ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

日本史 異説!逆説!こぼれ話?コミュの宮本武蔵の無敗伝説について

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
はじめまして。
突然すみませんが宮本武蔵の無敗伝説に対して僕が思いついた異説(というより妄想の類かもしれませんが)があるので書いてみました。
宮本武蔵は六十余度も真剣試合をして無敗であったのは何故か。
いくら強いと言ってもお互いに真剣で大きな怪我も負わずに連戦できるものなのだろうか?
という疑問を以前から持っていました。
それに対する仮説を小説の形にしたものを日記に置いています。
(興味のある方は御笑覧下さい→『最後の武蔵』http://mixi.jp/view_diary.pl?id=256125628&owner_id=6106311
宮本武蔵は二刀流で佐々木小次郎は物干し竿で有名ですが、巌流島では武蔵が舟の檜で作った長い木刀を使用しています。
また小次郎は富田勢源の流れをくむとされていますが、この富田流は小太刀を使う流派です。
物干し竿のごとき木刀を使用した武蔵、二刀流に必須の脇差しの使い方に精通しているはずの富田流の小次郎。
ここに何やらねじれのような引っ掛かるものを感じませんか?
ここから思いついた仮説は宮本武蔵=佐々木小次郎というものです。
さらに考えをすすめて、相手を殺してすりかわってしまえば相手の経歴を自分のものにしてしまえますよね。
実際には顔まで変えることはできないので知り合いに会えばバレてしまうので、かなり無理がある話かもしれません。
しかし、武蔵がその高名さのわりに晩年まで仕官せず、流浪の身であったことを考慮すると、ひょっとしたら・・・・・と考えてしまいます。

コメント(27)

そうですね。確かにしっくりくるからこその正説ですから。
小次郎が師の小太刀の練習相手として長刀を使用していたという話は聞いたことがあります。
武蔵も晩年は仕官して島原の乱に参加したといわれてます。
小次郎と武蔵が単純に同一人物であったとは考えにくいですね。
ただ、今回僕が疑問に思ったのは小次郎も武蔵も存在していて巌流島の戦いの時点で入れ替わったのでは?という所でしたが、その可能性はどうでしょうか?
そもそも、巖流島の戦いがあったのかすら怪しい訳で……考えとしては面白いと思いますけど、そもそも、どうしてわざわざ武蔵と小次郎が入れ替わる必要があったんですかね?
無敗である武蔵の経歴を自分のものにしてしまうメリットを動機と仮想していたのですが、やはり入れ替わり説も無理がありますね。
巌流島の戦い自体があったかどうかわからないというのは初耳でしたが佐々木小次郎が何者かということをはじめ、巌流島の戦いには色々と謎が多くありますよね。
確か、宮本武蔵の生まれた村にも諸説あるようです。吉岡に勝ったのも武蔵でなく、父の無二斎であるとか、無二斎と武蔵の関係もはっきりとしないように思えます。
僕の唱えた異説は稚拙なものでしたが佐々木小次郎や宮本武蔵に関する面白い異説がたくさんあるのではないかと思います。どなたかご存知ないでしょうか?
僕が聞いたのは、「実は武蔵は無敗ではなかった」と聞いたことがあります。
無敗だったとは本人武蔵は語っておらず、武蔵の死後に養子の伊織が五輪の書に書き加えたことからはじまった伝説だと、確か歴史の授業が脱線したときに聞きかじった気がします。
確かに武蔵は生涯で負けてはいないと思います。その
内容に真相があるのです。もともと賢かった武蔵は
最初から負け試合はしなかった。事前に相手を分析し
弱点を探し出し、100%勝てる相手としか勝負を
しなかったという説があります。強敵との勝負では
闇討ちとか、不意打ちでまともには戦ってないと
伝えられています。勝てば官軍とでもいいますか
確かに連戦連勝ですので後に英雄となったのでは
ないでしょうか。
100%勝てる相手にしか戦いを挑まなかったってのは僕も聞いた事あります。人の話しや伝説を美化してしまう自分なので、なんともこう…皆さんの前に書き込むのはアレなんですが…。武蔵が吉岡などを倒したとして、その武蔵に逆に誰も挑まなかったって事があるんでしょうか?当時なら闇討ちでも武蔵を倒せばこれ以上おいしい話はないわけで…。それともやはり武蔵が強くて闇討ちだろうと正規の挑戦(なんだそれ?)だろうと勝ってきたんですかね。だからいまだに剣道でも二刀流が許されている。←ただめっちゃ弱いから誰も使わない。

難しいです…
二刀流,つかってるやつ,やたら強いんだけどね。
昔,片腕しかない奴とやったとき,やばかった。
重すぎ。
二刀流が弱いわけではなくて、二刀流を使いこなせないから、弱いのではないでしょうか。
片手で、竹刀を自由自在に操るのは並大抵な腕力がないと、できないと思います。竹刀ではなく木刀や真剣でしたら、相当な腕力がいるかと。
実際、武蔵が二刀流ができたのは、その身体的能力の高さからであると言われてます。

無敗といえば塚原卜伝も、無用な摩擦を避け、弱い相手を選び、それでも強い相手と戦わなければならない場合は、どんな卑怯な手を使ってでも工夫し相手を倒したから、無敗でいられたとも言われてますので、武蔵の無敗もこんなところではないでしょうか。
それですね、多分。二刀流を使いこなせないんだと思います。剣道とかやった事ないんで人から聞いた話を鵜呑みにしてました…。確かに片手で相手の竹刀を払うのは厳しいでしょうし、まして真剣ともなるとずばぬけた身体能力が求められるのでしょうね。

無敗の方はやはり勝てる相手としかやらなかったからでほぼ間違いないんでしょうか?五輪の書が現代まで残ってる時点で武蔵が賢いのはなんとなくわかるんですが。
刃引き刀ですが家に飾って合ったのを振り回してみたり
しましたが片手で素早く切り付けれるなんて
考えられません。両手で持っても相当重いです

あんな時代劇や漫画のようにブンブン振り回せる人なんか
そうそう居ませんよ。
初めまして♪

刀の二刀は並大抵の腕力では保てないです。

昔、真剣を知り合いの方に持たしていただきましたが、とても重くて、これをもう一振り持つのは無理でした。

実際、「タフ」さんの仰るように、時代劇やマンガのように振り回せる方はいないでしょう。
では逆に武蔵が二刀流を使いこなせる、高い身体能力を持っていたとしたら、それって相当凄いってことですよね?

確かに無敗というのは伝説だとしても、やはりそれなりの実力はあるってことじゃないですか?

おそらく、武蔵は真剣ではなく木刀を使っていたのではないでしょうか?とはいえ、やはりそれでも武蔵の膂力は人並み外れたものがあったのでしょう。実際木刀を2本自由自在に振るのは余程鍛えていないと無理だと思うので。
そう考えると、やはり武蔵は強かったのではないかと思います。
深夜番組で、武蔵は小次郎に勝つには勝ったが、勝った後息を吹き返した小次郎を弟子たちを使ってぼこぼこにして死に至らしめたという説をやってましたね。
本当だったらちょっと残念かな。
 そもそも、宮本武蔵はその著書で太刀を片手で扱えるようにすることが重要であるといっているだけで、「左の手にさして心なし」とも書いてありますから2刀を使用して戦うことを重視していたわけではないのです。

 無敗ということに関しては真剣勝負をして生きている人は少なくとも真剣勝負では無敗であったといえるでしょう。負けていれば死んでいますからね。
 戦いを避けた話としては二階堂平法の村上吉之丞に勝負を挑まれたが逃げたという話が残っています。また、当時高名な剣術家とは殆ど勝負をしていません。最も有名なのは吉岡家ですが、吉岡家の記録では武蔵に負けたことにはなっていません。
 また、島原の乱では城方の投石で怪我をしたというこという話が残っています。

 しかしながら、渡辺幸庵という人が、武蔵と柳生宗矩を比べれば武蔵の方が以後に例えると井目強いという評価をしていたので同時代の人にはそれなりに評価が高かったのではないでしょうか。
佐々木小次郎が宮本武蔵?五輪の書とかかけますかね??
佐々木小次郎も宮本武蔵も独自の剣術使いだったと思います。
流派にこだわらず自分の剣術を開発されたと思われます。それが強さの秘訣じゃないかと思います。
イチロー、中田、一流選手は独自のフォームを持っているはず。
無敗説、よは簡単生き残れば無敗じゃないかと思います。真剣の数も色々、弱いやつから強いやつまで、それなりに強い人を倒せば後は数をかせねるだけ
でもやはり凄かった気がします。柳生十兵衛の一戦、歳を取り、毒を盛られながらもなお戦い生き残る。
生き残ることが全てを語っていることだと思います。
はじめて書きます。

むしろ佐々木小次郎は実在の人物かどうかも怪しいと思うのですが・・・
あら?佐々木小次郎って実在しないんですか?
はじめまして。

吉川英治が宮本武蔵を書く際、小次郎には老人説と青年説があって、青年説をとったと何かで読んだおぼえがあります。

冨田勢源の弟子だったとしたら、時代的に老人になる事から、青年説をとる人が、小次郎は勢源の弟子である鐘巻自斎の弟子だった、という主張をはじめたのではないでしょうか。

昔の講談では、小次郎は武蔵の父の敵だったとかいいますし、二刀を持った少年武蔵が、物干し竿を持った老人小次郎と戦っている、昔の絵をみた記憶もありますし…。
要するに、本当のところは誰にもわからない、ということでしょうね。

武蔵の強さに関しては、負けたら死ぬだけの武道の世界で、天寿を全うしたという一事だけで、すさまじく強かったと思います。

だまし討ちでも何でもいいから殺してしまう。その後で、「天晴れな敵だった」と手を合わせてみせればそれでよい、というのが僕の当時のイメージなので、剣の力と生き延びる才覚、両方をふくめて、武蔵は強かったのではないでしょうか。

ほとんどの剣豪が実は名門の出身であり、浪人出身で名を残しているのが伊東一刀斎と宮本武蔵くらい、という事実が、生き残ることの難しさと、彼らの強さを語っていると思います。
昨日昼間ヒストリーXの再放送してましたね。

小次郎は、武蔵の弟子にぼこぼこにされてトドメをさされたって・・・結構ショックですよね。
勝つというのはそういうことなんでしょうかね。
武蔵が勝ったが、後に武蔵の門弟ではなく、細川藩の家臣がボコボコにして殺したという話を聞きましたが。
佐々木氏の出自が原因とか…。f(^_^;)
アレでしょ? 自分よりも強そうな相手とは戦わずに逃げた。
これぞ、無敗伝説。

ログインすると、残り5件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

日本史 異説!逆説!こぼれ話? 更新情報

日本史 異説!逆説!こぼれ話?のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング