ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ホーム > コミュニティ > 芸能人、有名人 > 松田聖子 > トピック一覧 > 松田聖子のぶりっ子伝説と育ち

松田聖子コミュの松田聖子のぶりっ子伝説と育ち

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コミュ内全体

 「蒲池孜と一子が、この荒木町に居をかまえたのは、法子が生まれるほんの数年前である。孜は、福岡県柳川市出身である。柳川藩の名家の血筋を引くお寺の息子で、一子とは、見合い結婚であった」と、大下英治『魔性のシンデレラ。松田聖子ストーリー』(角川書店)は記している。蒲池法子こと松田聖子の生家は、江戸時代は柳川藩の家老格の家で、藩祖の立花宗茂の正室である訐藺紊諒酊鷸の開山(初代住職)を祖とし、その寺を預かる一族だった。そしてそれは、初代住職の応誉が、蒲池氏の人間だったことによる。
 立花宗茂の義父(妻の父)は立花道雪であり、大友宗麟の片腕的な鬼将としてあまりにも有名だが、その立花道雪と並び称されたのが、義心は鉄のごとしとして義将として名高い蒲池宗雪こと蒲池鑑盛だった。
 蒲池氏は、家系学の第一人者である太田亮によれば「筑後屈指の名族」であり、系譜的には嵯峨源氏の源融を祖とし、その流れを汲む鎌倉時代の源久直(蒲池久直)が初代であり、室町時代に下野の宇都宮氏に属する宇都宮久憲(蒲池久憲)が名跡を継いでいる。そして十六代目になる蒲池鑑盛は、筑後国(福岡県南西部)に十二万石を領する大身の領主で、現在の柳川市のルーツともなるべき柳川城を造作し、その城主だったことでも知られている。
 蒲池氏は、次の蒲池鎮漣(蒲池鎮並)の代に、佐賀の龍造寺隆信の冷酷な謀略により一族は滅亡し、四散の縁に追いやられるが、立花宗茂は、瀬高の来迎寺の住職をしていた応誉が、蒲池鑑盛縁の人物であると知り、柳川に呼び、正室の菩提寺を任せたのだった。
 少し、歴史的なことを長々と書いたが、これが松田聖子の父親の生家である「柳川藩の名家の血筋を引くお寺」の内実である。
 要するに簡単にいえば、松田聖子は、地元の柳川ではトップクラスの由緒を持つ誇り高い名族の家の生まれだということになる。また父親は、厚生省の外郭団体の社会保険所の所長という国家公務員であり、地方の名士でもあった。松田聖子の歌手デビューに父親は猛反対であり、説得に一年半を要したことはよく知られている。松田聖子の父親にしてみれば、愛娘が分けのわからない芸能界にデビューすることなど、世間知らずの娘のとんでもない思いつきとでも思われたのだろう。
 ところで、なぜ、延々と松田聖子の生家について書いてきたのかというと、松田聖子の伝説の一つであった「ぶりっ子」というものが、それに関係していると思われるからだ。
 ぶりっ子とは、可愛い子のふりをするという意味で使われ、そこには表向きはそうだが、実際はそうではないという皮肉がこめられた言葉でもある。松田聖子はそうした「ぶりっ子」の代表あるいは代名詞とされてきた。そして彼女のファンや肯定派は、ぶりっ子の意味がどうであれ、「聖子ちゃんなら許す」と全面肯定し、反対にアンチ聖子派は、そこに悪意の批判をこめた。
 しかし、実際のところはどうなのだろうか。松田聖子は、良くも悪くも、本当にぶりっ子だったのだろうか。実は、そうではなく、単に松田聖子は育ちが良かっただけではなかったのか。育ちが良いから言葉は丁寧であり、何気ない仕草も上品だ。それが、ぶっている、ぶりっ子だと思われただけではないのか。
 松田聖子のコンサートに行き、そのMCを聞けばわかるが、彼女の言葉遣いは本当に上品であり、しかも自然だ。
 このようなことは言わずもがななのだが、当時の歌謡番組のベストテンで、「青い珊瑚礁」が一位になった時、彼女の前に、愛情のこもったお弁当の料理が出され、司会の黒柳徹子が「誰が作ったか分かりますか」と問い、それに対して松田聖子は「母ですか」と小声で答えている。彼女は「お母さんですか」ではなく「母ですか」と言っている。これはそのようなさりげない言葉も、きちんと使うように躾けられていることを示している。いわずもがなだが、と書いたのは、昨今、芸能人に限らず多くの人が、人前で自分の母親を「お母さん」と呼ぶという間違った日本語の使用をしているからだ。会社の電話での応対でもそうだが、自社の社長の名は、対外的には呼び捨てにしなければならないのと同じである。
 その後、福岡の放送局前に松田聖子の母親が来ていることがテレビに映し出され、彼女が「お母さ〜ん」と半泣きの顔で呼びかける有名なシーンがあるが、ここは直接に母親に呼びかけているのだから「お母さん」で構わないことはいうまでもない。
 歌手デビューの「裸足の季節」から「青い珊瑚礁」とそれ以降の初期の松田聖子の言動をつぶさに見ると、その育ちの良さが、分かる者にはよく分かるはずだ。
 しかし、目には見えないことは、誰にも分かるというものではなく、分かる者にしか分からないところがある。たとえば、育ちの良さというものもそうだ。きれいであるとか可愛いということは、好き嫌いは別にすれば、その表情、端的には顔から、誰にでもよく分かる。しかし、内面的なことは目には見えないため、誰にでも分かるというわけではない。そして、分からない者は、自分に分かる物の見方で、それを解釈しようとする。おそらく、「ぶりっ子」とはそういう産物なのだろう。本当は、松田聖子の育ちの良い言動を、育ちの良さということが分からないため、自分の中の意識を彼女に投影して、ぶりっ子と見たのだろう。
 松田聖子が、所謂ぶりっ子でないことは、彼女が初期の頃から意外とサバサバした横顔を見せていたことからも分かる。
 一部には、育ちが良いということを嫌う人もいる。しかしそうした人は、育ちが良いことと偉ぶることを混同している場合が多い。偉ぶることは育ちが悪いことであり、育ちが良いとは偉ぶるとは反対のことだ。松田聖子が育ちが良いということは、人格的にもバランスのとれた人間でもあることになる。
 1990年代前半に、彼女は執拗なスキャンダル報道に包まれ、エキセントリックな誹謗と中傷の十字砲火を受けた。彼女はスキャンダラスな芸能人にされ、世間的イメージは一時期「ワースト1」にまでなった。しかし、これらのスキャンダル報道がほとんどが全くの嘘であり、根も葉もないデタラメであることは、本当は彼女の育ちの良さとバランスのある人格からだけでも明らかである。
 むろん断っておくが、育ちが良いということは上品ぶることではない。品の良さは自然ににじみ出るのであり、上品ぶる必要はない。むしろその面でいうならば、彼女は、ガハハハ笑いといい、両手をパーンと叩く仕草といい、むしろ庶民的であり、そこにこそ彼女の場合、育ちの良さが自然に現れていると見ていいだろう。
 そしてもう一つ付言すれば、育ちの良さなるものは決して強調してはならないということだ。それはあくまでも謙虚でなければならない。その点で、松田聖子が、自身の言動について、端からどのように言われようとも、反論も弁解もせずに、涼しく受け流していることは、そのことの何よりの証になっているだろう。

コメント(1)

松田聖子ちゃんの 母君かずこさんが 略奪婚って本当ですか?

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

松田聖子 更新情報

松田聖子のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング

mixiチケット決済