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2021年02月27日14:24

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科学者の言ってることは「絶対」ではなく、「絶えず上書き」されるレベルのもの

野呂 美加
5時間前 ·
反原発の勢力(一部の)の人たちと、保養運動が相容れなかった。
30年前。
それは「一度身体に入ったセシウムが出て行くわけがない」という彼らの科学だった。
しかし、科学というのは進化する。
チェルノブイリの被ばくというのは土壌汚染であって、ヒロシマナガサキや医療被ばくとも違う。
マーシャル諸島のビキニの死の灰汚染に近い。
それで子どもの体内に大量に死の灰が入った事件が「公」になったのはチェルノブイリ事故がはじめてだと思う。
私たちが保養運動のことを知ったのは、事故から5年後ぐらいで、旧ソ連が崩壊するかしないかあたり。
そのぐらいから保養運動やってみたら、子どもたちが元気になった、なぜだろう?
ということを調査し始めてるとき。
ベラルーシやドイツやいろんなところの科学者が子どもたちを助けようとしてたとき、
日本の反原発科学者やその取り巻き連中は「砂に水をまくようなものだからやめたほうがいい」と、何かの集会で私たちが始めようとする保養運動を「評した」。
それを聞いた人が親切にも私たちのところにやってきて、有名な誰々さんがそう言ってるからその運動辞めた方がいい、とアドバイスしにきてくれた。
私たちがバザーで集めた保養運動のための資金を薬送り事に使え、まで資金の転用まで言い出す。
まだ始まるか始まらないかのときに…。「それじゃ、科学者なら、保養で子どもたちが元気にならないというデータ」があるのなら持ってきてほしい、と頼んだ。
親切なその人はその科学者のところにいって、データをください、と言った。
そしたら「その人たちが好きでやってる運動なんだから…」といってかわされた。その親切な人はそんなレベルだったとわかったと。
しかし、このことは長い間、保養運動を批判する口実になった。
「どうせ死ぬならみんな平等に死なないと保養に出た一部の子どもたちだけ少し長く生きても…それ差別の運動」まで言う究極の平等主義だった。
あるいは、「元気になる」というデータを出せと言われたこともある。そもそも、保養運動に東ドイツ(当時)始まって1年でデータがあるわけもない。
どのくらいでもこんくらいでも、子どもが元気になったらそれでいい、それがダメなのか?科学的なものではなく、子どもたちに純粋に一ヶ月放射能のない生活をプレゼントしたいだけだった。
もちろん、被ばくした子どもたちを救う手がかりを世界中の人たちが探そうとしてた。
それから、3年ぐらいして、すでにベラルーシの科学アカデミーでは「保養で体内被ばくが減り、遺伝子修復のスピードも速まる」とデータがそろってきたらしい。
簡単な話じゃんね。WBCでビフォーアフター計測するだけだから。
私が言いたいのは、たった30年前は、セシウムが体内に入ったら出ていくとわかってなかった。
それがチェルノブイリの科学者たちがセシウムに関しては綿密にデータをとっていた。もちろんそれをすべて公開していないのは日本と同じ。
けれど、このぐらいの内部被ばくなら安全科学…というのがわずか30年で成立するはずもない、ということを言いたい。世代を超えて長時間かけないと証明できないものの安全を言う人は、すべて悪魔だと私は思ってる。
その人に何が起こるかわからないし。
ちなみにストロンチウムは出ていかんだろ(生きてる間に)…とベラルーシの科学アカデミーの人は言ってた。
それも70年調べてみないとわからないけれど。科学者の言ってることは「絶対」ではなく、「絶えず上書き」されるレベルのものであって、まるっと信じたら怖いから。
そしてもう一つ。
人を助ける活動に、効果があるとかないとか、足首つかむ…ようなことを言ったのは当時の日本のある種の反原発市民運動ぐらいだったのではないか?
世界中でチェルノブイリの子どもたちを助けようとしてるときに。科学以前に、人として大切な何かが日本は足りない。
そして、あまりに自分の頭で考えない。
人の病気の原因をみつけ健康のために助言するのが科学の役割であって、多少の死の灰毒は受け入れて結構などというのはそれすでに科学じゃない。それが日本にばらまかれてる。
福島原発事故から10年たってみな安い方に流れたくなる。しかし、がんばれ!
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