現代物理学史　コミュの１９００年第１回国際物理学会議に就いて

1900年第１回国際物理学会議に就いて

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　１．問題設定の背景
　1900年8 月６日から８月12日まで、初めての物理学の国際会議がパリで開催された。この年には、第２回の国際数学会議と国際哲学会議が続けてパリで開催され、いずれも、アンリ・ポワンカレが議長役を務めた。またこの年の秋には、万国博覧会がパリで開催され、日本政府がアイヌ人、沖縄人の女性を陳列したかの有名な人類館事件が起きている。イギリスに留学する夏目漱石はこれを見て、ロンドンへと向かった。
　第２回国際数学会議は、「ヒルベルトの23の問題」で数学史上有名でありその第６問題は「物理学の公理化」であった。第１回の国際物理学会議はこれまでの物理学史研究ではどちらかと言えばめだたないものであった。19世紀から20世紀への転換期としては、当時の物理学を語る上ではロンドンの王立研究所で1900年4月27日にケルヴィン卿が行った「熱と光の動力学理論を覆う十九世紀の雲」の金曜講演がエピソードとして有名である。その内容は、第一の雲はエーテルと地球の相対運動の問題であり、また第二の雲は、これまで多くの場合に熱輻射の問題として間違えられてきたのだが、実は、エネルギー等分配則では気体の比熱を説明できない、という問題であった。この二つは後に相対論と量子論で解決される問題であった。
　当時の物理学の状況をよりよく知るには、この国際会議の内容を調べてみることが、ひとつの方法であると考えることができる。これまでの日本における物理学史研究では天野清の『熱輻射論と量子論の起源』、西尾成子の『放射性変換の理論の歴史的基礎』、板倉聖宣・八木江里・木村東作の『長岡半太郎伝』がこの国際会議について触れてきた。天野はポワンカレの開幕講演の一部を、西尾はマリア・スクロドフスカ・キュリーとピエール・キュリーの報告を、板倉・八木・木村は長岡半太郎の磁歪の報告を扱った。だが、思わぬところで日本の読書家は間接的にこの会議を知っているのである。夏目漱石の小説『三四郎』に出てくる、野々宮宗八の「光の圧力の研究」を知っているからである。小説の中には、マクスエル、レベデフの名前が出てくる。これは当然、野々宮のモデルである寺田寅彦が、この国際会議におけるレベデフの報告を知っていたからであろうと予想される。この報告を夏目漱石は寺田寅彦をとおして知ったのであろうか。ちなみに『三四郎』の出版は明治41年である。西暦にすれば1908年のことであった。
　この世紀交代期はまさに、いわゆる帝国主義の時代であり、社会思想および科学思想の上でも大きな変化があった時期であると言える。1895年にはレントゲンによるＸ線の発見があり、日清戦争、アンリ・ベクレルの放射能の発見、キュリー夫妻の放射能研究、ポロニウム、ラジウムの発見、J.J.トムソンの電子の発見、1899年はボーア戦争が終結し、米西戦争があり、ドイツでは修正主義論争がはじまり、1900年の秋から暮れにはプランクが熱輻射公式を提出し、エネルギー量子を導入する。1902年には日英同盟が締結され、1905年は後発資本主義国日本が帝国主義段階に入ったことを象徴する八幡製鉄の開業があり、日露戦争、ロシアでは1905年革命が起きる。アインシュタインの「奇跡の年」（ランチャス）でもあり、特殊相対論・光量子仮説・ブラウン運動論が出現する。1906年にはドレフュス事件のかの大尉が無罪となり、1910年には日本は侵略した朝鮮を植民地として併合し、大逆事件がでっち上げられ、1914年には最初の総力戦となる第１次世界大戦が夏に勃発する。戦車、毒ガス、飛行機、潜水艦、などが新しい兵器として出現する。科学者・技術者の端緒的な戦時動員がある。そして1917年にはロシア革命,いわゆる二月革命、十月革命が起きる。
マックス・ヴェーバーはドイツ革命の混乱の中で、1919年１月下旬に連続して『職業としての学問』『職業としての政治』を講演する。そのなかで、かれはドイツにおけるヴィッセンシャフトの理念が崩壊し、アメリカナイゼイションの時代が到来したことを述べている。第１次世界大戦はヨーロッパにおいては、貴族の時代に終わりを告げる。またこの戦争は廣重徹に言わせれば、「科学の体制化」の最初のインパクトを与えた。
　このような時代状況の中で、種々の科学思想についての著作が出現する。イギリスではジョン・テオドール・メルツの『十九世紀ヨーロッパ思想史』、カール・ピアソンの『科学の文法』、ドイツ語圏ではエルンスト・マッハの『認識と誤謬』、『感覚の分析』、『認識の分析』、フランスではピエール・デュエムの『物理理論の目的と構造』、アンリ・ポワンカレの『科学と仮説』、『科学と価値』、『科学と方法』等々がある。

２．物理学の専門分化・分業の時代
　数学史家のE.T.ベルは『数学をつくった人々』のなかで、アンリ・ポワンカレを「最後の万能選手」と呼んだ。これは歴史的誤認であるとも言えるが、1854年に生まれ1912年に亡くなるかれは、現代風に言えば数学者であり、物理学者、天文学者、哲学的著作家でもあった。自然科学の諸分野が専門分化し、物理学においても実験物理学と数理物理学あるいは理論物理学が明らかに分業の時代に入っていく時期でもある。トムソン・テイトの著作『自然哲学論考』は最後の「自然哲学」と銘打った書物と言ってよいかもしれない。しかしその非哲学的性格は有名であるが。マクスウェリアンのポインティングの著書は明確に『物理学教科書・熱』というような題名になるし、またドイツに於けるフォークトの著作も教科書的性格を明確にしてくる。
　このような時代背景の中で、今から百年余り前の1902年に『科学と仮説』の初版が出版される。
結論を先取りして言うと、この本『科学と仮説』の第９章「物理学における仮説」と第１０章「近代物理学の理論」は、1900年８月６日（月曜日）の第１回国際物理学会議の開幕講演「実験物理学と数理物理学との間の関係」の改訂版とでも言うべきものである。
そこで、この会議における報告の傾向を分析検討して、またポワンカレの開幕講演の内容を具体的に総覧する。ポワンカレの講演と手に入ったいくつかの報告を見て、この会議の歴史的位置を考えてみたい。

【史料】
1. Rapports Présentés au Congrès International de Physique de 1900.
Paris : Gauthier-Villars, 1901.
2. Tome?, Tome?, Tome ?,
3. Travaux Cong. Int. Phys., Paris , 1900 ; 4.
4. Poincaré, Jule Henri. :《 Relations entre la Physique Expérimentale et la
Physique Mathématique 》Tome ?,ff. 1-29
5. Poincaré, Henri . : La Science et l’Hypothèse, 1902 . ；日本語版：林鶴一訳『科学と憶説』大倉書店；河野伊三郎訳、ポアンカレ著『科学と仮説』岩波文庫、（仏語原書1917年版の翻訳）昭和12年、改訳昭和33年(1958年)；英語版：George Bruce Halsted 編訳、The Foundation of Science ,　Science and Hypothsis ,　The Value of Science ,　Science and Method ,1913. The Science Press ；Dover 版
6. 桑木彧雄訳　「実験物理学と数理物理学の関係に就いて」東洋学芸雑誌（1901年4回に分けて連載）　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

コメント(3)

最初
全て
最新の40件

[1] mixiユーザー 09月12日 09:45

上記の『科学と仮説』は、1960年代には理科系志望の高校生や、教養課程の大学生は読んでいて当たり前の本であった。この文章は、2005年の科学技術史学会の予稿原稿である。
　「数理物理学」が名前を変えて「理論物理学」へと変わってくるところに、問題の関心はある。方法についての意識も変わってくる。
　制度的には、1901年にミュンヘン大学でレントゲンが、理論物理学者を招聘しようとする。また東京帝国大学で、1901年に「理論物理学科」が作られる。石原純はその第２期生ということである。
　ナチズムに便乗して、「反アインシュタイン運動」に関わっていく、実験物理学者、ノーベル賞学者の、レーナルト、シュタルクは、この時代の、実験物理学と理論物理学の分業からむしろ対立へという関係を、政治の場面で体現していると言っても良いかもしれない。これは、「アーリア科学」という形態を取り、ナチスに便乗する科学者は、その程度の違いは在るものの関係していく。例えば、マトリックス力学の創始者の一人でもある、パスキュアル・ヨルダンは、アーリア科学に乗った人物であることは間違いない。

cf.Bayerhen "Scientist under Hitler "
邦訳、常石敬一訳『ヒトラー政権下の科学者達』
　ヨルダン、中野広訳『現代物理学の思想』（1935年）

[2] mixiユーザー 10月09日 14:12

訂正」
　Bayerchen "Scientists under Hitler "

歴史的注
　ヨルダンの本の翻訳者、「中野広」は、「永田廣」の
　ペンネームです。戦前の唯物論研究会の主要メンバーでし　　た。非合法の弾圧下で、翻訳出版したものです。
　1904年生まれ、長野県松本市近郊の出身です。

[3] mixiユーザー 10月09日 14:23

　「数理物理学」と「理論物理学」の、歴史的成立の問題については、以前から、数学史家の佐々木力氏と、物理学史家の西尾成子氏と議論を行っている。また、成田空港で働いているアマチュア科学史家の小澤健志氏も、ゾンマーフェルト研究とレントゲン研究から関心をもたれている。
　ちくま学芸文庫『数学史入門ー微分積分学の成立』佐々木力著（2005年）には、ドイツの数学と物理学に関連した文献が載っている。
　数学と物理学の歴史的発展の連関についての研究は、まだまだ未開拓の分野であると言っても過言ではないであろう。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ