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橋本組〜映画製作機関〜コミュの内田吐夢

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本名・常次郎。
大正・昭和期の巨匠映画監督。

大正活映でトーマス・栗原監督の助手を務めた後
俳優も兼ねるようになる。
牧野教育映画に移り監督デビュー。

並み外れた創作欲と放浪癖、込み入った家庭関係は有名。

昭和2年に初監督、同年結婚、「生ける人形」、「仇討選手」といった力作を撮り、昭和10年代に「限りなき前進」「土」といった映画史に残る名作を連発し、立場を確立す。
 しかし日本は戦争への道をひたすら歩み始める。
思うように映画が撮れなくなり満州の満州映画協会を頼って渡満。
 だがここでも映画を撮ることが出来ず、逆に満州で敗戦を迎え、混乱の中、8年間に渡り中国に拘留される。
昭和28年10月日本へ帰国、映画復帰。
華々しい映画人生を送る一方で妻や息子たちとの関係に
ぎくしゃくしたものが漂いはじめ、以後の吐夢に
暗い陰を落とすことにもなる。

リアリズムを基調とした重厚な作品で知られ、
戦前戦後を通じて、“男の美学”(強さ)、心 のやさしさを追求した巨匠。

ジブリの宮崎駿氏やジブリプロデューサーの鈴木敏夫氏等、
内田吐夢監督の作品を指示する人は多い。
(特に「たそがれ酒場」や「大菩薩峠」は有名)

1970年、宮本武蔵の続編で伊藤大輔の脚本を得た『真剣勝負』のロケ中に倒れ逝去。享年72。

噫小西巡査(1922年)
競走三日間(1927年)
なまけ者(1927年)
のみすけ禁酒騒動(1928年)
娑婆の風(1929年)
生ける人形(1929年)
仇討選手(1931年)
警察官(1933年)
人生劇場(1936年)
裸の町(1937年)
限りなき前進(1937年)
土(1939年)
歴史 第一部 動乱戊辰(1940年)
歴史 第二部 焦土建設、第三部 黎明日本(1940年)
鳥居強右衛門(1942年)
血槍富士(1955年)
たそがれ酒場(1955年)
自分の穴の中で(1955年)
暴れん坊街道(1957年)
大菩薩峠(1957年)
どたんば(1957年)
大菩薩峠 第二部(1958年)
森と湖のまつり(1958年)
大菩薩峠 完結篇(1959年)
浪花の恋の物語(1959年)
妖刀物語 花の吉原百人斬り(1960年)
宮本武蔵(1961年)
恋や恋なすな恋(1962年)
宮本武蔵 般若坂の決斗(1962年)
宮本武蔵 二刀流開眼(1963年)
宮本武蔵 一乗寺の決斗(1964年)
飢餓海峡(1965年)
宮本武蔵 巌流島の決斗(1965年)
人生劇場 飛車角と吉良常(1968年)
真剣勝負(1971年)

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