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平沢進 / Susumu HirasawaコミュのPhantom Notes

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コミュ内全体

公式サイトの、貴重な、平沢進さんによる、
平沢進さんの、『Phantom Notes』を、
そのまま、こちらでも、掲載させて頂こうと思います。
問題あれば、ご指摘下さいませ。
このトピックに関しましては、
コメントは、つけないで下さいませ。

コメント(43)

平沢進さん、御執筆の『Phantom Notes』
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2008年1月21日(月曜日)

どこまで行ったかSP-2本 4

θ=6 β=4

SP-2本は書き下ろし+過去の文章+写真という構成になる。すでに書き下ろしの量は過去のものをだいぶ超えている。もう少し書くつもりだ。出来るだけ多くの写真も使いたい。良いデザインで、視覚的な本という印象も持たせたい。

今書いているエピソードでは本人の言葉が多く配置されている。このパートも他のパートとはすこし違う。あるSP-2が日本のGIDを意識しながら語っている。このパートだけは日本のGIDに向けたエピソードとしてまとめられるだろう。日本のGIDがこの本を手に取るかは未知だが、共感を得られるか、一笑に付されるかは五分五分だ。日本人とタイ人は違うわけだから。

さて、今日はもう少し書くか。
平沢進さん、御執筆の『Phantom Notes』
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2008年1月22日(火曜日)

どこまで行ったかSP-2本 5

θ=7 β=3

Helenの方法、というエピソードを書いている。はじめから暴走して収まりがつかなくなっている。SP-2とは関係ない話しに膨らんでしまった部分をごっそりカットしよう。こういうことを言うと「カットしたところを別の機会に公開してー」という声が聞こえてきそうだ。やなこった。明日バッサリとこの世から消去する。痕跡だけを見るほうが楽しい事だってこの世にはある。

日本のGIDに向けたエピソードが意外とスタッフに評判がいい。ヒラサワのこともSP-2のことも知らない人にとって分かりやすいという評価だ。このエピソードが日本のGIDの励みになれば、などと身の程知らずな事は考えていないが、彼女が日本のGIDを意識しながら語ったことは漏らさず書いておいた。しかし咄嗟のインタビューだったので、走り書きのメモしか無かった。一カ所、確認を取りたいと思ったが、彼女の電話番号を聞くのを忘れていた。そこで、あるSP-2にSMSメッセージを送り、彼女を捜してもらい、確認してもらったところ、「何と言ったか自分も忘れた」ということだった。あり得る答えだ。漏らさず書いたと言ったが、その部分は当然ボツだ。

話は変わるが、普段はどんなにしっかりしていても、物事の判断に際して"快"、"不快"に左右されてしまうSP-2が居る。私の知る他のタイ人にもしばしば見られる現象だ。彼女は"快"を選んだがために、間もなく痛い目にあうはずだ。警告を発しておいた。

んーーー。
平沢進さん、御執筆の『Phantom Notes』
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2008年1月23日(水曜日)

どこまで行ったかSP-2本 6

θ=8 β=2

ぼちぼち書き下ろしは終わらせてもいいのだが、まだちょっと書き足りない気分だ。本日Helenの方法を書き終えた。

本日からsato-kenが撮った写真を載せてみるか。しかし、やっぱりヒラサワがカメラを持つのはあまり様にならない。撮られていることを意識しながら撮ればもう少しどうにかなるかも知れないので、今度そうしてみよう。無理だ。

なんか、こうして書き進めて行くうちにちょっとした欲が出てしまった。一つのエピソードに数枚の写真をセットし、専用のBGMを付ければもっと私がねらう気分を読者持たせることが出来るんだろうなあと。しかし、無理だな。やらないからな、そんな大変なこと。そんなことしてたら新譜やライブが来年になってしまう。一日が96時間ならいいのに。
平沢進さん、御執筆の『Phantom Notes』
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2008年1月24日(木曜日)

どこまで行ったかSP-2本 7

θ=8 β=2

本日、最終章を書き終えた。しかしまだ脱稿ではない。これから過去の文章に手を加えたり、書き下ろしの一部を破壊したり、ノイズを加える作業を行う予定だ。今日は24日。どうやら締め切りには間に合いそうだ。ホントか?

現在ケイオスユニオンでは今後のリリースやイベントなどのスケジュール調整をしている。毎年のことだが、割り込みのプロジェクトなどによってスケジュールは再調整が必要になる。それは年に何度か行われる。ゆえに、スケジュール公開はなかなか難しい。しかし、すでに固まりつつあるスケジュール次第では、脱稿はもう少し後でも良くなる可能性がある。そうなれば嬉しい。いじりたおせるからな。
平沢進さん、御執筆の『Phantom Notes』
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2008年1月26日(土曜日)

どこまで行ったかSP-2本 8

θ=8 β=2

本日は過去の文章を二つ加筆した。分量的にはそろそろいいのではないかと思い始めている。今日までのところをスタッフに読んでもらい、いろいろと指摘してもらいながら、微調整を行っている。そう言えば、まったくヒラサワもSP-2も知らない人のために、まえがきが必要だな。明日書いてみよう。

後半になってしみじみ思うのは、このような内容の本は世界で初めて書かれたんだろうな、ということだ。他の本と比べられずにすむ、と思うとほっとする。


どこまで行ったかSP-2本 9

θ=8 β=2

前書きを書いてみた。私のリスナーには教えてしまってもいいだろう。あの前書きはまるで罠だな。いや、悪意で書いたわけでもないし、騙そうと思って書いたわけでもない。なるべくシンプルに、分かりやすく書いただけだ。ウソも書いてない。まして、広く一般に媚びているわけでもない。こう書くと、なにか仕掛けがあるかのようにも思えるが、そんなこともない。ただヒラサワがシンプルにモノを書くなどということ自体がひねくれて見えるということか。

前書きを書いたことによって、本編冒頭も書き換えるはめになった。しかしこれはいずれ書き換えるつもりでいたので問題ない。明日はこれを終わらせてしまおう。
平沢進さん、御執筆の『Phantom Notes』
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2008年1月28日(月曜日)

どこまで行ったかSP-2本 10

θ=8 β=2


どこまで行ったかSP-2本 11

θ=7 β=3

全て書き終えたと思う。でもまだ終わりではない。書き終えた原稿を見直し、改良点はないかチェックするつもりだ。これが危険だ。またボツ癖が出て書き直しなどということにならないように自制したい(希望)。

しかし、もう何度も読み直しているうちに新鮮みがなくなってしまった。これが危険だ。書き直しなどということにならないよう自制したい(希望)。

ヒラサワ流訳分からないものも混ぜてやった。表紙と前書きだけを見て買った人は毒を喰らうかもしれない。そしたらみんなで歓迎してやって欲しい。

言いたいことがきちっと書けていても、語呂が悪かったり、リズムが悪かったりするとボツにしてしまう。やはり私は音楽屋だな。
平沢進さん、御執筆の『Phantom Notes』
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2008年1月30日(水曜日)

どこまで行ったかSP-2本 12

θ=7 β=3

まずい。はじめのころに書いたものがほとんど気になりはじめてきた。しかし、きりがない。これは音楽作りと一緒だ。きりのいいところでやめないと何時までも続く。その先は本人にしか分からないようなところをこねくり始める。永遠に続く、だ。

どの順番で並べるか、今日ざっと見てみた。まるでCDを作るときの曲順を考えるのと同じだ。これはちょっと難しそうだ。明日やることにしよう。


どこまで行ったかSP-2本 13

θ=6 β=4

脱稿した。

本は15篇のエピソードから成るエッセーのようでないようで、よく分からない形式の話で埋められている。Phantom NotesやGHOST NOTESの親玉のようなものだと思ってもらえば良いだろう。しかし、15篇と言っても1篇が長いので章と呼んでもいいかもしれない。

ま、楽しんでもらえることを祈りつつ。この「どこまで行ったか」シリーズはこれでおしまい。

じゃ。
2008年7月3日(木曜日)

三角形の円周を見た男-平沢四郎のミーム

θ=7 β=3

そんなタイプの男は地域に5人は居たよ。たとえば平沢四郎は褒められた物を何でも人にあげてしまう。買ったばかりの鰐皮のベルトとか。「それいいですねえ」と言えば「持ってけ」とその場でベルトを外す。平沢四郎は私の叔父だ。私は彼を「最後の亀有」だと思っている。彼は空間に石油のニオイのする金魚を見ながら死んだ。彼が「見える」と言ったのだから、そうなのだ。

三角形の円周を見た男など序の口である。その男は買ったばかりの「まぜごはん」や「おはぎ」を初対面の人間にくれてやろうとする男。そして「三角形の円周を見た」と、その重大発見を周囲の人たちと共有しようとする男。しかし、そのような男は警戒され、時には恐怖される。他人様に敵対心など微塵も無く、地域に住む人間は一人残らず自分の仲間だと信じ、誰にでも親愛の念を抱いていることを躊躇なく表現する男は、恐怖の対象なのである。もはや世界はそんなふうになってしまった。人間関係は再編成されたのだ。かく言う私も、その男にもらった「おはぎ」に悪い物が入っているのではないかと、数秒疑った。私は自分に恐怖した。だれがそんなプログラムを私に仕込んだのか。

さて、それはこんな話だ。

適量の豆腐と十分な野菜が目当てでとあるファミレスに行った。店内から自転車置き場が丸見えなそのファミレスにはリカンベントではなく、普通のアップライトの自転車で行く。店内に入ると一人の男が「ちゃりんこ」と私に向かって言った。やせ形で歯がほとんど無く、私より老けて見えるが恐らく年下だろう。「ちゃりんこ、できればもっとこっちに置いて。でも今日はいいよ」私は不適切な場所に自転車を置いた覚えはないが、きっとその男にはなにかこだわりがあるのだろうと思い「すいません。次からそうします」と言った。

店内にはちょっとした緊張感があった。男の隣のテーブルには学生らしき男がノートを出して何か書き込んでいる。通路を挟んで向かいのテーブルが私の席だ。周囲の客は男に視線を合わせないように、ひっそりとしていた。

「先輩」と、その男は私を呼んだ。

男:先輩の自転車、ギア付いてる?何段あんの?
平沢:6段かな。
男:充分。6段で充分だよ先輩。オレなんか4段までしか使ったことないよ。

次に男は隣の学生風の男にちょっかいを出す。

男:めし食いなが何勉強してんのぉ?なあ?
学生:あ、英語です。
男:英語かあ、オレも昨日NHKの英語の番組見たよ。英語はなあ…。
  おまえは将来総理大臣になって日本を危機から救えよ。
 
次に、男にビールを運んできたウエイトレスのおばちゃんにちょっかい出す。

男:おばちゃん、働けよぉ。先輩、このおばちゃん働かねーんだ。
おばちゃん:私はもうここに10時間もいるんですよ。働いてますよ。
男:あ、そうか。ごめんなさい。はい、ごめんなさい。

男:先輩よお、ちゃりんこさ、盗むやつがいっから、今度からオレの視界の中に
  置いてな。オレ見張ってるから。
平沢:あ、ありがとう。いつもそうしてるの?
男:そうだよ。いつもオレここの席でお客さんの自転車見張ってんだ。
平沢:それは助かるよ。
男:何いってんだよ、おやすいご用だよ。近所の人は仲間だからな。
  オレは出来ることはやってやろうと思ってな。

と言って再びとなりの学生風にちょっかいを出す。

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【続きは次のトピに書きます】
2008年7月3日(木曜日)

三角形の円周を見た男-平沢四郎のミーム

θ=7 β=3

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【続きです】

平沢:おにいさん。
男:オレ?おにいさんて? またおだてて。なんも出ないよ。何?
平沢:彼は将来日本の危機を救うんだから邪魔しちゃダメだよ。
男:いや、こいつ寂しいんだよ。オレわかっから。
平沢:寂しいのはおにいさんだろ。
男:いやいやいや。先輩、いやいやいや。先輩、隣来いよ。
平沢:先輩に移動させちゃダメでしょ。
男:いやいやいや、じゃオレそっち行くか。
平沢:ダメ。

私の豆腐サラダが到着。

男:先輩よぉ! オレが発見した事聞きたい?
平沢:聞きたいね。
男:ホントか?
平沢:ホント。
男:じゃ教えっか。あのな、三角形は何個集まると円周が生じるか?オレは発見した。
平沢:それはすごい。いったい何個なの?
男:4個だ。4個でいい。じゃ、先輩、両親は健在か?
平沢:あれ?三角形はもう終わり? ああ、両親は健在だよ。
男:オレ今さ、「おはぎ」買って来たんだけど、これ先輩の両親に持ってってよ。
平沢:それはだめだよ。自分のために買ったんだろ?それはもらえないよ。
男:いやいやいや。さっきもさ、「まぜごはん」持ってってもらったんだ。ここに来ればさ、
  誰か食べんだろうと思って買ってきたんだよ。だから持ってって、なあ先輩。
平沢:そこまで言うなら貰うよ。みんなが見てるし、顔つぶしちゃいけないしな。
男:いやー、それが一番。それが一番なんだて、先輩よ。

私と男の関係に何の異常があろうか、何の危険があろうか。私は食事が終わり、レジへ向かおうと立ち上がり、男に言った。

平沢:おにいさん、そのビール代私が払うよ。
男:なんでよぉ!だめだよそんな。な、なーに言ってんのぉ。
平沢:いや、私が払う。それが一番。それが一番なんだって、おにいさんよ。

男はしばし考え込み、意を決したように顔を上げて言う。

男:先輩、それで気が済むか?
平沢:気が済むよ。
男:よし、じゃごっそうになるよ。先輩、悪いな。

レジへ向かう私の背中で、男はまたしても隣の学生にちょっかいを出している。

男:いやー、気持ちいいなぁ、あの先輩。   
学生:はい。
男:なーにが、はい、だよ。ホレ勉強しろ。

ヒラサワも一日気分がよかった。
2008年8月21日(木曜日)

香る音響技師

ヒラサワの音楽制作には欠かせない存在としておなじみの鎮西音響技師。彼がどうした風の吹きまわしか突如タイアロマに関心を持ち販売会社まで設立してしまった。音響技師とタイアロマという分からないような分かるような関係に私も興味津々だ。人前で話すのが苦手な鎮西技師と知りつつも、ここに宣伝のチャンスを与えるべく短いインタビューを試みた。はたして成立するか否か。いざ。

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【続きは次のトピに書きます】
2008年8月21日(木曜日)

香る音響技師

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【続きです】

H=平沢 C=鎮西

H:問う。何故にタイアロマか?
C:私もそういう口調でしゃべらなきゃダメですか?:
H:ガク。いいですよ別に。
C:えーと、平沢さんの物販でタイアロマを扱ったことがきっかけですね。
H:それまではタイアロマに限らずアロマオイルに興味は有ったんですか?
C:いえ、全然無かったです。
H:それが何故関心を抱くようになったかと問われるならば?
C:私だって過去に平沢さんの仕事でタイに何度か行ったことが有りまして。
  マッサージ屋さんなどで使われている身の引き締まる香辛料のような
  スカっとしたオイルの香りや、ミントなんかの清涼感のある香りには
  好感を持っていたんです。それで、平沢さんの物販で扱われたオイルを
  嗅いだときに、いろんな香りの層をすり抜けてくるように、その清涼感
  のある香りを感じたんですね。で、こりゃいいやと思ったんです。
H:なるほど。でも普通ならそこからコレクションが始まったり、日常的に
  取り入れてみたりということが始まると思うんですが、会社設立まで
  行くとは驚きましたね。
C:そうですか。ダメですか。
H:ダメじゃないですが。そもそもエンジニアが抱く関心事とはあまり
  思えないのですがね。
C:ダメですか?
H:だからダメじゃないですよ。アロマオイルとレコーディングとは
  何か通じるものがありそうですね。
C:別々にある音をある意図を持って関連づける結果、音楽としての
  形が生まれるということと似ているところがあります。
  別々に存在している香りを、ある意図を持って混合することで
  目指した香りが生まれるということですね。
H:なるほど。では鎮西さんオリジナルの混合によるアロマオイルが販売
  されるわけですね?
C:全てがそうじゃないですけど、何種類かありますよ。
H:たとえばどんな?
C:言葉では難しいですが、西洋のアロマものとは違うものです。
  南国の葉に滴る朝露に忍ばせた明晰さ、とでも言いましょうか。
H:わ、すごい表現。でも、一般的にアロマオイルというと休息的な
  ニュアンスを感じますが、そこに明晰さが加わると。んーー。
C:そうですね、非常に透明感のある休息です。
H:おお、またすごい表現。その言い回し全部鎮西さんが考えたんですか?
C:失礼な。でもアロマを表現する時は音のミックスで使う表現を
  そのまま当てはめることが出来るんですよ。「透明感」とか「明晰感」
  とか。
H:なるほど、タイアロマは技師を詩人に変える。
C:明晰な香りと言えば平沢さんがチェンマイから持ち帰ったモン族の
  呪術に使われるオイルの香りもそうでしたね。
H:ああ、なるほど。でも良く覚えてますね。あれは小さな瓶の中に数種類の
  ハーブがオイル漬けになったものですね。確か私が持ち帰ったのは
  大事な交渉時に唇に塗ると必要適切な言葉が無意識的に出てくると
  されている呪術用のオイルですね。
C:そうだったんですか。でもあの甘い中にも明晰さがある香りは何か
  安心を超えた安心という感じがしますね。何か大きな存在に見守られて
  いるというか。
H:今日は絶好調ですねえ。
C:ダメですか?
H:ダメじゃないです。
C:その安心感のようなものをタイのマッサージ屋さんの香りにも感じていたんだと
  思います。そして平沢さんの物販の中にもそれを感じて、虜になったんでしょうかね。
H:おお、深いですねえ。モン族の呪術アロマですか。悠久のクメールの英知ですね。
C:そうです。西洋ものには無い深さを感じます。
H:ところで、Webショップで販売するそうですが、一般的にはまだ馴染みの薄い
  タイアロマをどうやってプロモーションするんでしょうか?
C:そこなんですよ。まずは検索エンジンの上位にリストされることを考えなくちゃ
  ダメですよね。上位にリストされる条件として、そのサイトがどれだけ多くの
  サイトからリンクされているかというのがあるじゃないですか。
H:なるほど、私のリスナーのサイトからリンクして欲しいと。
C:あ、言いにくいことをキッパリと…。
H:だそうです。みなさんどうぞよろしく。ところで鎮西さんのショップの名前と
  URLを教えてください。
C:あ、はい。照れるなあ。ショップの名前は「彩漣(SAIRENと読む)」です。平沢さんぽい
  でしょ?で、URLは http://www.sairen.net/です。
H:だそうです。で、いつオープンですか?
C:もうすぐです。なにぶん人手不足なもんで、でも8月25日にはオープンさせますよ。
H:あ、言い切りましたね。
C : ええ、言い切りましたとも。

一応成立。
2008年9月3日(水曜日)

新曲の仕様と展開図1

θ=6 β=4

今年発売予定のソロ新譜のために曲を作っている。Phantom Notesをしばらく更新していなかったので「新曲の仕様と展開図」を全曲完成まで展開してみようか。

出来た順番に書いてゆくが、それがアルバムの曲順ではないことくらいは言わずもがなだ。ところで私は曲を先に作る。歌詞は後だ。それがここ数年のスタイルである。歌詞は全曲できた後、一気に書く。

一曲目は31のトラックが使用されている。おおざっぱに言うと31個の楽器が鳴っていると思ってもらえばいい。大仰な曲の割には少ない。レコーディングの時には更にトラックがバラされ数は増える。長さは5分を超えるヒラサワ風シンフォニーだ。間奏はギターだ。

この曲はソフトのおまけに付いていたシンセサイザーのチェックをしているうちに出来てしまったものだ。とは言っても、そのシンセは1トラックで同じ事をずっと繰り返しているだけ。オケが厚くなればマスキングされてしまう。近頃の音楽界には冷凍食品が豊富にある。つまり調理済みの音源に加え、メーカーが用意したたくさんの演奏済みフレーズを組み合わせればあっという間に音楽が完成するという便利なパッケージだ。プロ用、しかもプロデューサー用とうたうソフトにさえそんなものが満載されている。便利な世の中だ。誰でも30分あれば流行ものの曲なら作れるだろう。チェックするまでもなく、そういうものはヒラサワ風音楽には使えない。しかし、ろくでもなく隅々までお膳立てされた音源をメーカーが望まない方法で使うのもまた楽しい。

シンフォニー風な編成を追って躍り出るのはP-0でも使った僧侶風ヴォーカルエンジンの歌声。コーラスは自分の声を重ねて作ってあるが、プログレによくある風味だ。レコーディングの際にはこのコーラスだけで更に20トラックは増えてしまうだろう。

ほぼ定番のスタイル。プログレ技満載。
2008年9月5日(金曜日)

新曲の仕様と展開図 2

θ=6 β=4

二曲目に出来た曲。一曲目より音数は少ないように聞こえるが、スケッチの段階で32トラックを使用している。「美術館で会った人だろ」風のリズムBOXから始まり、男性の「んー」というハミングに続いて、「東方無国籍」風のイントロに繋がる。そのまま歌へと繋がると思わせておいて繋がらない。70年代風の上昇する変調がかけられたシンセサイザーのスペイシーな発信音と共に音程の移動が非常になめらかなギターが顔を出す。モズライトをボトルネック奏法で弾いたものだ。これまたスペイシーである。

高域と低域を極端にカットされた、俗にラジオヴォイスと呼ばれる処理を施したヒラサワの歌は通信機から聞こえる声のようだ。あるいは、遙かに離れた惑星から、漂流する男の歌声をモニターしている、という想像は有り。いわゆるAメロの後半にはラジオヴォイスとは対照的な、マイクに接近し、ささやくように発声された生々しいコーラスが加わる。

MANDRAKEを除く、P-MODEL、ソロ、とヒラサワ音楽史上初めて登場するボトルネック奏法のギター・ソロ。しかもTALBOではなく、モズライトだ。ボトルネック奏法というのは瓶の首を切断したような筒状の金属やガラスを指にはめ、それを弦の上を滑らせて演奏する方法のことだ。音階が無段階に変化するので、スペイシーな雰囲気がでる。ちょっと間違えるとハワイアンになる。

今確認したところ、この曲は6分を超えている。
2008年9月9日(火曜日)

新曲の仕様と展開図 3

θ=5 β=5

三曲目に出来た曲だ。イントロが21小節もある。その前半はピアノが一人で頑張る珍しい曲だが、補足的にパーカッションと混声コーラスが入る。おとなしい曲ではない。歌に入ると思うと入らない。そのままピアノががんばる。もしもバンドでコピーするとすれば、キーボード奏者はやり甲斐がありそうだ。いったい私は何処に連れて行かれるのだろうと思うようなイントロだ。だが私は何処へも連れて行ってやらない。スケッチの段階で35トラックが使用されている。テンポは130。

一番が終わっても二番に行けない。行けないところを強引に行くと突如オアシスに到着する。こんな所に到着させてしまうと元に戻れなくなる。戻れそうな気配が見えるまで進んでしまう。シャウトだ。ソロでシャウト解禁。そのままAメロをマイナーで、ハモりながら歌ってみる。同じモチーフを歌ったところで戻れないものは戻れない。そんな時に重宝するのがブレイクだ。というか、イントロが有って1番2番が有ったのはむしろこのブレイクのためだ。

再び21小節の導入。後は同じ。

珍しくピアノが頑張る曲だ。その他の楽器は手下のようなものだ。sato-kenはこの曲を聴いて「ケチ!」と言った。なぜなら、ギターを四小節しか弾かないからだ。弾いただけありがたいと思え。

パーカッションにはドラムセットの他、大太鼓、ティンパニ、小太鼓、チューブラベル、ギリギリいうやつ、シャーというやつ、ホイッスルなどが使われている。

出し惜しみするギター終わると、結局ここは何処?という?マークで終わる。
2008年9月11日(木曜日)

新曲の仕様と展開図 4

θ=5 β=5

4曲目だ。

惑星キンザザを思わせるうらぶれた三拍子。スカスカの音とディストピアの嘆きの人たち。音程が定まらないコーラスはむしろ滑稽だ。この手の音には人間臭さが付着するが、ホワイトノイズのスチームがそれを蒸留する。

低音で歌い始めるヒラサワ。低音だがちゃっかりファルセットを加味する。ファルセットは高い音域が出ないために使われる代替の発声法ではない。

さて、ギターを弾くはめになってしまった。まじめにいい感じに弾くギーター。でも指がマタサキになる、いつもの手口。指が痛い。

私はこういう曲を「箸休め」と呼んでいる。
2008年9月16日(火曜日)

新曲の仕様と展開図 5

θ=5 β=5

5曲めは一風変わった出だしだ。トラック数は多くない。現在のところ28トラックが使用済み。60年代アストロ・サウンド風(一般的にはサーフ・サウンドという。どこが?)のエレキギターから始まる。使ったギターはモズライトだ。スプリング・リバーブのシミュレーターをびしょびしょに効かせたミュート奏法といえば60年代不良の血が騒ぐ?(60年代の不良はこんなとこ見てない)しかし、スプリングが思うようにハネてくれない。せめてAstronauts の Firewaterくらいハネてほしい(そんなの誰も知らない)。ハネを捏造しようとしたが失敗した。(こっから先専門用語有り。解説省略)しかたなしにスプリング・リバーブを更にデジタル・リバーブに突っ込み、プリ・デイレイでハネのニュアンスを作ってみた。私はほんの数小節のためにビンテージものの高価な機材を物色するほどマニアではない。どうせウソの上塗りだ。というか本物である必要などない。こんなもの本物にしたって喜ぶのは60年代の不良だけだ。これでよしとする。

60年代風エレキサウンドが始まるかと思いきや、そうは行かない。それを受け継ぐのはヒラサワの声だ。だがまだ歌ではない。一応あり得ない組み合わせは成功。

60年代風のイントロからそこはかとなく80年代ニューウエーブ風の無難なAメロを歌った後はオペラ風ソプラノへと展開。と、突如70年代硬派プログレ風の展開。なぜかこの部分ヒラサワの声がピーター・ハミル風味を帯びている。

パートごとに10年ワープする変な曲は間奏で60年代アストロサウンドへと帰還する。さて、90年代は出てこないのかというと出てこない。出て来ようがない。音楽の創造は80年代前半で終わっているからだ。あとはいいとこ取りの当て逃げばかり。

さて、30年のサイクルを1曲の中で行ったり来たりするこの曲、全体的な印象としては「わかりやすい」部類に入る。そいういう意味ではわけわからん曲。

(音楽用語をたくさん使ってしまって、しくじったと思っている)
2008年9月23日(火曜日)

新曲の仕様と展開図 6

θ=5 β=5

6曲目だ。

スケッチでは26トラックが使われている。空を仰ぎ見るようなフレンチホルンと宇宙船が到着するようなノイズから始まる。イントロを受け持つのは再び登場の僧侶のボーカルエンジンだ。巷のレビューでは、「こんなものいったい何に使うんだ」とまで言われているボーカルエンジンだが、私にとっては魅力的だ。この宇宙船はマントラで飛翔するのだ。(今のうちからこんなことを言ってしまうと歌詞が身動き取れなくなるので、これは言い捨てだ。言い捨て。)

イントロからサビへと向かう流れは非常に素直だ。得も言われぬ懐かしさを感じるサビに続いて僧侶に間奏を担当させてみた。なんとも懐かしい感覚に襲われる。僧侶は「う」から「あ」を経過し、「い」までの母音しか発音できない。それで充分だ。

よく思うのだが、私の曲はほとんどが何かのエンディングテーマのように聞こえる。何かが終わり、良くも悪くも全てを綺麗さっぱり置き去りにして異境へ向かう感覚が目標だったりもする。

サビの繰り返しの後、曲は唐突に終わり、着陸なのか飛び去るのか、そんな余韻を残して終わる。
(今のうちから宇宙船などと言ってしまうと歌詞が身動き取れなくなるので、これは言い捨てだ。言い捨て。)

この時点で曲はすでに8曲が終了している。

なお、本日θ=5 β=5と中庸バランスだが、今後の歌詞作りはθよりにバランスが傾くことが良い結果に繋がる。
2008年10月6日(月曜日)

新曲の仕様と展開図 7

7曲めだ。リング変調されたシンセサイザーがひとつのフレーズを延々と繰り返す。導入部とは異なるコード進行がかぶさり、「置き去りにして行く」感覚が加味される。夕方的光景だ。

中域で気張るでもなく緩むでもないヴォーカルが加わる。やはりエンディングテーマの佇まいを持った曲だ。

突如無線機からの声が何も知らずに楽しげに過ごす日々の幻影のごとく介入する。次に続くピアノのブレイクが「そんなものはウソだ」と言っているようだ。

「そんなものがウソだということぐらいはじめから知っている、それがどうしたと言うのだ。次へ行くのみ」と言っているかのごとき脱力したサビへと繋がる。

延々と続くリング変調されたシンセサイザーのフレーズを複写したハープが鳴り始める。ティンパニーが主体だったりリズム隊にはいつの間にかオーバードライブされたドラムセットが加わっている。

最後まで盛り上がらない曲である。
2008年10月6日(月曜日)

新曲の仕様と展開図 7

7曲めだ。リング変調されたシンセサイザーがひとつのフレーズを延々と繰り返す。導入部とは異なるコード進行がかぶさり、「置き去りにして行く」感覚が加味される。夕方的光景だ。

中域で気張るでもなく緩むでもないヴォーカルが加わる。やはりエンディングテーマの佇まいを持った曲だ。

突如無線機からの声が何も知らずに楽しげに過ごす日々の幻影のごとく介入する。次に続くピアノのブレイクが「そんなものはウソだ」と言っているようだ。

「そんなものがウソだということぐらいはじめから知っている、それがどうしたと言うのだ。次へ行くのみ」と言っているかのごとき脱力したサビへと繋がる。

延々と続くリング変調されたシンセサイザーのフレーズを複写したハープが鳴り始める。ティンパニーが主体だったりリズム隊にはいつの間にかオーバードライブされたドラムセットが加わっている。

最後まで盛り上がらない曲である。
2008年11月12日(水曜日)

新曲の仕様と展開図 8

θ=5 β=5

8曲目だ。既にレコーディングを中断してライブ関係の作業をしているため、8曲目がどんなだったかが思い出せない。あ、思い出した。構造はシーケンサーを開けて中をのぞくのがめんどくさいので記憶だけで書く。

特にひねくれたところがない、アップテンポの曲だ。自分の声をコラージュしたイントロから始まる。コラージュも白虎野のような変態ものではなく、ごく素直だ。ラジオヴォイスにすると妙に懐かしい感じがする。夕方な感じもする。焼け野原のようなところにぽつんと奇跡的に破壊を免れたラジオがあり、そこからヒラサワの鼻歌が聞こえて来るようだ。

イントロからずーっと思い出してゆくと、それほど素直でもないブレイクに到達した。ヒラサワの曲としては非常に素直だが、世間ではあまりこういうブレイクはしないだろう。と思いつつ。

強い印象を持った曲でもなく、特筆することもないのでこれでおしまい。
2008年12月27日(土曜日)

新曲の仕様と展開図 9

θ=5 β=5

9曲目はアルバムの1曲目に来ると思われた。10曲目が出来たところで覆された。この曲がどんな雰囲気なのを明かすと、アルバムがどのように始まるかがバレてしまうので控えめにする。10曲目も同様。

今までのヒラサワ曲には無い感じであることは確かだ。歌の音域も中低域に分布している。アルバム1曲目を引き継ぐように始まる。アルバムの1,2曲目、そしてラストの曲と合わせてアルバム全体の雰囲気をほぼ決定するような役割がある。

ベースと言えるものが存在しない。低音部を引き受けるのは打楽器と管楽器だ。間奏に相当するパートも無い。短めの曲である。

これ以上は黙っておくほうが吉。
2009年1月2日(金曜日)

新曲の仕様と展開図 10

θ=5 β=5

10曲目に出来た曲は重要だ。なぜならアルバムの1曲目に配置されるからだ。9曲目同様、この曲についてじゃべり過ぎるとアルバムがどのように始まるかが分かってしまう。それはリスナーの楽しみを奪うことになる。同時に私が放つ第一矢も台無しにしてしまう。

意外と多くのトラックを使用している。それは前半と後半の質感がぜんぜん違うからだ。そのため、1曲の中に2曲分のトラックがあるという構造になっている。約2分程度の短い曲だ。特筆すべきところがある曲だけに特筆するわけにはいかない。このへんでやめておくことにしよう。

さて、新曲の仕様と展開図はこれで終わりだ。特徴のある曲が多く収録されたアルバムだが、スタッフは次から次へと提出される曲を聴きながらおぼろげなストーリーをイメージしていたと言う。確かにそれはある。しかし、私はそのストーリーを断片に切り刻み分散して配置した。理由はいろいろあるが、まずは音楽として楽しんでもらうことが先決だ。そのため、ストーリーよりも、受け入れやすい曲順を選んだのだ。ストーリーはリスナーの数だけあってよい。そこに私が意図したコアが存在しさえすれば。

さあ、楽しみたまえ。
2009年1月4日(日曜日)

新譜世界断片高倍率拡大図1

θ=5 β=5

これから始まるのは新譜の歌詞のごく小さな部分に焦点を当て、拡大したものであるのだ。しかし、爪を見て人体全体を判断することができないように、この拡大図を見て歌詞の全体像を知ることはできない。爪には様々な様相があるように、断片にもそれなりの世界がある。しかし確実に言えるのは、これらの拡大図は紛れも無く全体像に含まれているものであり、これら断片世界がモザイクのように組み合わさって一つの歌詞になっているということである。歌詞とは、かくも膨大な情報を含有するのである。

なお、小見出しは曲名ではないので。曲名なんかは書いてやらないので。

第一図

–愚者の旅–

滑稽にも見えた「いけない旅」の終わりに、その男は重大な発見をする。残念ながらその発見が生かされることはない。なぜならそれは、その男の死をもって発見されたからだ。それを知るのは彼だけである。

輪をかけて残念なことは、命とひき換えに得たものが、生死の境で得たということから想像されること程に深淵なものではなかったことだ。要は、それを発見しなかった我々同様バカを見たのである。

ごきげんよう、おバカさん。正直にも程がある。
2009年1月4日(日曜日)

新譜世界断片高倍率拡大図2

θ=5 β=5

—踏まれた供花—

その供花が何故に供えられ、何故に踏まれたかを思い出そうとしてはならない。その記憶は「無い」からだ。そこには「供花」に至る文脈など無く、ただ悪意に満ちた壮絶な力が在るのみ。

無いものを無いと言うのにどれほどの犠牲を払うというのか。その犠牲がお前を犠牲にしている。お前が費やした時間の半分に潜む暗黒。その暗黒をして生を紡ぐ賢者と、その暗黒の破壊力をして生を紡ぐ愚者。

幕は、いつでも閉じられる。
2009年1月5日(月曜日)

新譜世界断片高倍率拡大図3

θ=5 β=5

–賢者の旅–

雪の降る夜を選んだのは賢明である。誰もが"仕事"をめんどくさがるからな。輪をかけて賢明だったのは、自分自身に耳を傾けたことだ。あの愚か者が参照した"与えられたもの"には目もくれなかったことだ。その者は、知った事には従わず、知っていた事に従う。知った事は騒々しく、知っていた事は、知らなかったかのように寡黙だ。

闇よ、その者の旅を隠したまえ。そのような者こそ王の脅威なり。そのような者こそ無為の刺客なり。
2009年1月6日(火曜日)

新譜世界断片高倍率拡大図4

θ=5 β=5

–百万光年彼方も私–

物なる光 物なる光 物なる光 物なる光 物なる光 物なる光

宇宙は機械でありモノであると言った男がいる。世界中に布教された詐欺宗教。科学なり。

その男がカルト集団の支部長だったことを人々は知らされていない。
その男が黒魔術を行う者だったことを人々は知らされていない。

「まさか」は利用される。あなたを愚か者にするために。

狂人のレッテルを恐れず、こう言い放ってやれ

「我こそが宇宙なり」
2009年1月7日(水曜日)

新譜世界断片高倍率拡大図5

θ=5 β=5

まったく訳のわからぬ拡大図も既に第5図めとなる。そろそろ諦めの境地か?まだまだだ。より大きく見るために、ささ、もっと近こうよれ。

–リセット–

それを見た時に生じる感覚が自動的に文脈を作り出す。長い長い無意味な物語は、あなたが何を知り、何を考え、何を解決したかより更に過去へと遡り巨大な破壊力となる。真っ当な人を狂人に変え、善意への恐怖に慄く。

すでにリセットは困難なほどに、それはあなたの中で轟音をたてて稼動している。
安心を人質にして。

白き視野を昇れば強制終了は可能だが、それをすれば人質を失うと脅されている。だが、それもまた嘘だ。「その人質」は、その悪しき文脈の中にだけ在るという矛盾を見破ることが「その人質」を開放する唯一の方法だ。あなたは勝利すべき人である。
2009年1月15日(木曜日)

新譜世界断片高倍率拡大図6

θ=5 β=5

—忘れた事さえ思い出せない—

力が及ばなくなれば、より上位の力へと委ねられる。それは力が及ばなくなったのではなく、力が奪われたのだということを必死に思い出すのが吉。人は当初「命」が自由にならなかった。それは次第に下降し、いまや自分の脳さえうまく使えない。治療を看板にする者が病気を作り出す。それを知っていてもそこに行くことをやめられない。事実より虚構のほが圧倒的に美味しく親切だ。「違う」と一言でも言ってみればいい。たちまち狂人と呼ばれるようになる。

何千年も前からそうなのだ。
2009年1月22日(木曜日)

新譜世界断片高倍率拡大図7

θ=4 β=6

—人より遠く行けまいに—

重力加速度より速く落ちる石の壁を全世界の人々が見た。それが起こるには、押すか引っ張るかしかない。人々は石の壁の下が真空になり、大きな力で下方に引っ張られたと結論できる光景も同時に見ていた。が、その時生じた感情が、見る人をしてその目を欺く。

驚くべき数の人々が、有りもしないものを有ると信じ、その後も次々と有りもしないものが供給され続ける。「無い」と主張する少数の人々はいまだに狂人と呼ばれる。

狂人として言う。「善きものの姿をした盗賊が居る」と。

予感がする。「救世の拳で作られる大勢の奴隷」という。

あなたが人より遠くへ行けないのは、あなたが描いた地図のせいだ。
2009年1月23日(金曜日)

* 新譜世界断片高倍率拡大図8

θ=4 β=6

—可視人—

その海は彼が知っている通りの海として振舞う。それが可視海だ。今日の可視海は善であり、昨日の可視海は悪の権化であった。たとえまだその海について未知の領域があったとしても、それはいずれ誰かが経験した海の領域として振舞う。

そのようにして"海"は、ついに見られることはなかった。
2009年1月23日(金曜日)

* 新譜世界断片高倍率拡大図9

θ=4 β=6

—音が来る—

そこは路地である。斜め右背後から来る音は純粋な音程のみを持ち、斜め左前方から来た音も純粋な音程のみの波だ。彼の頭蓋骨の中で二つの音が出会うと、即座に共鳴するものがあった。感情だ。彼はひとかどの人間として交換不能な個人史を持ち、同時に重く汚れた灼熱の遺恨を背負っている。そのために彼は完全に世界を見誤っている。というより、彼はその世界の創造者であり、犯されることのない地位に立つ権威者である。

後方から第三の音が迫り、先の二つの波と彼の頭蓋骨の中で出会う。それらの音は彼の歪んだ個体性に惑わされることは無い。共鳴させるべき感情を寸分の狂いもなく汲み上げる。到来する音群が帯状の和声となり、更に多方向からの音群と交わった時、彼は複雑な共鳴が彼のクローンを作り出すのを見た。クローンはひとかどの人間として路地に立ち、その個人史と灼熱の遺恨で世界の創造者となった。斜め右背後から音が来……
2009年1月23日(金曜日)

* 新譜世界断片高倍率拡大図9

θ=4 β=6

—音が来る—

そこは路地である。斜め右背後から来る音は純粋な音程のみを持ち、斜め左前方から来た音も純粋な音程のみの波だ。彼の頭蓋骨の中で二つの音が出会うと、即座に共鳴するものがあった。感情だ。彼はひとかどの人間として交換不能な個人史を持ち、同時に重く汚れた灼熱の遺恨を背負っている。そのために彼は完全に世界を見誤っている。というより、彼はその世界の創造者であり、犯されることのない地位に立つ権威者である。

後方から第三の音が迫り、先の二つの波と彼の頭蓋骨の中で出会う。それらの音は彼の歪んだ個体性に惑わされることは無い。共鳴させるべき感情を寸分の狂いもなく汲み上げる。到来する音群が帯状の和声となり、更に多方向からの音群と交わった時、彼は複雑な共鳴が彼のクローンを作り出すのを見た。クローンはひとかどの人間として路地に立ち、その個人史と灼熱の遺恨で世界の創造者となった。斜め右背後から音が来……
2009年1月24日(土曜日)

新譜世界断片高倍率拡大図10

θ=4 β=6

—その後—

第9図の続きである。
クローンは果てしなく作られたが、少しずつ生じる遺伝子の乱丁やミスプリントの結果、僅かに多様性を持ち始めた数十番目のクローンはようやく気が付く。自分は複雑な和声の共鳴であると。その時、もはや不協和音と化した音群の中から良き旋律を掘り出す術を発見した。それは彼自身の在りように対応して現れるのであった。彼の感情と音との立場は逆転した。音が感情をくみ上げるのではなく、感情が音を呼び込むのだ。今や彼はノイズの中からあらゆる旋律を自在に取り出すことができる。彼はあらゆる周波数を恐れることなく歓迎した。音としてあり得る全ての周波数(ホワイト・ノイズ)を呼び込んだ時、彼の立っていた路地は消え、そこは蓮の花咲く水辺となった。彼が、実は初めからそこに居たのだという事に気が付いた時、全てのクローンは消え、彼がオリジナルとなった。

たいして面白くはないが、まあいいか。これでこのシリーズは終わりだ。あと1曲は拡大しようにも歌詞が無い。だからこれで終わりだ。もう一度強く強く念を押しておくが、このシリーズで書いて来たことは歌詞の断片の拡大図だ。それは歌詞の要約ではないし、アルバムの要約でもない。それはオーケストラが一斉に演奏を開始した時、たった一人のバイオリニストのお腹で鳴ったグーという音を拾い上げたようなものだ。

私はこのアルバム「点呼する惑星」を作るにあたって、ある物語を作った。それは創作の地図として作ったに過ぎず、伝えたいメッセージとして在ったものではない。これは音楽の作品である。だから、まずは音楽として楽しんでもらいたいと思う。まるで当たり前のことだが、それには曲の配置において一つのスムーズな流れを作る必要がある。その流れを整えるために物語りは解体され、断片化された。

私は今、自ら解体し、断片化した物語をある一つの流れに従って再構築している。次のインタラクティブ・ライブのためだ。その物語は創作の地図として作った物語とはもう違う。私にそれが出来るのだから、あなたにもそれは出来る。もしあなたに物語が必要なら、そのようにしてあなた自身が作ればいい。「点呼する惑星」の物語は、リスナーの数だけ有っていいのだ。このアルバムは私の他の多くの作品同様「聴いているあなたは誰なのだ」という問いかけを疎かにしていない。

あー、せーせーした。
2009年4月29日(水曜日)

「超・乙女」あんどう蒼の着地点

「超・乙女」とは、あんどう蒼の看板である。それは慌て者のうかつな解釈から遙か深淵なる生存の態様までも許容すると思われる、あんどう蒼的表玄関だ。しかるに、私はこの「標語」に別の意味において同調するのである。それはヒラサワ的バック・ドアから侵入するSP-2体験の結像点を表すものとして転用が可能だ。これを拙著「SP-2」から引用するなら、

“しかもそれはあなたが経験したことの記憶ではない。はるかな祖先からDNAに乗って連綿と受け継がれて来た記憶だ。それは時に、月や海や大地を物語る者の胸にも去来した、悠久の記憶に住む像”

なる乙女である。ゆえに「超」である。

勿論これはヒラサワ的「超・乙女」だ。だが、あんどう蒼の表玄関とヒラサワのバック・ドアが同じ広間に通じているらしい、あるいは通じたいと願って開けたものと推測することはあながち誤りではないと思われる。それはあらゆるものの原因と成就の段取りがとぐろを巻く書庫、過去現在未来が同時にある無方向の流れ、あるいは万物連関の花咲く大広間である。

あんどう蒼著「私が夢見た『優』」は彼女にまつわる実話を恋愛私小説風にまとめられたものだ。それは無防備で読み進めれば何事も起こらないかのような、ごくありふれた恋人同士の卑近な日常を描いた物語と錯覚してしまうほどにさりげない。声高に「私は不幸なGIDです」と主張する表現などは無く、しかし時折ふと、そしてさりげなく、読書する者を取り巻く次元がスリップしたかのような覚醒が起こる。二人の登場人物が両方男性の姿をしているということに気づかされる時だ。人は物語や出来事を処理する時、過去に経験した物事が、整頓された文脈としてストックされたある種のパターンにそれを収納しようとする。「私が夢見た『優』」は、「どうぞそこにお納めください」と言わんばかりに素直に流れて行く。それゆえ時折食らう平手打ちは鮮やかな覚醒をもたらすが、それは作者が意図したものではなく、あくまであんどう蒼的に素直な流れの結果である。これが「その1」である。

「その2」として。そして誇張されたように美しく描かれる情景が、最後にバタンと開かれる扉のための布石として配置されている点である。卑近な日常に点在する出来事とそれを包容する胸苦しいほど美しい「自然」との対比に「何か」を読み取れと迫られるかのようである。それは辛く否定的な感情を示されることの何倍もの圧力で胸を締め付ける。そして最後にバタンと開かれる扉。開閉の境界すら意識されないまま、気が付けば開いている扉。開くのは一枚の扉ではなく、四方で開くのである。というより、かつてドリフのコントで見たような、四方の壁がいっぺんに展開されるような変換である。底面に日常を残し、前後左右と上方に宇宙空間が広がるような変換である。

私が苦手な私小説的風情を持つ「私が夢見た『優』」を最後まで読めたのは、以上の「その1」と「その2」の理由と、円環するループ状になった構成という私好みのテクニックによる。というより、「私が夢見た『優』」は私小説などではない。私は読み終えた「私が夢見た『優』」を躊躇せず本棚のSFコーナーに納めた。

おそらく「私が夢見た『優』」の読者のほとんどが抱いたかもしれない感情、しかし、彼女が本の中で示した姿勢を思うなら、決して持ってはならない、あるいは持ったとしても胸にしまっておかなければならない感情がある。怒りだ。それは"彼女の恋人"に対する怒りだ。私はそれをしまっておくことができなかった。そして、そのことを素直に彼女に伝えてみた。「彼はGIDの敵みたいなヤツだ」と。すると彼女はあっさりと「そうですね」と同意した。その言葉には何の感情も付着していなかった。私はそのニュアンスにあんどう蒼の「肯定的な不在」を感じた。それはこういうことだ。確かにあんどう蒼の身体を着た何者かがそこにはいるが、実体はかの大広間に居ると。彼女はそこから私のいる現実に波風を立てて私の生命を遊ばせているのだと。私はほんの入り江であんどう蒼を水浴びしただけなのだと。
2009年5月10日(日曜日)

「超・乙女」あんどう蒼の着地点-補足

「『超・乙女』あんどう蒼の着地点」を巡って当サイトの掲示板に意見が投稿さ
れている。Phantom Notesの中にある「私が感じたこと、考えたこと」に関する
賛否の議論や批判はOKだ。しかしそれは私の記述や発言をちゃんと読んでから、
という事を最低限のルールとして欲しい。初歩的な読み違えの積み重ねから創作
された「物語」については、「私は無縁です」という以外にない。

そもそもPhantom Notesは作品であり、ちゃんと読んでくれるのなら、ある人がそれをどう読んだかが全てである、という私の基本姿勢を崩すつもりはない。そして私はそこに介入するつもりはない。しかし、そこで平沢を批判したいのなら、どうかそれを越えないでほしい。「分からない対象としてのSP-2やGID」に対して自身の見解を加えるなら、「それ相応の責任のもとに」を基本姿勢として欲しい。また、私の記述を曲解したまま引用する場合に生じることについても同様である。

SP-2やGIDの話題はわかりづらい。圧倒的に情報不足であり、まして当事者と膝を交えて話す機会など通常は無いに等しい。更に、世間には間違った情報があふれている。私が発する情報でさえ全て正しいなどとは思っていない。それはいつでも修正する用意があり、あえて批判を受けるために拙著「SP-2」を数名の日本の当事者の方々に読んでいただいている。従って私とて間違った見解を示す人に胸を張って「ちがう」と言える立場ではないと認識している。しかし、以下のことだけは記憶しておいて欲しいと強く願いたい。

このサイトは、当事者の人々も閲覧している。
私が公開したSP-2のエピソードは日本のGIDの経験や背景と合致することが多々ある。ゆえに、GID当事者不在、あるいは参入できない状況の中で、「当事者ではない者」が持ち得る理想論、正論、感情や関係の道徳的な整合性等を主張することについては注意深くなって欲しいということだ。表現の仕方によっては、書き手の意に反して「容赦の無い棘」として当事者を苦しめてしまう可能性もある。

「それなら当事者が参入すればいいだろう」という意見もあるかと思うが「それは困難である」ということをどうか今は説明抜きで受け入れて欲しい。

正論が「棘」になるなどという事がなぜ起きるのか、なぜ「参入は困難である」のか、という疑問が生じるのは、「ことこの場においては」私のSP-2に関する仕事が未完成であることに由来するところもあるだろう。従ってそれなら「わかんねーぞヒラサワ!」と、私を批判すれば良い。

「じゃあオマエが参入しろ」という意見もあるだろう。だが、それは出来ない。私の参入はリスナー同士の対立に発展する可能性があるからだ。私は仕事を通じて説明を続けて行くしかない。

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