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究極の神示「飛鸞宣化」コミュの大いなる学とは何であるか。

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大いなる学とは何であろうや。真理に通ずる学とは何であろうや。大学、中庸、論語、古き聖哲は、偉大なる教典を世に残した。世の人々は、其の中の寸分の一すら学ぼうとはせず。本日は大学、大いなる学とは何であるか、簡単に示さん。
 大学とは大いなる学であり、是の世を見透す為の真理なり。すべての萬物の始まりは、一である。是れは、一を中心に宇宙は拡充していく又、宇宙の原は許々一である。是れは、大いなる学の基本なり、始めなり。そして是の理は、現在の人類の天文科学に、理解されるものとなれり。古代の聖賢は、天を仰ぎ、地を見て真理を追究した。青陽時代の代表すべき道統の祖師達は、何を大いなる学として、追求したのであろうか。

 先ずは黄帝
 黄帝は天の運行、天の流れを知れば、天の何たるかが明解となると述べた。是れは天文、則ち星宿の動きを観測し、四季の移りを明確にすれば、人は正しく農耕が営む事が可能となると、悟ったのである。是れは、其の時代に於ては神懸かり的事であり、又、当時の人々には、理解出来ぬ事であった。然し、軈てそれが、天文地理の学として、知られる様になりたり。

 三帝
 堯、舜、禹、是の三帝は、天とは偉大なるものにして、人事にてどうにかなるものでは無いと述べた。天、則ち自然の前には、人力等は無力に等しいと言う事為り。何故なら、三帝が治世中の頃は、龍漢水劫激しく、庶民の暮は大雨洪水にて被害を受けた。三帝は暦を知り、大雨の来る時節を知っても、是の自然の盛威を防ぐ事は出来ず。故に、人力にて治水工事を為す事に全力を注いだ。然し、大雨洪水が如何程の規模で訪れるのか定かでは無い。それを測り知り、天の意を見抜くのは不可能である。故に三帝は、天とは測り知れぬ力を持つもの。と呼びたり。

 次に文王、周公は、天とは運命である。則ち天体は巡るべき規則にて巡る。大雨や災害も同じく、一の周期に支配されている。一人一人の人間の寿命、宿命、運命、何故に違うのか、天とは是の運である。そして運には必ず法則周期がある。以て文王は、五行八卦を探究し、天と言う運について究明を始めた。一人の人間にも、広大なる自然も、天体、宇宙も皆、運に支配されている。是の運の根本に有るものが何かと知れば、人々は幸福に為れる。そして是の文王の考えは、易占となり、又、今日では統計確率として、世の中で活用される様になれり。然し、易占の中に秘められた真理の深さは、未だ明らかにされない。

 次に孔子
 天は天で良いではないか。天は為すべき事を為し、萬物を育む。問題は天がどうであるとか、天が今後どの様になるのか、それでは無く、人間一人一人が何をすべきか、それが大切であり、又、運や命は従って、素直に生きてゆけば良いのではなかろうか。そして、人事を尽して天命を待て。と言う名言ともなりたり。則ち、天よりも人が、是の世で正しく生きて行く事を追求する方が、天の御心に通じる事ではないか。と、そして天とは、全ての萬物を創り、運行する大いなる意志故に、天や萬物は、是の意志の思うが侭である。然し、一人一人の人間の心は、天の意志に支配されず。故に本当に天を尊ぶなれば、自らの事を先ず懸命に為せば良い。是の孔子の教えは、道徳となり、又、礼儀作法として世の人々に広まりたり。

 そして孔子の後継者、思子、孟子は、孔子の言わんとした天の存在をもっと深く探究した。思子は、若し天が存在するなれば、それは形象では無い。無形である。そして最も美しく清い所である。と述べた。茲で、天とは極楽理天、純陽なる魂の故郷であるかの如く表現した。そして孟子は、天は何も外にのみ存在せず。一人一人の人間の心の中に、極楽の様なものがある。人間の本性が天である。と述べた。そして茲に、青陽時代の道統は切れたり。然し、是の大学は、祖師から祖師へと受け継がれながら発展した。若し、 孔子と全く同じ思考の者が有っても、その者に道統は受継がれず。必ず前人を越え、新らしき発見をしなければ、天命は与えられない。それ程天命は厳しく、又、得難きものなり。思子、孟子は、非常に近い所まで、天と言う真理を明らかにせり。然し、まだまだ不充分であった。何故、其れ其れの人に運命があり、 又、人は正しく生きなければならないのか。又、天、真の天は何處に存在するのか。又、どの様な象で、人の心の天であるとは如何なる理由でか、それは釈尊が明らかにした。則ち、全ての運命は因果応報、萬物は流転し、そして魂は輪廻する。心は魂である。魂は存在する。そして魂は、涅槃より来て再び涅槃に帰るのである。故に、道を得なければならない。その為に人は、運に従い、命に従い、正しく生きて行くべきである。そして是れが佛教として世界に広まった。何故に釈尊が天盤の命を受け、又、道盤の命も同時に受けたのか。真理を明らかにした為なり。運とは何か、正しく生きるとは何か、又、極楽とは、そして心、是れは魂であると解明せり。そして何故達磨大師が東土に渡り、禅と云う佛教の形を傳えたのか、それは真理では無い。準備さす為なり。則ち、弥勒下生と思って三宝が普傳される時が近づき、少しでも玄関を悟る為に、座せよ、座せよ、と呼び掛けた。則ち道が普傳されるのに、如何なる高邁な理を説いても無駄であるからなり。則ち道は、得れば何であるか分かるものである為なり。故に、それに対し何の説明も講義も必要とせず。得れば皆救われる也。
  
天命に依りて、茲に新しき壇名を降す。
(省略します。)

 壇を貰うは、是れ、長き修行の末の一つの受命なり。是の世の儀式で例えれば、表彰、授与に値すると表現するも良し。則ち、今世の修道の徳のみにて得られるものに非ず。三官大帝は、前世、前々世、否、 六萬年前からの一人一人の修行の成果を判定するなり。釈尊も僅か一生の修行で、天盤の命を受けたに非ず。何度も輪廻し、そして下生し、そして命を得たなり。前世の修行の積み重ねは、今世に必ず現われる。 因果応報全て原因結果なり。然し、壇主という因を結び軽く思う勿れ。是の因は天との因なり。人と人の因ではない。切っても切れぬ因也。心して修道すべし。當地の諸賢よ、如何なる道でも、上へ上へと積み重ねられて行く也。天道と言う土台は、長き長き道統の歴史にて積み重ねられたり。故に今の時代は汝等の道を為せば良い。そして前人を凌ぎ、又、優秀な後学を輩出、育成すべし。以上


(文殊菩薩)

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