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韓国文化研究室コミュの(李氏)朝鮮王朝の歴代王と正妃

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もう何年も前から、韓国の歴史ドラマの人気が高まっています。
最近は、高句麗、百済、新羅、渤海など古い時代を題材にした史劇が制作され続けていますが、やはり、韓国の歴史ドラマの原点は李氏朝鮮時代です。
「女人天下」も「大長今」も「ホジュン」もそうでした。


そこで今回は、(李氏)朝鮮王朝の歴代王と正妃を一覧的に記載してみることにしました。

1.太祖/神懿王后(韓氏)、神徳王后(康氏)
2.定宗/定安王后(金氏)
3.太宗/元敬王后(閔氏)
4.世宗/昭憲王后(沈氏)
5.文宗/顕徳王后(権氏)
6.端宗/定順王后(宋氏)
7.世祖/貞熹王后(尹氏)
8.睿宗/章順王后(韓氏)、安順王后(韓氏)
9.成宗/恭恵王后(韓氏)、斉献王后(尹氏)廃妃、貞顕王后(尹氏)
10.燕山君/慎氏 ※王の廃帝に伴い廃妃された
11.中宗/端敬王后(慎氏)、章敬王后(尹氏)、文定王后(尹氏)
12.仁宗/仁聖王后(朴氏)
13.明宗/仁順王后(沈氏)
14.宣祖/懿仁王后(朴氏)、仁穆王后(金氏)
15.光海君/文城君夫人(柳氏) ※王は廃帝
16.仁祖/仁烈王后(韓氏)、荘烈王后(趙氏)
17.孝宗/仁宣王后(張氏)
18.顕宗/明聖王后(金氏)
19.粛宗/仁敬王后(金氏)、仁顕王后(閔氏)、仁元王后(金氏)
20.景宗/端懿王后(沈氏)、宣懿王后(魚氏)
21.英祖/貞聖王后(徐氏)、貞純王后(金氏)
22.正祖/孝懿王后(金氏)
23.純祖/純元王后(金氏)
24.憲宗/孝顕王后(金氏)、明憲王后(洪氏)
25.哲宗/哲仁王后(金氏)
26.高宗/明成皇后(閔氏)
27.純宗/純明孝皇后(閔氏)、純貞孝皇后(尹氏)

※26代と27代の正妃が「皇后」となっているのは、この時期の国号は、「朝鮮」ではなく「大韓帝国」だったからです。

コメント(35)

李栗谷(イ・ユルゴク:1536年−1584年)は、李氏朝鮮時代の儒学者で、朱子学者として李退渓とならぶ「二大儒」と称されます。李退渓の主理説に対し主気説を展開しました。
李氏朝鮮王朝で、政界においても積極的な政治改革案を提議し、儒学だけでなく様々な学問を積み、従来の朱子学をさらに発展させました。
中でも1583年に14代国王宣祖に対し、「十万養兵」を説いたことが知られます。これは朝鮮が国防を軽視している現状から、やがて来るべき北胡(女真族)や南倭(日本)の侵略に対する施策として常備兵の必要性を説いたもです。しかし、民たちの負担が大きすぎるという理由で顧みられることはありませんでした。
李栗谷は、「理は無形無為の存在であり気は有形有為の存在として、理は気の主宰者ではあるが気は理が乗るだけであり、一元論でも二元論でもなく宇宙の構成は理と気がそれぞれ互いを包括している」という気を念頭に置いた主張を行っています。


李退渓(イ・テゲ:1501年−1570年)も李氏朝鮮時代の儒学者で、朱子学者として李栗谷とならぶ「二大儒」と称されます。李栗谷の主気説に対し主理説を展開しました。
李退渓の思想は、明朝で盛んになった陽明学を退け、あくまで朱子学を尊重することで、朱子学の提要である「格物致知」の概念や「理気論」に基づいて、精緻で稠密な議論を展開しました。
李退渓は、「理気二元論において、理と気は互いに独立して対立しており、どちらか片方が欠けると宇宙を構成できない」という主張を行っています。
日本の林羅山、山崎闇斎らに影響を与え、「東方の小朱子」とも呼ばれていました。


・・・・・と、調べて書いてはみましたが、正直なところ、何だかよく違いがわかりませんあせあせ

要するに二人とも、李氏朝鮮時代の儒学者で、朱子学者として「二大儒」と称されている、ということで良いのではexclamation & question
李氏朝鮮時代、秀吉の朝鮮出兵によって最悪化した日朝関係は、家康の時代になって復興しました。
朝鮮通信使はその現れでしょう。
江戸時代においても、日本と韓国はしっかり交流していました。
明治の悪夢を前にして。
2007年秋から2008年にかけて、韓国の3放送局はこぞって(李朝)朝鮮時代の王または王宮人を主人公にしたドラマを制作しました。

SBS:『王と私』(原題:왕과 나) 第9代 成宗 (主役ではないが) 
MBC:『イサン-正祖大王』(原題:이산) 第22代 正祖
KBS:『大王世宗』(原題:대왕세종) 第4代 世宗


このトピを建てたのが昨年の7月ですので何かちょっと嬉しいですわーい(嬉しい顔)


<付録>

世界文化遺産 宗廟 に祭られる王と王妃

第1室 初代:太祖高皇帝・神懿高皇后(韓氏)・神徳高皇后(康氏)
第2室 3代:太宗大王・元敬王后(閔氏)
第3室 4代:世宗大王・昭憲王后(沈氏)
第4室 7代:世祖大王・貞熹王后(尹氏)
第5室 9代:成宗大王・恭惠王后(韓氏)・貞顯王后(尹氏)
第6室 11代:中宗大王・瑞敬王后(愼氏)・章敬王后(尹氏)・文定王后(尹氏)
第7室 14代:宣祖大王・懿仁王后(朴氏)・仁穆王后(金氏)
第8室 16代:仁祖大王・仁烈王后(韓氏)・荘烈王后(趙氏)
第9室 17代:孝宗大王・仁宣王后(張氏)
第10室 18代:顯宗大王・明聖王后(金氏)
第11室 19代:粛宗大王・仁敬王后(金氏)・仁顯王后(閔氏)・仁元王后(金氏)
第12室 21代:英祖大王・貞聖王后(徐氏)・貞純王后(金氏)
第13室 22代:正祖宣皇帝・孝懿宣皇后(金氏)
第14室 23代:純祖粛皇帝・純元粛皇后(金氏)
第15室 23代:文祖翼皇帝・神貞翼皇后(趙氏)
第16室 24代:憲宗成皇帝・孝顯成皇后(金氏)・孝宗成皇后(洪氏)
第17室 25代:哲宗章皇帝・哲仁章皇后(金氏)
第18室 26代:高宗太皇帝・明成太皇后(閔氏)
第19室 27代:純宗孝皇帝・純明孝皇后(閔氏)・純貞孝皇后(尹氏)

※23代が二人いますが間違いではありません。文祖は憲宗の父で即位する前に亡くなった孝明世子で、憲宗が即位後に追尊したため、宗廟では純祖も文祖も23代としています。
(李氏)朝鮮は、第16代国王の仁祖の時代、1636年の「丙子胡乱」において、清太宗ホンタイジが率いる10万の清国軍に進撃され、翌年初、「三田渡の盟約」と言われている、仁祖自らがホンタイジが天子であることを跪いて認めるという屈辱的な城下の盟を余儀なくされました。この時から約260年間も(李氏)朝鮮は清国の冊封国となりました。冊封国というのは属国以外の何ものでもないでしょう。

韓国の近代化にしても1910年の日韓併合後日本によってなされたました。これも紛れもない事実です。


だから何でしょう?



室町時代の 足利義満も 明から冊封を受けてるから、日本は 明の属国となるのかな〜


属国というコトバは 19世紀以降列強がもたらした西洋の言葉で、東アジアの関係には ふさわしい言葉ではないと思いますが〜

たしかにアメリカの属国じゃないよね〜


そもそも属国とは〜?



植民地時代のことかな〜
ぴぃす さん

まず、朝鮮「民族」が属「国」になることは、言葉の意味としておかしいですね。

で、あなたのいう属国とは「柵封体制に組み込まれた事を意味しているのですか?

ならば、足利義満の例は違うのですかねぇ?確か明の「皇帝」に対し「王」と称していたと記憶してますが・・・

もっと遡って、遣唐使などどうなのでしょうか?
唐側は日本を対等な外交相手と見做していたんですかねぇ?

だいたい、明治以前は、中華文化が東アジアの「スタンダード」でしたからね。これから離れていたというのは、今で言えば「自由主義体制」から離れていたと同じイメージかと思いますよ。

また、朝鮮が柵封体制に深く組み込まれていたから、なんなのですか?
善し悪しをいわないと、何を主張したいのかわかりませんね。
ぴぃす さん

>有史以来、独立自尊の民族で日本帝国だけが汚した、なんて教えてるから史実を書いたまでですよ。
それ以外ないです。


このトピでは、誰がそのような事を言っているのですか?
私、当コミュの管理人なので、9のコメントでは精一杯妥協してコメントしましたが、JIRON AMOS @UTCさんやマルコスさんが反論のコメントを入れてくれたので心強く思います。

清国までの中華思想的冊封体制において、冊封は従属というより、むしろ独立国であることの証明でした。
中国皇帝からの冊書によって国王に封じられることにより、自分の王位を権威づけ、確固たるものにすることができたわけです。
皇帝に対しては君臣の礼をとらねばなりませんでしたが、あくまで形式上のことに過ぎません。各国王は皇帝の力で王位についたのではなく、自分の力で得た王位を追認してもらうにすぎません。外交はともかく内政についていちいち指示や干渉を受けるわけでありませんでした。

冊封関係とは、一種の不平等条約でしたが、実利や実害をともなわない形式的なものにすぎなかったと言えるでしょう。
双方にとって平和が保たれ、朝貢国側は権威を高められ、中国側は世界の王者であることを示せました。

したがって、朝貢国が独立国家でなければ意味がないことで、植民地と同じように考えることはできないでしょう。

ただ、清国との冊封関係においては、特に初期と末期、朝鮮側も属国という意識を多かれ少なかれ持っていたようです。
ちなみに、韓国では、「属国」という言葉を次のように説明しています。

属国とは従属国の略で、法的には独立国だが, 実際には政治や経済・軍事面で他の国に支配されている国のことを言う。
また、宗主国の国内法に根拠して、外交関係は自ら処理し, 他の部分は宗主国によって処理される国のことを言う。トルコに対する第一次世界大戦前のエジプト及び1908年までのブルガリア等がこれに属する。

冊封関係にあった中国と自国のことについては全く触れられていません。
前述のとおり、朝鮮時代の仁祖以降、清国と朝鮮は冊封関係にあったわけですから、ぴぃすさんがおっしゃることがあったのは当然でしょう。

私も朝鮮王朝においても清国の「属国(속국)」という意識が多少あったなどと申したので混乱を招いてしまいましたが、JIRON AMOS @UTCさんやマルコスさんがおっしゃっているのは、日本語の概念としての「属国」は中国政権と朝鮮の冊封関係には当てはまらないということではないのかと思います。


日本では、「属国」という言葉を次のように説明しています。

属国とは、近代国家における主権の一部を外国により制限されている国や地域を指す。
また、近代国家とは、封建国家の崩壊とともに誕生した領土・国民・主権を基本的概念とした国家である。保護国とも言う。

戦国時代において、同盟関係で勢力に大きな差があった場合、類似した関係があったが、中世は近代国家成立以前であり、通常、このような関係を属国という近代的概念では言わない。

中国王朝を中心とした東アジア地域の冊封体制も緩やかな紐帯で結ばれており、これも宗主国と属国の関係とは言えない。

たしかに清末は 19世紀から列強と同じことを朝鮮にもやるようになってきましたね〜 ある意味 属国化しようという意図はありました。

そこから 日本のおかげで独立できた!までなら よかったのに〜 


けっきょく日本が植民地にしてしまったからね。


デパートなら 自分たちでつくれるよ〜



奴隷の原始人のような:  捏造だな〜







ぴぃすさん

27 2008年10月10日 23:21 ぴぃす 李氏朝鮮時代は、酷い時代でした。
特権階級社会で両班に支配され民衆は学問はさせてもらえず奴隷の原始人のような生活でしたから。

李氏朝鮮にも書堂というのがあって、日本の寺子屋と同様の機能を果たしていたようですがね。
http://www.nuedu-db.on.arena.ne.jp/pdf/024/24-r-006.pdf

因みに、李氏末期には族譜の操作により、人口のかなりの数が両班家出身を名乗っていたようです。まぁ、実質的には、大半が「両班」の家系をもっていると主張しているだけで、宮廷にいけるような身分ではなかったようですが、 没落両班に族譜を作ってもらう程度の財力がある農民にいたということですから、奴隷やら原始人というのは違うようです。
http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/D/Kaihosha6.htm

イザベラ・バードの朝鮮紀行と日本紀行を読み比べました?
日本でも豊かな地域がある反面、藩が違えば農民が極貧の生活を送っているという記述がありますよ。

経済システムは、李氏朝鮮は江戸時代の日本より遅れていたようです。
http://encyclopedie-ja.snyke.com/articles/%E6%9D%8E%E6%B0%8F%E6%9C%9D%E9%AE%AE.html

>忍耐と寛容をもっても敵意は溶けないと。

何を根拠にいているんですかねぇ?

http://www.chosunonline.com/article/20050815000018
朝鮮日報によると、敵意は消えつつありますけど。
http://www.chosunonline.com/article/20080305000057
日本への評価は拮抗しているようですね。

こんな本も出ていますよ。
http://www.chosunonline.com/article/20080224000002
↑韓国でもこのような本が出版されているのですね。

もしかして、嫌韓○とかでしか、韓国の歴史や文化を知らないのではないのですか?



ぴぃす さん

本トピは李氏朝鮮に関するトピです。

近代以降の日韓関係、あるいは世界における日本の評価を論じるトピではありません。
違うコミュ又はトピで主張されてはいかがでしょうか。
あれっ? びぃすさん、言いたいことだけ言ってこのコミュを退会してしまったようですねあせあせ

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