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シュタイナー言語造形ことばの家コミュのこころのこよみ(第48週) 〜行われたし、精神の見はるかしを〜

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Im Lichte das aus Weltenhöhen

世の高みから

Der Seele machtvoll fliessen will

力に満ちてこころに流れてくる光の中で

Erscheine, lösend Seelenrätsel

現われよ、こころの謎を解きながら、

Des Weltendenkens Sicherheit

世の考えの確かさよ。

Versammelnd seiner Strahlen Macht

その光り輝く力を集め、

Im Menschenherzen Liebe weckend.

人の心の中に愛を呼び覚ますべく。



考える力というものについて、
人はよく誤解している。

そう感じることが、よくあります。

考えるとは、
あれこれ自分勝手にものごとの意味を探ることでもなく、
浮かんでくる考えに次から次へとこころをさまよわせることでもなく、
何かを求めて思いわずらうことでもなく、
ものごとや人を裁くことへと導くものでもありません。

考えるとは、本来、
みずからを置いてものごとに沿うこと、
思いわずらうことをきっぱりと止めて、
考えが開けるのをアクティブに待つこと、
そして、ものごととひとつになりゆくことで、愛を生みだすことです。

今回もまた、鈴木一博さんの『礎のことば』の読み説きから多くの示唆を得ています。

人が考えるとは、
考えという光が降りてくるのを待つこと、
人に考えが開けることです。

考えが開けるきっかけは、
人の話を聴く、本を読む、考えに考え抜く、道を歩いていて、ふと・・・など、
人によりけり、時と場によりけり、様々あるでしょうが、
どんな場合であっても、
人が頭を安らかに澄ませたときにこそ、考えは開けます。
身体は忙しく、活発に、動き回っていても、
頭のみは、静かさを湛えているほどに、
考えは開けます。

そして、考えの開けと共に、
こころに光が当たるのを感じない人はいないのではないでしょうか。
考えが開けることによって、こころにおいて、ものごとが明るみます。
そして、こころそのものも明るみます。

「ああ、そうか、そうだったのか!」というときのこころに差し込む光の明るさ、暖かさ。
誰しも、覚えがあるのではないでしょうか。

明るめられたこころにおいて、
降りてきたその考えは、その人にとって、隈なく見通しがききます。

また、見通しがきく考えは、他の人にとっても見通しがきき、その人の考えにもなります。

そもそも、考えは誰の考えであっても、考えは考えです。

人に降りてくる考えは、その人の考えになる前に、そもそも世の考えです。

自然法則というものも、自然に秘められている世の考えです。

人が考えることによって、
自然がその秘密「世の考え」を打ち明けます。

その自然とは、
他者という自然でもあるでしょうし、
わたし自身の人となりという自然でもあります。

目の前にいる人が、どういう人なのか、
我が子が、どういう人になっていくのか、
もしくは、自分自身がどういう人なのか、
それは、まずもっては、謎です。

その謎を謎として、
長い時間をかけて、その人と、もしくはみずからと、腰を据えてつきあいつつ、
その都度その都度、
こころに開けてくる考えを摑んでいくことによってのみ、
だんだんと、その人について、もしくは、わたしという人について、考えが開けてきます。

それはだんだんと明るんでくる「世の高みからの考え」でもあるのです。

わたしなりの考えでやりくりしてしまうのではなく、
からだとこころをもって対象に沿い続けることによって、
「世の考え」という光が降りてくるのを待つのです。

すぐに光が降りてくる力を持つ人もいるでしょうし、
長い時間をかけて、ゆっくりと光が降りてくるのを待つ人もいるでしょうが、
どちらにしても、
そのように、考えと共にこころにやってくる光とは、
世からわたしたちへと流れるように贈られる贈り物といってもいいかもしれません。

その贈り物があるからこそ、
わたしたちは、また、世の考えが贈られるのを待ちつつ考えることができるのでしょうし、
考えの光が降りてくればこそ、
わたしたちは、こころの明るさと共に、その考えを見通し、見はるかすことができ、
その見はるかしからこそ、こころに愛が目覚めます。

ある人の長所にあるとき、はっと気づいて、
その人をあらためてつくづくと見つめ、
その人のことが好きになっていること、
ありましたよね。

長所にはっと気づく、
それこそが、
考えの光が降りてきたということでしょうし、
その人について光をもって考えられるからこそ、
こころに愛が呼び覚まされるのでしょう。

人を愛する時とは、
世の高みから、力に満ちて流れてくる「世の考え」が、こころに開ける時です。

考えが開けるとき、
そこには、きっと、愛があります。

愛が生まれないときは、
考えているようで、実は考えていないということです。
自分勝手に考えや思いをいじくりまわしているか、
巡り巡る考えや思いに翻弄されているときでしょう。

考えることによって愛が生まれることと、
愛をもって考えることとは、
きっと、ひとつの流れとして、人の内側で循環します。

    人のこころ!
   あなたは安らう頭に生き
   頭は、あなたに、とわの基から
   世の考えを打ち明ける。
   行われたし、精神の見はるかしを
   考えの安らかさのうちに。
   そこにては神々の目指すことが
   世とものとの光を
   あなたの<わたし>に
   あなたの<わたし>が自由に欲すべく
   贈る。
   もって、あなたは真に考えるようになる
   人と精神との基にて。         (『礎のことば』より)  

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