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セルフラーニングコミュの不登校を考える

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コミュ内全体

 不登校について考えてみましょう。かなり深刻な問題です。このコミュニティに参加されている方の中にもそれで悩んだことのある方もいらっしゃるようです。

 さて,私の考えから。

 いまの日本の不登校に対する指導が,「学校は行かなくてもいいんだよ」というのが全面に出されているのではないでしょうか。

 私は,基本的に「学校は行くべきだ」ということを子どもには伝えることが必要だと思います。

 「学校は行かなくてもいい」という指導が,不登校を助長しているところがないか,と思うのです。

 ただし,私は「学校は何があっても行かなければならない」という立場ではありません。
 学校より,その子の心,健康が大切だというのはもちろんのことです。それをこわしてまで学校に行く必要はない,と思います。

 だから,かなりこじれた段階では,「学校に行かなくてもいいよ」という言葉も必要になるでしょう。

 しかし,ちょっとしたことで学校を行かなくなった場合に,子どもの心を大切にということで,「行かなくてもいいよ」という発言をして欲しくないのです。

 

コメント(32)

基本、学校は行くべきところだと私も思います。
「行かなくて良い」を安易に使うと余計に登校のチャンスを逃す気がします。

誰かは「学校においでよ」と言い、
それに答えられない生徒に対して初めて「無理はしなくて良いよ」というべきだと思います。

不登校は、きっかけが掴めれば良い方向に向くと思います。
皆で「行かなくて良い」を唱えると「君は来なくて良い」に聞こえるみたいです。
心を解すことが一番なので、一方向に負荷をかけず、
意外と第三者的な人が話を聞いてあげると良いかなと今までの経験から思います。
「学校には、あなたの味方が居るよ。」と誰かが発信すると良いのですが、
元担任等がその役になると快く思わない現担任が居たり等複雑でした。
とにかく、全体で温かく見守りつつ引っ張るには色んなベクトルが必要だと思います。
僕も最終目標は学校に通うことだと思います。

学校に通えるようにするためにどうするかだと思います。
先ずは家にばかりいないで外にでるところから始めて…とか。

最近は小学校1年生で不登校という子もいます。上の子が不登校だったり、親が学校に行かせる気がなかったり…

何人か不登校の子を見て思うのは母子家庭と錯覚するくらい父親の存在感がない家庭が多い→母親と子どもの関係性が強すぎる家庭が多いように感じます。
僕も最終目標は学校に通うことだと思います。

学校に通えるようにするためにどうするかだと思います。
先ずは家にばかりいないで外にでるところから始めて…とか。

最近は小学校1年生で不登校という子もいます。上の子が不登校だったり、親が学校に行かせる気がなかったり…

何人か不登校の子を見て思うのは母子家庭と錯覚するくらい父親の存在感がない家庭が多い→母親と子どもの関係性が強すぎる家庭が多いように感じます。
当然の事ですが、まずは本人が学校に行きたくない理由を知ることが大切だと思います。そして、根本的な原因が本人やその家庭にあるのか、学校側や学校での友人関係にあるのかなども出来るだけ正確に知るようにする必要があると思います。

不登校やいじめ、学力低下の問題など、どんな問題が発生しても、それぞれ自分の意見を主張し自分の立場を守ろうとする事に意識が集中し、お互いに理解し合い問題を根本から解決しようとする態度が欠けているように思います。

保護者、生徒達本人、教師、教育委員会などがもっと気楽に意見交換の出来る場があれば、お互いの理解レベルももっと向上するのではないかと思います。


話が横にそれますが、去年の全国学力テストの結果で沖縄県の学力が全国最下位であった事を受け、学校現場の教師達と教育委員会そして保護者を含む一般の人たちの三者が自由に意見や情報交換の出来る場を設けて欲しいと、読谷村の教育委員会に何度も要請したのですが、直接的な回答は得られませんでした。

教育現場の問題は、保護者と教師、保護者と教育委員会といったように個別に話し合うだけでなく、三者が一緒に話し合う事もとても大切なのではないかと思います。

現在では、コミュニケーション不足が、実に多くの問題を引き起こしているのだと思います。そのコミュニケーションの場としてSNSはとても良いツールだと思うので教育委員会に提案したところ、「SNSは教育行政になじまない」と一言でけられてしまいました。
ンチャさんのコメントにあるように,本人の心を開かせるのは一番大切なことだと思います。

 まず,子どもの話をじっくり聴くこと。そのときに共感するような聴き方をすることです。

 少し,専門的なことを書きます。そういってもぼくが学生時代のことですから,もう30数年前の知識です。

 ロジャーズのクライエント(来談者)中心療法というカウンセリングの方法があります。

 ひたすら相談に訪れた人の話を聴くのです。うなずいたり,相づちを打ったり,相手の話を繰り返したり,まとめたり。

 そうする中でクライエントは自分で問題を解決していくという方法です。カウンセラーが「こうしたほうがいいのでは」というような提案はまったくしない。

 今もだと思うのですが,日本のカウンセリングの衷心です。

 さて,不登校の相談においてもそれが用いられているのではないか,とぼくは思うのです。

 不登校の子どもの気持ちを理解する。それは大切なことなのですが,それだけをすれば,問題が解決すると思っている。

 しかし,そうすることで問題は悪化しているのではないか。

 不登校の場合,時間も問題です。

 不登校の期間が長くなればなるほと,学校の授業が分からなくなる。そして,クラスのみんなとも距離ができる。

 だんだん敷居が高くなる。

 だから,ゆっくりしていると,学校にもどることがどんどん難しくなっていくのではないか。
不登校の問題として、心の問題もあるようです。
まずは新聞記事の紹介から。

         -------------------------------------------------

 日本大学医学部精神医学講座の内山真教授は、「不眠は、うつ病のリスクを高める。心身の健康のためには、快適な睡眠が非常に重要です」と警鐘を鳴らす。
 うつ病と不眠は、実は神経質、きちょうめん、完璧(かんぺき)を目指すなど、「かかりやすい人の素因がどうも共通している」と同教授。心身へのストレスが、不眠と同時にうつ病をもたらす可能性もあり、「うつ病を防ぐためにも、きちんと眠る生活習慣を身につけてください」と話す。
 中でも大切なのが、「仕事の休みの日に長く寝すぎないこと」。休みの日に、暗い部屋で昼近くまで寝ていると、「体内時計が狂ってしまい、それがきっかけで、不眠が始まることもある」(同教授)からだ。

         -------------------------------------------------

         睡眠調査:平日と休日の時間差、大きいと不眠やうつに

 休日に寝過ぎると不眠やうつになる傾向が強いとの調査結果を内村直尚・久留米大助教授(精神医学)が16日発表した。内村助教授は「良い睡眠を取る秘けつは、毎朝、同じ時間に起きること。平日と休日の睡眠時間の差は、2時間以内に抑えた方が良い」と話している。
   毎日新聞 2007年3月16日

         -------------------------------------------------

 最近では、テレビを見たりゲームをしたりして夜更かしをし生活リズムが狂い、うつになったりする児童生徒が増えてきているようです。そして、うつになると普通の学校生活が出来なくなり、不登校になったり最悪の場合は自殺したりする事もあるようです。

小4〜中1の鬱病「4%」も 北大調査
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/89213/
睡眠,大切ですね。

 休みの日に寝過ぎて,体内時計がくるい,それも原因のひとつになって,不登校に,

 納得です。

 ゲームも不登校を多く産む原因のひとつかもしれませんね。


 とにかく規則正しい生活をする,

 直接は関係しないようにみえて,不登校とおおいに関係がありそうです。
私は、過去に何人かの不登校の生徒と関わったことがありますが、一人一人状況が違いますからね。一人一人に対応するしかないかな。只、保護者のケアーをちゃんとすることが大切だと思います。保護者の不安を和らげれば状況も進展します。

  今の日本の学校って、戦後60年間さほど変わってなくて、そんな学校に行き続けるのに疑問も持つのもありかなと思っています。
 ぼくは,以前保育園をやっていました。

 そこで,保育園に比較的早く慣れる子と慣れない子を見比べると,大きくふたつに分かれていたように感じます。これはきちんと調査をしたわけではなく,あくまでぼくの感じですが。

 それは,
A 共働きでよっぽどのことがない限り子どもを休ませることのできない家庭と,
B お母さんが家にいるか,おじいさんおばあさんが家にいて,子どもが休んでも,特に困らない家庭です。

 Bの家庭の子どもは,保育園に慣れるのにとても時間がかかるか,なじめず辞めてしまう傾向にありました。

 Aの家庭の子どもは,比較的早くなじんで,保育園生活を楽しんでいました。

 Bの家庭の子どもは,苦しんでいるように感じました。毎日,毎日が,きょうは休ませてもらえるのだろうか,行かなければいけないのだろうか,という葛藤が続くのです。

 それに対してAの家庭の子は,さっさとあきらめていて,保育園での楽しみをさがしているように感じました。

 
セルジオJr さんのコメントにあるように,学校に行くことに対して疑問をもつことも大切だと思います。

 また,生グレ姉さん のコメントのように「ケースバイケース」であり,家庭だけの問題だというつもりもありません。


 ただ,「学校は行かなくてもいいよ」と思う傾向が,子どもたちを苦しめることにつながっていないか,と思うのです。
 
生グレ姉さん
「学校に行かなければならない、行った方がよい」という私個人の考えを箇条書きにすると次の通りです。

1,科学技術が高度に発達し、社会が複雑化している現在では、人類の文化資産を学んだり伝えたりするのは、学校が適している。
2,社会性を養うには、同じ年頃の子ども達が学校のような集団で生活する必要もある。
3,2と重複する部分もあるが、同年生という貴重な仲間達を作るのに環境が整っている。
男女問わず、幼い頃から同じ学校に一緒に通っていた同年生達とは、他の年代の人たちとは異なる特別な関係が築かれています。これはとても大切なものだと考えています。


私は28年間学習塾を経営しているので、私自身の子どもたちを大学に進学させる事だけが目的なら、学校に行かすよりは自分で教えた方が遥かに効率よく学ばせる事が出来ます。しかし、2と3は、学校でないととても難しいのです。
学校に行くべき理由には、色々あるとは思いますが・・・。
まず、私が思うには対人関係を学ぶには学校が一番手っ取り早い場だと思うからです。
限られた中での人間関係ですから、それが全てとは言いません。

人間は一人では生きていけないのです。
いくらITが発達しても結局最終的には、目の前に居る人とのコミュニケーションが必要です。
人と目を見て話すこと、たとえ言葉を交わさなかったとしても、
他人と接する関係を学ぶことが必要だと思います。
学んだ後で、人との距離を多めにとるか短めに取るかは個人の問題だとしても、
子供の時に学ばないとその距離感を掴み難いと思います。

Yojiさんの保育園の子供の話、一理あると思います。
子供にとって安心できる場所が家に有るとなかなか外へは、心が向かないと思います。
子供は正直ですね。

だからこそ「可愛い子には旅をさせろ」と言う言葉が出てくるのでしょうね。

外の世界は怖いけど、でもその体験も必要なんだよ。
上手に表現できませんが、私の思う所はそんな感じです。

無理矢理首に縄をつけてでも・・・とは言いませんが、
「本当は学校へは行くべきなんだよ。」という事を関係者は忘れてはいけないかなと思います。

鬱については、身近にも居ましたがその人その人によって抱えている問題が違うからなのか、
症状も色々だったのでどう対処するべきかは担当医との連携が大切だと思います。

 テーマからずれているわけではないのですが,ひとつ大きな話題になってきました。

 そして,とても大切なことが意見交換されていると思います。

 それで,別のトピック「学校へは行くことは必要か」として立ち上げたいと思います。
 そして,それに関連するコメントは転載いたします。もし,不服の方は申し出てください。削除いたします。
>Yojiさん
 
 保育園をされていたんですか。うちの子の状況はAでしたが、3年保育の最初に楽しみに行った幼稚園で、いきなり年長の子にぶたれてそれから2、3日は我慢して行きましたが、その後登園を渋りました。園長に相談して、本人が親がいれば行くというので、なれるまで、親が教室まで行く許可をもらいました。そんなこともありました。

私が書いた、「そんな学校に行き続けるのに疑問も持つのもありかなと思っています。」とは「学校に行くことに対して疑問をもつことも大切だ」とはちょっと違って、「つらい思いをしてまで学校に行き続けることが出来ない」子もいるだろうなってことです。
セルジオJr さん

 そうでしたか。

 私が,このトピを立ち上げるときに,躊躇したところもありました。

 というのは,不登校はかなり広がりをみせていて,このコミュニティに参加している人の中にも,不登校で悩んでいる人,または過去に悩んでいた人もいて,傷口をさわるようなところもあると思ったからです。

 生グレ姉さん も書かれているように,ケースバイケースです。ワンパターンでこのようにしなければいけないというものではないと思います。

 だから,場合によっては,学校に行かない方がいい,というふうになるでしょう。特に,最近はいじめによって自殺,ということもあるのですから,それよりは学校に行かない方がいい,ということになるでしょう。

 しかし,今後のために,考えていた方がいいだろうと思って,立ち上げました。

 セルジオJr さんのケースもそのひとつだと思われます。

>>「そんな学校に行き続けるのに疑問も持つのもありかなと思っています。」とは「学校に行くことに対して疑問をもつことも大切だ」とはちょっと違って、「つらい思いをしてまで学校に行き続けることが出来ない」子もいるだろうなってことです。

 に関しては,私が早とちりしてしまったようです。

 ただ,学校に行くことの意義については,一度みんなで語り合うのもいいと思うので,トピを立ち上げたことに関してはよかったのではないかと思っています。

 
「つらい思いをしてまで学校に行き続けることが出来ない」子もいるだろうし,そういうケースでは,無理に行く必要はないと思います。
 不登校について,もうひとつ書いておきたいことがあります。

 以前にも書いたことがあるのですが,

 「共感」と「同情(同感)」とは,ちがうということです。

 不登校の子どもは苦しんでいます。

 その子の気持ちをわかってあげる,共感するというのはとても大切なことです。

 そのために,その子が心を開いて話をするように,親身になって聴くという態度が必要です。そして,その子の気持ちを分かるように努力することが大切です。

 しかし,同情してはいけないのです。ここで同情というのは,その子と同じ気持ち,同じ心になる,ということです。

 学校に行きたくない,という気持ちは理解する,しかし,そうかということで,親,教師も行きたくないという気持ちになる,ということに全く同じ気持ちになってはいけないのです。

 そうではなくて,一歩だけ離れて,クールな目をもって,ではどうすればいいのかを考える必要があると思うのです。

 親や教師も同じ気持ちになっておろおろしていてはいけない。もっと遠くを見つめ,解決の方法をさがすことができなければいけない,と思うのです。

 この問題では,特に「共感」と「同情」の区別をすることが大事だと思います。
なるほど!!「共感」と「同感」の違いですね。

私の言いたい感じと似ています。
そうだね・・・と受け入れつつ、でも軸はぶれない。しかし、押し付けない。

親は、子供の事となるととかく視野が狭くなりがちですから、判断をミスりがちかもしれません。
別トピのように親は最悪の教師ですから、感情をぶつけやすいです。
情緒が不安定だからこそ、不登校になる所へ感情論が飛び込んで来ると殻に閉じこもりたくなります。
時間が経つと殻が厚くなるのか、殻から出る方法を忘れるのか解りませんが、
問題はこじれやすいです。

だから、不登校の期間は長くならない方が良いと思います。

幼稚園児の不登園は、親にも学校より強いて行かせなくても・・・という思いが
どこかにあるとたぶん見抜かれます。

私達姉妹は、学校に行かないとごねる事は無かったのですが、
幼稚園はどちらも理由は違っても時々「行かない」とごねましたよ。

今から何十年も前になりますけど・・・。
当時、日曜学校の代わりに月曜日が休みの幼稚園だったと思うのですが、
親は日曜学校へ連れて行くのが面倒で(不謹慎な話)日曜日に勝手に休ませていました。
親の勝手な判断でお休みできると薄々知ってしまった私達は、
自分の都合で(ツベルクリンの注射が嫌など)行きたくない=休むと言い張りました。
親は、ツベルクリンをさせなかった事で結局、別の日に病院へ連れて行かなくてはいけなくなりました。
余計に面倒をかけたとブーブー文句を言われましたよ。
当時は、怒られてもこの日さえ逃れれば注射はしなくて済むと短絡的な発想しかなかったもので、
後々怒られながらも注射をしなくてはいけないことにがっかりしました。

親には、口が裂けても注射が嫌だったとは言えませんが、
元々自分の都合で行かなくても良いと思わせた親にも責任はあると思うので、
未だに謝る気はありません。

子供のお友達には、幼稚園の給食のおかずによって行く行かないを決めていた子がいましたよ。
冷蔵庫に貼ってある献立表が読めたんですね。
その謎が解けるまでかなり時間がかかっていましたが、
謎が解けると親も上手いこと言い含めて連れて来ていましたよ。
愛林檎 さん

 私が言いたいことですが,「うまい表現をしてくれるなあ」と感心しました。
 今後使わせていただきます。

 「軸はぶれない」
 「親は最悪の教師ですから、感情をぶつけやすいです」
 (「親は最悪の教師」というのは私が言ったのですが,なるほどここでも同じ原理が働いているのか,と思いました)

 「時間が経つと殻が厚くなるのか」などなど。


>>元々自分の都合で行かなくても良いと思わせた親にも責任はある

 には笑ってしまいました。

 
確かに最近は『何が何でも学校に行け』という保護者は少なくてむしろ『来週は海外旅行するから休みます』なんて連絡してくるのがいたりします。平日だから学校あるはずなんですけどね…

こういうのを無言のメッセージと僕は勝手に呼んでいるんですが、そういうメッセージを受ければ子どもも無意識に『学校は行かなくてもいいものなんだ』となると思います。

自分の子どもが幼稚園の時、妻が子どもを幼稚園に車で迎えに行って制服着たまま、どこかに出かけたことがありました。
『幼稚園から家まで歩いても10分かからないようなところで何で一度家に帰って制服を着替えさせてから行かないんだ』と怒ったことがありました。
この行為は『寄り道してもいいよ』に等しいと思いました。
また、小さい時に混んでいる電車で床に座らせれば大きくなっても座りますよね。

話がそれてしまいましたが保護者の何気ない態度から頭に変なものが刷り込まれていく…そんなことはたくさんあると思います。

もっとも良い刷り込みもあります。
不登校になる原因はいろいろあると思いますが、学校側の話を聞く限り、不登校になるのは夏休み明けなどが最も多いとの事です。

学校が休みの日は普段より夜遅くまで起きる事が多く、夜遅くまで起きていると起床時間が遅くなります。朝遅くまで寝ていると普段の就寝時間になってもなかなか眠くなりません。
>6で紹介した新聞記事に書いてあるように、
このようにして体内時計のリズムが狂いだし、精神的にも狂いが生じて来ることが不登校の一番の原因なのではないかと思います。

他府県ではどうか分かりませんが、夏休み明けの1週間程は眠そうにしている子ども達があまりにも多く授業がなかなかはかどらないと、私の子ども達の通っている学校の教師が話していました。
これは、受け売りですが・・・
「休みの日に1日、家でダラダラ過ごすと筋肉量が1%〜2%落ちる」そうです。
ということは、休みの日に「家で寝て過ごす」や「ゲームで過ごす」というのは、
休み明けの行動が億劫になる原因にも繋がるのでは?と思いました。

身も心もだるくては、意志が弱いと負けてしまいますね。
そこへ「行かなくて良い」となると渡りに船になるわけで・・・

やはり、たとえ学校へ行かなかったとしても、不登校の子には外へ出る行動を積極的に何かさせた方が良さそうですね。
 半年近くも前に最後の書き込みがされているトピックに書き込んでもいいものか?と思いながら書いています。

 私の塾にも不登校の生徒がここ2年で3人いました。そのうちの一人は今現在も午前中に一人で来ています。

 3人に共通するのは、とてもおとなしいということです。自己表現が乏しいわけではなく、表現力が弱いとでもいうような感じです。

 私も実はこのような子どもでした。中学生時代1・2学期は誰も友達ができず3学期やっと友達が出来たら、組変えという感じでした。

 普通にげらげら笑いながら好きな事がいえる人がとてもうらやましかったのですが、自分にはとても出来ませんでした。

 一人でいても誰も私を無理矢理仲間に入れようとはしませんでした。それでも誰にも嫌がれることもなく無味無臭の存在として居ることができたのです。

 今は、こういうタイプが許されない環境になってしまったような気がします。

 いつも誰かに合わせてみんなが大体同じような反応をしなければ、同級生になれない。

 今来ている子は、「学校に行くと自分の居場所は、自分の机の面積だけという気がする。その他の空間には一切出られない。」と言っていました。

 合わせられない子は、居場所まで限定されるのです。

 多分それは現在の大人の意識が、常に他人との比較でしか自分であったり、子どもを観ることができなくなってしまっているのではないかと思います。

 その意識が子ども全体を包み込んでいる。

 金子みすずさんの「みんなちがって、みんないい。」を実行できる環境を作るためには、まず大人が、一人ひとりの価値を認め評価する力をもてるようにならなければと思います。

 子どもを育てその環境を作っているのは、私たち大人だからです。
 
「みんなちがって、みんないい」

金子みすずさんの詩を読んで、ほんとそうだなぁって思うのに、正直自分の心のどこかに「こうあるべき」みたいな”規格”があったような気がします。

私は男の子ってみんな”野球”や”サッカー”が好きで、外で飛び回っているものだと思っていました。というか”男の子はこうあるべき”みたいな。
親しい友人に息子さんがいます。彼は野球もサッカーもほとんどやらない、家でゲームをやっている方が好きというタイプ。

友人から息子さんのことを聞いた時に私の”規格のものさし”が「ええっ? 男の子なのに、なんで?!」って思わず反応してしまいました。

もしかすると他にも私はものさしをもって人や子供たちをを測っていたんじゃないかなと思います。
”はきはきしていた方がいい””元気な方がいい””楽しい性格の方がいい”って。

でも、”静かな人””無口な人””引っ込み思案な人”が実はたくさんの魅力を秘めているんですよね。

元気な子も、物静かな子も、あわてんぼうも、のんびり屋も、きちんとした子も、癖のある子も・・・どんな子でも居心地がよくて自分は受け入れられているって感じられるクラスや集団があったら素晴らしいですね。

それには上に立つ大人がどんな心持ちでいるのかが大きく関わりますね。
私の娘達の担任の先生にもいろんなタイプの先生がいましたが、優等生タイプの先生(勉強ができて、劣等感に悩まず順調に先生になった)よりも、苦労人タイプの先生(浪人を経験したり、劣等感やいろんな悩みを克服してきた)の方がクラスをうまくまとめたり子供たちに慕われていたように思います。
不登校ぎみの生徒指導もそうした先生があたられるのではないでしょうか。
「みんな違って、みんないい」は私が、個別自立学習を始めた時の「キャッチコピー」でした。どこかで聞いたことがあったかもしれませんが、その時は自分で考えたコピーに思っていました。


私は男2名の子供がいますが、上の子は運動オンチでした。文武両道を基本理念とする私は、運動や、部活をけしかけていましたが、最後に運動全て辞めて、コンピューター部に所属していました。

小中学生と変わった子でいつもいじめられっ子でした。 ゲームお宅で、コミケと称するマンガコミックマーケット(年に2・3回催し物があります)に嵌り、勉強は2の次でした。でもその時子供を理解しようと、主人と2人でコミケにこっそり覗きにいったことがあります。

28歳なる今でも時々、熱中しています。
但し、今は仕事としていっているようです。
今は、ゲームプログラマーの仕事をしています。

あの当時、いったいこの子はどういう将来になるのかと心配していましたが、多分その子に合った人生が用意されているんですね。

決めつけるのは危険だ。と後で、後悔しました。

2年前に、地元の中学校で、不登校の生徒に、勉強を教えると言うボランティアをしたことがあります。個人的に見るとみんな良い子でした。

子供には味方が必要です。誰かが『今のままでいいよ。』応援してあげないと、1人ぽっちになりそうです。



クリスさん,

 半年も前のトピックを解凍してくださってありがとうございます。こんなのは大歓迎ですよ。昔昔のもう化石になっているものも掘り起こして解凍してください。

 さて、

 「みんなちがって、みんないい。」

 いいですね。ぼくは、セルフラーニングはそういうものだと思います。みんながちがうペースで、自分のものをそれぞれが学んでいく。

 みんなちがっているのだから、みんないっしょに同じことなんかできるはずないじゃないか、と思うのです。

 だからセルフラーニングでそれぞれの個性を伸ばし、それぞれが必要とするものを身につけていくことが大切だと思います。

 いま中学1年生ですが、小学2年の漢字の読み書きができないのでそれの学習をさせています。みんなちがっているのです。

 不登校だった子をセルフ塾で指導したケースをブログに書き込みました。
(Kくんのこと)
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-280.html
(Kくんのこと:つづき)
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-281.html
(不登校児Kさんのこと)
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-272.html
{不登校児Kさん(つづき)}
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-275.html


らみいさん

 ぼくは、浪人も経験しました。それよりも中学のころ、まじめな生徒ではなかった。反抗的でした。成績は悪くはなかったのですが。

 だから、不良仲間ともよく付き合いました。ぼくは陸上部に属していたのですが、グランドで練習をするので、他の部の人とも仲良しでした。野球部は不良が多かったです。でも彼らといっしょに楽しんだ思い出があります。
 だから彼らの気持ちもわかるような気がします。


 スージーさん、
 「決めつけるのは危険だ」は本当に同感です。子どもの未来なんてだれにもわかりはしません。

 あさのあつこ著「バッテリー?」で、主人公巧の祖父のせりふに次のようなのがあります。
「こいつはこうだなんて決めつけてしもうたら,たいていあとでしっぺ返しがくる。おまえらの年代はな,そういうもんなんじゃ。怖いぞ,ほんまに」
 詳しくはまたブログ
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-311.html

 まさにそうだと思います。


 ただ、

>> 子供には味方が必要です。誰かが『今のままでいいよ。』応援してあげないと、1人ぽっちになりそうです。

 の部分については微妙に異論があります。

 子ども味方になることは必要です。応援し、一人ぼっちにさせないのも。

 今の状態を受け入れる、共感することも大切。

 しかし、それを認めるわけではない。「今のままでいい」というわけではない。

 ぼくはやはり学校は行ったほうがいいと思っています。今の状態に共感しながらも、学校に行く方向で、無理のない行動を起こすことはできないだろうか。そういう模索はできないだろうか、と思うのです。

 前にも書きましたが、共感するということと同情する、認めるというのは違います。

 子どもの気持ちを理解することに関して全力で取り組むことは必要です。しかし、それでいいのかもまた考えていきたいと思うのです。
 Yoji先生 ご返事を頂きありがとうございました。

 ブログの報告も読ませていただきました。

 昨年、夏にきた中学3年生の不登校の生徒さんは、中1の4月以降学校に行っていないということでしたが、親御さんがどうしてもこのまま受験もせずに時間が過ぎていくのは耐えられないが、学校の先生も積極的には考えてくれず、途方に暮れているということでした。

 私は受験は思考力勝負と思っているのですが、結構思考力のある子どもさんでしたので、偏差値42ぐらいの高校を受験することを勧めました。

 フリースクールに行っていたので内申はとても低いものでしたがありました。学校の先生は反対されましたが、受験科目が国語だけという学校でしたので、うちの教室では、小学5・6年の国語と受験前に少し長文読解に取り組み受験に臨みましたが、うまく合格することができました。

 なんと高校に入学以来一日も休んでいないというのです。今もときどき来ますが、インターホンでの声が全く変わってきました。

 人はどこかの社会に属して自分のいる場所をもっていないととても不安定になり、生きていけないもしくは成長できない存在だと思います。又人は心でも生きていますから、学習することによって心が充電できるのだと思います。

 今では来るたびに表情にメリハリ感が増して、声が大きくなり活き活きしています。それが私にとってはご褒美なのです。

 

 
 
クリスさん,まったく同感です。書かれていること,ひとつひとつにうなずきながら読みました。

 塾で学習することにより,分かる,自分もできるんだという自信がつくように感じます。そして,それが自己肯定感につながります。これはとても大切なことです。それが感じられるようになると,さらなる成長を目指そうという気になります。

>>学習することによって心が充電できる

 ぼくは文学的表現が苦手なのですが,そういうことをぼくも言いたいです。

>>私にとってはご褒美なのです

 本当にそうです。この子達が明るい顔でやってくると,本当によかった,やったかいがあったと思いますね。 
 
> 子供には味方が必要です。誰かが『今のままでいいよ。』応援してあげないと、1人ぽっちになりそうです。

 の部分については微妙に異論があります。

 しかし、それを認めるわけではない。「今のままでいい」というわけではない。

と言う、yojiさんの意見もわかります。


私は学校に行かないという選択肢は(自分の子供に置き換えると内心穏やかではないのですが)ケースバイケースでそれもありと思っています。

不登校の生徒を見ていると、どういうわけか、高校にいくと、9割近く、立ち直っていきます。

多様化する大人の人間模様のなかで、小中学の不安定な時期に『学校に行かない』ことをしか選択できない(またはそれを選ばざるを得なかった)心の未熟さとか、幼さがそうさせるような気がするからです。

少し、世間が分かってくると、やがて自分も成長し、世の中のサイクルにはまっていくようです。

不登校の子もどこかで、自分も皆と同じように学校に行きたい、勉強したいと知らないところで葛藤しています。
それを見守ってあげるのも、大人の役目と思っています。

>25スージーさん
横から失礼します。
スージーさんの、不登校の子ども達に対する理解、本当に素晴らしいと思います。今の時代は、そういう問題を抱えた子ども達にも共感出来る教師や親の存在がとても必要とされていると思います。

ところで
>子供には味方が必要です。誰かが『今のままでいいよ。』応援してあげないと、1人ぽっちになりそうです。

という文についてですが、子どもに味方が必要だということには大いに賛成ですが『今のままでいいよ。』ということには、私も異論があります。

不登校に限らず、ほとんどの子ども達は現状に満足していないことが多く、何とか現状を改善あるいは打開したいと願っていることがほとんどだと思います。

すでにスージーさんが実行されていることだと思いますが、日々の生活に疲れ切っている子は、疲れているままでその子を認め受け入れ疲れを癒す必要がありますが、ある程度元気になってきたら「本当はその子がどうしたいのか」を知ることが大切です。
そしてそれと平行して、「実はあなたはこういう事も出来るんだよ。」とその子の可能性に気づかせ、その可能性を引き出すお手伝いをすることも、私たちがなすべき大切な役割だと思います。

私は高校2年の2学期までは、成績が学年で中の上という程度でした。しかし、2学期の終わり頃、姉から「記憶術」の本を紹介してもらい他の勉強法と併用して実行したところ、田舎の高校ではありますが、3年の夏休みにあった大学入試模試では学年で2位以下を大きく引き離してのトップになっていました。

あの頃の経験を生かして、現在の私の塾では、勉強そのものよりも「勉強法」と「能力開発」の指導に力を入れ、それなりの実績も上げています。

「人間は一生かかっても脳を5%くらいしか使うことが出来ない」といった言葉を聞いたことがありますが、本当にそうだと思います。
29 スージーさんのコメントには異存はありません。

 学校に行く,行かないは,ケースバイケースです。たしかに。

 ぼくは「絶対に」行くべきだとは思いません。学校に行くことを勧めるにより,最悪は命を失うかもしれません。また,心がぼろぼろになるかもしれません。

 そういうケースもありえます。

 だからこそ,その子も気持ちに共感することは大切ですね。


 スージーさんのコメントに,

>>少し、世間が分かってくると、やがて自分も成長し、世の中のサイクルにはまっていくようです。

 とあります。
 
 子どもも心の中にも,どこかで自分は成長したいという気持ちがあるはずなんです。「このままでいい」ということではない。

 無理強いしてはいけない,しかし,その子の中にある成長する芽をきちんと伸ばしてあげたいと思うのです。
私の親しい友人達の何人もが自分の子供の不登校を経験していたり、仕事柄、不登校の子供たちや大人になってからも社会に出られずにいる人達とかかわることがあり、自分なりに”不登校問題”について調べたり考えたり、またいろんな人から話を聞いてきました。でも、ほんとに算数の数式のようにはきれいに答えが出ないし、よい説明ができないで未だ混沌としているところがあります。

いくつかの不登校になってしまうケースがあるようですが、
私の知る限りではこんなパターンがありました。

1.子供さんは真面目できちんとした性格。繊細なところがある。
  学校の先生からは信頼され期待されていて、クラス長などを任される。
  でも自分の中では自己像とのギャップが存在する。先生も親も友達もそのことに気
  づかない。それがやがて大きくなり次第に重荷になり、やがて期待される環境へ身  を置くことが苦しみになる。


2.真面目で静かなタイプ、あまり自分のことをはっきり表現しない。
  他の子達のように群れて遊ぶのではなく、自分の世界を持っている。クラスのボス  的存在から眼をつけられ、いじめの対象になってしまい学校へ行くことができなく  なる。


3.非常に個性的、わがままなところがあり、他の子供たちとの人間関係がうまくいか  ない。親は子供の味方になるのはいいが学校や先生の悪口を子供の前で平気です   る。その子にも問題点があるのにすべての非は他人にありと親も子も表現する。従  って優しく親切に受け入れてもらえる時は学校にいるが、ちょっと問題が起きてス  トレスが生じると学校を休む。  

これらはほんとに身近な所での事例です。

もう一つ、私の娘のことです。書こうかどうしようか迷いましたが、何か皆さんの参考になればといいなと思い、お分かちします。

娘は不登校にこそなりませんでしたが、小学校6年の卒業を間近にひかえたお正月明けからまるまる2ヶ月学校に行かれなくなりました。担任の先生から「不登校になることも覚悟した方がいいですね。」と言われた時はこれからどうしていったらいいのだろうかと、ほんとに目の前が真っ暗になりました。

ある日曜日の朝、「頭が痛い! 目の前がチカチカする。」といい不調を訴えました。
その時は風邪もひいていたのでもう一度内科に受診して学校を休ませましたが数日しても一向に改善しません。頭痛はひどく今度は他の医者、脳外科、婦人科、もうあらゆる病院で診てもらい薬を変えてもよくなりません。でも最後に漢方のお医者に行った頃からどうも”自律神経の不調”らしいことがわかり、その原因がストレスということで心療内科的な処置を受けるために総合病院で入院させてもらうことにしました。

1ヵ月家庭環境と学校環境から全く離れて、自分のペースで病室で生活し、担当の女医さんに自分の話を聞いてもらい、病院の中を歩き回っていろんな人と話をし・・・そうしたらそのうち顔の表情も明るくなり、頭痛もいくらか改善してきました。
症状はいわゆる”緊張性頭痛”というもので、頭痛薬では効かず、安定剤が効果がありました。

後でわかったのですが思春期には心と体のアンバランスが生じ、またいろんなストレスが引き金になってこの時期(小学校高学年〜中学、遅い人は高校でも)こういうことがよくあるのだそうです。
娘の場合は友人関係や先生との関係、勉強のこと、家族とのことも含めていろいろな悩みが重なったことが原因だったようです。


このことをきっかけに、我家も不登校問題とは無縁ではないんだな、どんな家庭でも起こりうることなのではないかなと思いました。この問題はほんとにいろんなケースがあって複雑なので一言では語れませんし、語る人もよくよく勉強しないとダメじゃないかなと思っています。


(すみません、前半の文章、クリックしたら行が飛んで読みにくい箇所が生じるかもしれません)

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