いありがとうございます。
母も体質が似るだろうからと心配しています。
数年前に突発性難聴になった際は少々焦りました。
耳鳴りがしたら、すぐ医者に行くよう言われています。

家族としても見ているだけで辛くなり、心配なので
皆さん本当に辛く大変だろうと思います。
母も現役で働いている時はもっと辛かったようです。
(当時は私も若くあまり親身になってあげられなかった)
仕事や育児など、生活リズムは個々違うと思いますが
出来る範囲でダラダラし、ご自分が「楽しい」と
思うことを無理のない範囲でするのがいいのかなと
家族として思います。
なので母は昼寝と韓流ドラマ三昧ですうれしい顔
>ねねさん
身近に理解者が居てくれるだけでも、お母様は幸せ者だと思います。
辛い日々を過ごして来られたとお察しいたしますが
何とかこれまでやって来れたのは幸いでした。
私は通院&入院治療だけでは、生活の維持が難しくなりましたので
手術の選択をしました。
その効果や成功率など、医療的現場の事情は知りませんが
私の場合はそれで症状が無くなりましたのが幸いしました。

ところで、私は左側のメニエル症状でしたが
その一年ほど前に、反対の右耳での突発難聴を体験しています。
治療が早かったのが功を奏したようで、一週間ほどで回復しました。
脅かすつもりではありませんが、ねねさんも生活の見直しなど
ご注意下さいね。
ただし、あまりに不安がるようなことは、それが一番良くないことでもありますけれど。。。

お昼寝は、ダラダラは良くないですが「眠たい時に眠る」のは効果的だと思います。
短時間でも良い結果が得れるみたいですね。
私も休日には時々お昼寝しています。(^_-)
>岡工さん
そうですね。「睡眠=休養」が基本だと私も思います。

薬は、その使い方が重要で、必要とされる状態の時もあるはずです。
食事も考えようによっては、必要な養分や「薬」ともなるような成分を
自然に、自らで取り入れているのだ・・・という考え方も出来ます。
ですから、必要以上に食べれば、肥満や体調を崩したりという変化(副作用)も
起きているという理屈になりますね。
僕は、「睡眠=休養」は異論派です。
まだ解明されてない病気ですからいろんな意見があっていいと思いますが。
完全に睡眠不足の人は寝たほうがいいと思いますが寝すぎは注意です。

この病気になる人は、肉体的につかれているより
精神的につかれているケースが圧倒的に多いと考えています。

睡眠は1日8時間以上はとらない。
あとは運動します。

疲れていると8時間寝ても、眠いと思うときは多々ありますが
僕は無理してでも、シャワー浴びてスッキリしてからウォーキングにでかけて
ストレッチをたっぷりします。

あとは、この外にでる気力がないときどうするかっていうのが一番の難題だと思っています。

自身も、この無理矢理でも外にでて運動ができるようになるまでには、相当の苦労がありました。

きっかけは、症状がひどい時に、医者に通っていた時にきづいたんです。医者に通うと必然的に歩いて外にでますから、少し運動することになるんです。
で、医者に行った日は、医者とも話をするし、運動もするからなぜか、体調がちょっとよくなることに気づきました。

これが、きっかけで、とにかく外にでる。昼寝はできるだけしない。
夜更かしはしない。朝は無理矢理早く起きる。
このへんを実践できると体調はかなりよくなりました。

今でも1日のパソコン時間が長いと体調が悪いほうへ流れがちなので
できるだけ、時間を管理するように努力してます。
このへんの自己管理が、結構難しいですけど。健康のためですからがんばってます。
個人的にはテレビは一番病気によくないと思ってます。
パソコンがないと生活できない人も多いので、パソコンはなかなか手放せませんが。
>なっちょさん
冷静なる自己分析による判断と実践・・・これは悪くないです。
Aさんのやり方が、そのままBさんに良いとは限りません。
それぞれに適したモノはあるでしょうし、生活環境や条件も違います。
「自分らしい」闘病の仕方が最も良いと思います。

色々と参考になる部分も多いですね。
どうぞ、少しでも症状が改善されますように。。。
いろんな方達の体験を興味深く読ませて頂いていますが
医者でない素人が自分の体験を語る場合
「自分の場合はこう感じた」「自分の経験ではこうだった」という
スタンスの表明はやはりあるべきだと感じています。

医者でない人なら大抵は自分の場合のことしか判らないのですから
「あなたもこうすべきです」と断言してしまうのはどうかなと思いますし
それが正論だとしても「そうしたいけど出来ない」と感じている人にとっては
不快・苦痛に思える場合もあると思います。

私のこんな意見も、読まれて不快に思われてたらスミマセン!
どなたの書き込みがどうだと言っているのではありません。
この病気のひとは特にヘコみやすい状況にあるだろうとも思いますので
その辺を思いやりながら書き込むのは大事なのではないかと思います。

「思います」が多くて悪文です。スミマセン。あせあせ(飛び散る汗)
>こんきちさん

>医者でない素人が自分の体験を語る場合
>「自分の場合はこう感じた」「自分の経験ではこうだった」という
>スタンスの表明はやはりあるべきだと感じています。
おっしゃる通りですね。
私もその点は気をつけているつもりですが
自説を強調したり、キツイ表現となっている場合が多いです。
反省はするのすが、ナカナカ直りません。。。
申し訳ないです!! (;^_^A

医者も人間ですから色んな人がいます。
自分に合うと感じた人を選ぶのが、良い結果をもたらす事もあるようですよ。

>「思います」が多くて悪文です。スミマセン。
そんなことはありませんよ。
「思ったこと」や「感じたこと」を語り合う場ではないでしょうか?
ただ、トピ主である人の主張や意見が「色濃く」出るのは
トピックならではの現象ですから、参加も発言も自由であるネットの世界の
良い面と悪い面との使い分けは、あってもしかるべきかも知れませんよね?

「感情を一切排除した」情報の通達とは違って
「自分の気持ちを伝える」場であると、私は考えていますので
「冷静さを欠かない」範囲での発言は許されると思います。
誰かを「誹謗中傷するのが目的」でなければ良いのではありませんか?
「肯定的なモノ」ばかりが許されて「否定的なモノ」は許されない・・・
そういう雰囲気はどうかな?という疑問が湧いてきます。
「感情のぶつけ合い」には私は反対ですが
「意見のぶつかり合い」はあっても良いと思っています。

それらを「どう判断するか?」は、各々の責任の範疇だと考えます。

>この病気のひとは特にヘコみやすい状況にあるだろうとも思いますので
私も発症したばかりの頃に「甘えないで!」という看護婦(師)の発言で
相当にショックを受けた体験があります。
その他の事情もあって、その医療機関では以来、受診はしていません。





以前に自身で立てたトピを失念していました。

たびたびの私の投稿でウザイと思われる方も多いだろうと感じます。
そのような時には、スルーするか、ミュートボタンを活用してくださいね。あせあせ



医師に対して、優秀であってほしいと願うのであれば
こちらも賢い患者になれるように努力しなくてはいけないと感じています。

わからない難病だからこそ、勉強して知識を得て、自分自身の知恵としたいものですね。


私は再発の兆候があってから退職し、その後、症状は治まったままです。
仕事を続けていたのならば、症状が進んだかも知れません。

当時の私の立場が、仕事から容易に離れられる環境にあったことが幸いしたのだと思います。
もしも、あのまま仕事を続けていたら、病気が進行していた可能性が高いような気がしています。

あくまでも 「個人の感想」 であって、科学的根拠はありませんので。。。

ここ数日間は春のような陽気の日々でしたが、来週になると強烈な寒波がやってくるとのこと。

自律神経系が不調となり、環境の変化に対して弱くなっている私たちであります。

どうぞ、気候の変化への対策を怠りませんように、ご注意下さいね。
ネットは確かに便利です。
寝ながらにして世界中、いや、宇宙に滞在している人ともコンタクトが可能です。
すでにこの世に居ない人の言葉も受け取る事が可能です。
言葉の違い、性別、年齢の違い、立場や時間も越えて話す事ができます。

でも、それらの全ては自分自身の受け取り方次第によって大きく変わってしまう
仮想現実でしかないのです。

ですから、事実であっても受け取る側の解釈によっては、変わってしまいますし
その内容がどれほど信頼できるか?が重要なのです。

昔であれば、気になる相手と直接会って、互いの信頼関係を確かめる機会を
持つようにしていたものです。

長くなりましたが、私が述べたいのは、病気のことでの悩みや苦しみなどを
現実の世界で受けとめてくれる相手を一人でも良いですから持って下さいー
ということです。
病気を理解できない人でもあっても、あなたを受け止めようとする姿勢を
持っている人であれば良いかと思います。

ネットいう仮想現実の世界だけで全てを判断して欲しくないのです。
悪意のある人にとっても、便利でこの上ない世界である事も忘れないでいただきたいです。
メニエルという病気を知りたくて、ネットや本などを追い求める日々が続いた時期があります。
可能な限りに、サプリメント、民間療法などを試した事もあったりしました。

脳科学から心理学、哲学へと入り込む。。。生理学から生物学。。。
結局、人間とはなんだ?人生ってなんだ? となってくるようです。

病気をピタリと治せる魔法を 、追い求める自分がいることを認めないわけにはいかないのですが
究極的には、日々の暮らしの中で、笑顔になれるか?という事に尽きますね。

腹の底から笑っている時の 心と体の状態こそが、最も自分らしい適度な緊張感の中に
この身を置いているように感じるのです。

笑って暮らせたら、それが一番いいですね。
もしも、笑えないのであれば、笑える為にはどうすれば良いのか?

その答えを求める努力こそが、病気を軽減することへの近道のような気がしています。
人生において、運の良さとか悪さを考えるとすれば
それは、その人の認識の違いでしかないのかも知れません。

左メニエルで発作が頻発していた頃の私は、幸運に恵まれていたと思っています。

自分に合わない治療機関から他を選択可能な環境に住んでいた事。
普通の人の半分程度しか働けないのに、解雇されなかった事。
妻が難病であったり、人に理解されず治癒が難しい病気の存在がある事を
子供の時から身近に知っていた事。二人の子は中学生に成長していた事。
職場、医療機関が近かったこと、等々。

全く同じような症状を体験した場合であっても、上記の条件が一つでも欠けていたら
病気の経過は大きく違ったものとなっていたように感じてます。

ある病気の経過がどのようになるのかは、その患者当人の問題だけでなく
患者を取り巻く全ての条件によって、大きく左右されるものだと考えます。

ですから、患者の闘病記…ではなく、患者を取り巻く環境データの方が重要ではないかと。

その点においては、医師から問われた事もなく、事後調査された事もないので
研究者さん達は、何をしているのだろうか?と疑問を抱くほどの私です。

幸運と不運の違いは、偶然と言うよりは、その時の環境による必然性が高いのでは?
…と感じられてならない私であります。
同じ難病患者であっても、妻と私とは病気の種類も症状も違います。

生きている環境は同じですから、その点では共感は可能ですが
男女の違いや、互いの病気そのものの体感を知ることは不可能です。

時々喧嘩をしては、「あんたはイイよね、〇〇じゃないから!」となります。
どうしても隣りの芝生は青く見えるわけで、他人と自分を比べても意味がないのです。

比べるのであれば、「あの時の自分」しかありません。
過去の、その時々の自分としか向き合えないのです。
未来の自分を知りようがありません。想像したところで、そうなるとは限らない。

ただ言えることは、今より悪くなる事を望む様な人は居ない…という事。
その希望する自分へ少しでも近づこうと、できる事を頑張るしかない。
できない事に無理をすれば心身が悲鳴をあげ、果ては壊れる事になります。

身の回り人々と同じであれば、安心して楽な気分になるのですが
冒頭で述べたように、同じようでも個々の違いは当然あるはずなのですから
お互いに心地良い範囲であるならば、自己中心的で良いのです。

だって、誰もが死ぬ時は独りなわけで、世界も人々もそのままですからね。
色々な情報によれば、病気が確立する前なら、生活改善で症状が軽減できる…
とあります。では、病気が確立するとは?…と質問してみたことがあります。

質問サイトでの、医療関係者からのコメントでは
難聴と耳鳴り、メマイの症状がそろった時であるとのことでした。

まあ、教科書的な回答のように感じましたが、そう言うしかないのかも知れません。
何しろ、よくわからない病気であるのですから、基本に従うしかありませんね。

私の最初の発作では、メマイ以外のすべての症状がありました。
それが、確立前であったから…とは個人的にはどうしても感じられません。

発作が起きる数週間前から、どうにもスッキリしない体調不良を感じてました。
食欲が出ないとか、熱は無いのに熱があるような感覚がするとかでしたが
一度目の診察では異常が無い、二度目では疲れだろう…という診断。

個人的には、この 「何だか体調が変だ?」 と感じていた頃が
メニエルの確立前の段階ではなかったのか、と考えているのです。

受診する数年前から 「耳鳴り」 があったのですが、大きな騒音のある職場で
長く働いている中で、それは普通のことだと思い込んでいた自分でした。

そのため、 耳鳴りのことを医師には伝えていなかったために
内科医の診断では、異常なし・疲れ…となったのだと思われます。

ガンでも、初期症状では自覚がないままで過ごすことが多いようですし
医師にしても、専門外の病気を確立する前に見つけることなどは不可能なのでしょう。

救急でお世話になるほどに、重い症状が出ているような場合であれば
すでに病気が確立している…と考えてもよいのではないだろうか?

…と、素人なりの考えがつい浮かんでしまう私であります。
商売医師は
自分で未知な物事を考えられる
科学者ではありません。
教えられた以上の事を
知るはずもなく、
誰かが原因不明な病の
発生原因と係る現象を
1つのものとして病理を定め、
診断マニュアルとして
物的証拠を添えて明示しない限り、
状況は何も変わりません。

診察において快不快の違いはあれど、
未知で曖昧な現代病の診断能力では、
医師に当たりも外れもないのです。

医師は患者の症状や
診察に至るまでの状況が
既存の診断マニュアルに
当てはまるか否かを
診断するだけです。
それ以上、何を聞いても
教えてはくれません。
自分の知らないことを
他人に教えることなど
出来る訳がないようにです。

医学の進歩に尽力する
研究者の多くは、
恵まれぬ境遇にあり、
生活もままならない
状況にあるはずです。
>>[46]

私もあなた様に共感する点は多いです。
医療も自衛隊のように、国の予算で誰もが平等に
受けられるようになれば良いのではないかと思います。

それでも、自衛隊なら武器弾薬、航空機や船舶、車両などでは
民間企業から供給されるわけで、医療では医療機器や薬品などが
同様なことと言えます
予防医学で評価されずに、病人が多いほど儲かるような今の
社会システムは間違っているような気がしてならないのですが
それを否定して拒否するだけでは先に進めないように思います。

私が今の日本の医療機関に求める事は、正しい検査と冷静な
判断、技術の提供であって、それ以上でも以下でもありません。

その結果がどうなるのか?は、私の側の問題であると考えます。

どのような薬や治療を得られたとしても、私の心身の状態が
整っていなければ、改善されることはないでしょう。

治るのも、治らないのも、根本は私自身の身体に有るはずですし
現在の医療を受ける、受けないも自己判断の結果ですから。
春と秋のように寒暖差が大きい季節や、長期の連休が続くような時に
普通の人であれば 、風邪ひき・寝不足など体調不良にならぬように
「健康管理」に気を付けて!…となりますね。

私たちの場合ならば、体調不良=症状の悪化へとつながる可能性が
きわめて高いととらえて、自己の 「危機管理」 ではないかと思います。

活火山のある地域で暮らす時や、大きな地震が予想されている地区での
心構えなどと同様に、最悪のケースを想定しておく必要を感じています。

備えあればうれいなし…で、できるだけの事をやった上で
それ以上に心配したところで、どうにもなるわけじゃあない。

自分では何もしないで、誰かにどうにかしてくれ…という姿勢であれば
それが最もよくないと私は思います。

あれほど辛かったこと、苦しかったこと…二度とは体験したくないです!
だからこそ、今の状況を 「維持管理」 することに必死となるのです。

独りで無理なら、周りの誰かと協力していくしかないです。
30代で左メニエルと診断されて、7年後に内耳摘出術を受け、18年間の発作が無かった日々をを暮らして来ましたが、2年余り前に右メニエルの発作らしいものを体験して現在に至ります。

今は60代で年金暮らしという状況で、これからの症状の経過は未知数です。

知力や体力の変化によって、病気への影響はどのように変わるのでしょう。。。

10代で発症されるような人も居られるようですが、30代、40代で発症する人々と同様な経過をたどるとは私には思えません。

また、高齢になってからメニエルと診断される場合でも同じように考えられます。

スマホの普及で、今の気持ちや状況などを、コメントや影像として発信可能ではありますが、治療生活という事であれば、今現在だけではなく、これまでの事やこれからの事の方が大切ではないでしょうか?

何というか、今の生活ばかりが重要視されているような社会になってしまっている気がしてなりません。

高齢者は、これまでの社会を支え続けてくれた人々であり、子供はこれからの社会を築いて行く事になる存在です。

自身の生活(症状)ついても、過去があってこその今であり、親など先輩方の姿の中に自分の未来へのヒントがあのではないでしょうか?

子育てや老人問題…真剣に捉える事が出来ているのでしょうか?

直接に生産活動をしない者たち、非経済的な弱い者たちなどへの優しさがなくなってしまったら、世界は滅びる道しか残りませんよね。。。
私は常々、自身が動くことで 「激しい乗り物酔い」 を起こしているようなものだと感じておりますし、そのように他人へも説明しております。

乗り物酔いはよく知られてはいますが、不明確な部分がある事はメニエルと同様であり、様々な説の存在も同様だと思われます。

「損傷した内耳を抱えているのか」 という事と 「内耳は正常だが、乗り物に乗っているのか」 という違いがあるだけであって、症状のメカニズムには同じ点が多いと考えています。


「乗り物酔い」 についての記事で、以下のような内容がありました。

乗り物酔いというのは要は、感覚の不一致で、つまりは中枢神経系が目、内耳、そして脊椎と関節にある感覚器官から相反する情報を受けとっているということ。

目では見えていないのに動いていると感じる事で、脳は何か深刻に悪い事を示す幻覚を起こしていると判断して、つまりは毒を排出しようとして吐くのかも知れない。

人口の30%の人には、生まれつき乗り物酔いに対する免疫がある。

手当はできるけれど、治すことはできない。

以上、個人的には最後の部分が特に得心できますね。

ある手当を受けて、結果的に症状が治まればそれで良し…でありまして、病気が解明されない現状であっては、手当の仕方や内容についてアレコレ詮索しても意味が無いような気がします。

むしろ、それぞれの違う意見や立場で協力し合うことの方が、有意義ではないのかと思われて仕方がありません。




私は常々「めまい」と「痛み」について、どちらも脳が感じる点では
よく似ているように感じて、その対処の仕方や考え方を参考としています。

ある痛みにおいて、鎮痛薬を適切に使わない

動いた特に痛みが増すという不安

痛みを恐れて安静を保つ

痛覚過敏の状態

過剰な不安を持たず、痛みと相談しながら「体を動かす」
という適切な健康運動。

悲観脳 → 扁桃体が無駄に興奮
楽観脳 → 側坐核がほどよく働いている状態

ギックリ腰のような突発的で激しい痛みの時には動かない、動かさない。

日常の血液や神経、リンパの働きが症状に大きく影響している。

…等々ですね。
私が左メニエルの群発する発作で苦しんだ1990年代では
現在のようなインターネットも未発達状態で、あるのは限られた情報だけ。

自分が体験した事を、少ない情報で確かめる…という感じでしたね。

何よりも天邪鬼な性格の私ですから、必ず例外はあるのだから
…という意識が私の中では強く存在していました。

ですから、例えば余命を医師から宣言されたガン患者でありながらも
長く生き続けた人が居ても、不思議とか奇跡だとも思いません。

メニエルになったら〇〇というような情報だけが先走る事を最も心配しています。

明確な正体が不明な病気であるのですから、どうなるのかわからない
…というのが本当のところだと私は思います。

色々な情報のみで一喜一憂するのではなくて、これまでの自身の体験の中にこそ
学ぶべき多くのことがあっるように思います。

悪くなる事を身体が望むわけもなく、少しでも良くなろうとしている事は
間違いないはずあり、ただ、その過程においては、どうしても痛みや苦しみを
感じてしまうのは仕方がありません。

それが生きているという事なのだと思うのです。

自分の体を信じて、様々な事に負けないで生きていってほしいと願うばかりです。
ニュースがありましたね。

めまいの薬で忘れた記憶が戻った…という内容で
その薬は我々がよく処方される「メリスロン」

まだ研究発表段階でありますが、認知症への効果が期待されて
さらに研究や検証が進められる雰囲気を感じます。

私が密かに抱く事は、メリスロンという薬への関心によって
メニエル病についても衆目が注がれる…という期待です。

病気や患者への正しい知識と理解が増える事を願っております。
治験結果において、6割以上の患者に効果が確かめられる事で、ようやく新薬と認定されるそうですが、裏返して言うならば、4割近い患者に効果が無い薬もある事となります。

例え多くの患者に効果があったとしても、重篤な副作用が出るようならば、その薬の使用を禁止するようなシステムになっている点では、認定薬ならではの安心感はあります。

「毒と薬」をイメージする時、それは「悪と善」ではなく「悪と必要悪」となります。

本来であれば避けるべきモノであるけれど、今の身体の状態で生き延びる為には「どうしても必要な最低限の悪」…それが薬であり、治療を受けるという事なのだと私は思います。

数えきれないリスクやストレスに囲まれながらも、ちゃんと生き延びて行けるようなシステムを持つ私たちの身体ですが、何かの原因でシステムが上手く働かなくて異常な状態となっているのが病気であるということです。

自分の身体の中の状況が変化したのか? 周りの環境の変化が大き過ぎるのか? あるいはその両方であるのか?

いずれにしても、身体と環境とのバランスが崩れたことで症状(アンバランス状態)が出ている私達であります。

少しでもシステムのバランス回復の助けになるのであれば…という気持ちで「必要悪」である治療を受けている訳です。

効果があった事ばかりを強調するような商行為のモノと、科学的検証がちゃんと行われたモノとの鑑別は、自分なりに確認しておきたいところです。

何しろ「必要悪」つまりは「必要最低限の毒」と同じようなモノであるからで、身体本来のシステムが戻った時には、薬も治療も必要なくなる…はずなのですから。

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