ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

商店街を再生させる創意工夫コミュの商店街をどう評価する??

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「都市」と「商店街」との関係をどう考えるか、単なる「買い物場所」としてだけの話ならショッピングセンターであり、それが郊外にあっても都心にあっても無関係だってことになります。買い物客が最も効率的に買い物ができればよいわけで、これ以外は無関係だって話でしょう。客が来なくなれば”撤退”するのも当然だってことになります。
しかし現実の商店街は、都市住民にとっての「生活基盤」施設であり、「郊外型SCとの競争に敗れて「消滅」しても仕方ない存在であるかどうかを、何を根拠に判断するかが問題になっているのでしょう。SCが仮に「買い物客への最も効率的なサービスを提供している」とすれば、商店街は「買い物」以外の「住民サービス」(社会的文化的サービス)で存在価値があるってことなのか、SCとは違った「買い物サービス」の提供があり、それが商店街の大きな存在理由だってことなのか、これも一つの問題でしょう。
「外部効果」(市場メカニズムでは評価されない経済・不経済効果)が”市場メカニズムに影響を及ぼすようになると、これを無視できなくなることも、商店街の評価に影響するかもしれません。
「不動産の流動化」が進んでますが、その手法である「証券化」が”複雑化”すると「土地の所有者」は誰なのか、これまたますます分かりにくくなります。さらに「カード決済」が進展すると、お金の持ち主も曖昧になりかねません。そして{セカンドライフ」のように”バーチャルな人生”が選択できれば”自分”さえ不明になりかねません。
商店街に行けば必ず”話し相手”がいるとか、ぶらっと出かけても”時間潰し”ができるとか、人通りがなくても”安心して歩ける”とか・・・、これらは少なくとも”競争”の枠組みでは評価しきれない「効能」に違いありません。
「モラルエコノミー」(これは多分何らかの価値判断を前提にした経済観)と「アダムスミス流エコノミー」(これは市場メカニズムを重視した経済観)との違いが気になりますが、「人間の生命」とか「地球の存続」とか、一見その存在を否定できない事柄でも異論が出てくる実態を考えると、商店街の話も複雑になる一方です。
「そりゃー、話が”飛びすぎる!”」って批判も分かるのですが、どうしてもこれを考えなけりゃーーと思い込む性格は簡単にはなくなりません。困ったもんです。
「村社会」の暮らしが平穏無事で、細やかな人間関係が密接にあり、安全・安心な暮らしが保証されても、それだけで満足しなかったのが「高度成長」だったのでしょう。だからもう一度「村の暮らし」に戻れるかと言えば、簡単じゃないでしょう。「書いてる本人」が分からなくなりましたので、今回はここいらで一段落とします。 

コメント(3)

田舎における商店街はまさに生活基盤です。

都市圏とは違い公共交通に頼って生きていけない地方の住民にとって徒歩もしくは自転車でいける商店街は必須の存在だと考えます。

しかしながら、かつての大店法により郊外地域への大規模SCの進出が加速し商店街から客を奪っていきました。やがて年月は経ち、商店街はつぶれ、またかつて車によってSCに買い物に出かけていた世代も車に乗るのが難しいことになる年代になりました。しかしその時、すでに商店街は無いのです。

また、SCが多数出店しSC同士の競争が激化し撤退する店舗も出てきました。都市部と違い、田舎では車という行動半径を広げてくれる乗り物のおかげでSCが持つ商圏ははるかに広くなっています。撤退したSCの近くでそのSCで生活必需品を購入していた住民ははるか30キロ、40キロ先のSCまで買い物に出かけなければならなくなりました。

このような問題が既に顕在化している現在でもまだ、SCは出店の手を緩めません。正直、現在の商店街に大型資本のSCと戦う力は無いのです。これから高齢化が進み、車に乗れなくなる世代にとっては商店街の消滅は自らの消滅に直結するような大問題であると考えます。

尚、上記に述べさせていただきました事例は全て私の地元で現実に起こっている事例でございます。今、商店街から食料品店が消滅しました。また、現在SC同士の競争に負けつつある某大手SCの撤退話も浮上しており、「物が買えなくなる町」になりつつあります・・・。

長文失礼いたしました。
身近な実感、ありがとうございました。「田舎」だけでなく私が住んでる「住宅地(分譲住宅として開発された)」(横浜市の外れ)でも、初代(購入者)の高齢化が進み、二代目は独立して地域の人口減少、近所にあったスーパーが廃業し、最寄駅まで高齢者にとっては徒歩30分の買い物は”一仕事”になっています。状況は”違う”かも知れませんが、高齢者にとって”暮らし難い状況”に向かっていることは似たようなものです。「都市内の流通過疎地」です。

おっしゃる通り大型小売業との競争力が商店街にあるとは思えません。だから「なくなっても仕方ない」と思うのですが、では”その後はどうするの?”ってことになると、「生活協同組合」(のようなもの)や”通販”で代わってもらうのかな、あるいは「移動販売」(西部劇の幌馬車風)かな・・とかを思いますが、「商店街は単なる買い物だけではない」ことも考えると、それだけでは不十分。では結局どうするの!、となって”分からないです”と話が終了する繰り返しです。

一番の問題は商店街の商業者の自覚不足かな・・・・と思うのですが、なかなか面と向かって言いにくし、当のご本人曰く”忙しくって勉強どころじゃないね!”ときますから、なかなか反論しにくいし・・・・・。
まあ、”ほふく前進”ながら、商店街の方々と一献を繰り返しながら”交流を継続”するしかないなーーーってことでしょうか。
福田さんが先日シャッター通り商店街を視察していた、
ここは「シャッター銀座」だとか言っていた。

しかし、沢山の人が集っていたのを見てこんなに人が
多勢居るのにと怪訝そうな顔をしていたのが印象的だった。

確かに都会では人口が減っている訳でもないのに商店街は
衰退している。

答えは明確、魅力がない・つまらない・メリットがない
つまり女性にとっては恋人を選ぶのと同じで、
若くてハンサムなヨン様やもこみち君に目が行ってしまう。

しかし、結婚となると少し違った要素が働く
地域と共に歩む事を選択すると、
自ずと道が見えてくるはず、共に歩む運命共同体・・・
・・・・家族になることではないだろうか。

人は生まれた時から死ぬまで好奇心を持ち続けている。
先生のよく言う、「日々新たなる日常性」を
常に追い続けている。

福田さんが今は「旬」だから人々は集った。

客が戻る可能性はきっとある。これを信じて我々も
日々新たなる日常を追い続けましょう。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

商店街を再生させる創意工夫 更新情報

商店街を再生させる創意工夫のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング