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2019年11月10日12:44

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天明7年土平治騒動(庚申塔の時代背景)

天明年間は全国的な凶作が続いていた時代。
安永9年(1780) 関東全域で大洪水
天明3年(1783) 岩木山、浅間山噴火による降灰被害
天明4年(1784) いわゆる天明の大飢饉(東北)

飢饉が発生すると米価が高騰するので、被害は間接的に全国規模となる。
よって天明年間は一揆が多発した時代でもあった。

天明7年(1787)12月。
今の神奈川県相模原市緑区。当時は津久井県の村々でも一揆が起きた。
津久井県の特徴は造酒屋と質屋だけが打ち壊された点。

首謀者は牧野村の組頭倅(せがれ)専蔵を始めとする3名で、
主に専蔵が主導したことから、専蔵の通称「土平治」を冠した騒動として記録されている。
ネットで探すと概略は簡単に判るが、酒屋が狙い撃ちされた背景がなかなか興味深い。

背景
・凶作と米価高騰で津久井の村々は夫食にも困窮している状態だった。
・当然ながら米を大量に使う酒造は控えるよう御達しがあった。
・当時の津久井には上方の造酒屋が進出しており、旧来からの在地造酒屋が潰れている状態だった。
・従業員も上方から呼び寄せていたらしい。
・この造酒屋は相模国の酒屋ではないためか、米の買入自粛に縛られず、米を買い上げ酒を造っていたので、津久井界隈の米価はさらに高騰していた。
・この造酒屋は質屋商売もやっていたらしい。
・税金に相当する冥加金は納めていてもわずかで、地元からは何の益ももたらさない存在と認識されていた。

ざっとこんな背景で、簡単に言ってしまうと、他国資本によって地元の利益が奪われるどころか、死活問題にもなっていたわけだ。
現代のGAFAに対する課税問題とか、アフリカ進出している某国がメインの従業員は自国から派遣していて、他国からごっそり利益を吸い上げている構図と何ら変わらない。
江戸時代であっても酒造には免許のようなものが必要で、それを貸与して(潰れたからという一面はあるが)利益を得ていた村の人間がいるのも事実。
たいていは名主などの村役人達であり、村の支配層でもあった。
つまり、経済問題だけではない一揆の一面もあったのである。

専蔵も組頭の倅なので支配者層ではあったが、自称していた「土平治(土地を平かに治める」からもうかがえるように、義侠心的な部分もあったのであろう。

一揆の時系列
天明7年11月 酒造制限の御達しに関する寄合
名主と酒造屋の寄合。仕込んでいる分は12月晦日をまでの販売とし、他国へ売る酒は正月朔日までとすることで合意を得ようとしたが、反論があり、2月から中止としたが、酒造の停止には合意を得られなかった。
※酒造方から名主共へ賄賂が送られたことが書かれている古文書もある。
12月22日 寄合上で、他国売りは続けたい意見が出てまとまらず。
  同日夜 上川尻村の近江屋が打ち壊し
28日 日連村勝瀬の酒造屋が打ち壊し
これによって寄合が持たれ、議提案採決になりかけたがまとまらず。
その寄合場に、牧野・青根で大勢が騒ぎ立てているとの注進。
さらに、中野村より飛脚が来て志田山の辺りから長竹口にかけて、中野村を目指して大勢が襲い来ているとの知らせ。
これによって、議提案の証文へ連印がなされた。
天明8年正月4日 新年の寄合
その場に青山村より飛脚。今晩、青山村の酒屋打ち壊し計画があるとの知らせ。様子を見に三ケ木村へ行くと、あたり一面の山々に星のごとく松明が見え、法螺貝や鯨があがっていた(ときの声のことらしい)。

以降、青山村、中野村、鳥屋村の造酒屋が打ち壊され、現在の愛川町にも波及。田代村、半原村の造酒屋も打ち壊された。

これによる判決。
牧野村専蔵 手鎖・死罪 ただし牢中にて死亡。
青野原村重郎兵衛・利左衛門 死罪
村々 不届き者を出した28村に対し過料銭として212貫文の罰金
日連村造酒屋 10年冥加金不払いなので、諸道具取上げの上、江戸払い。
日連村名主 事態を招いたので過料銭3貫文
日連村組頭 お叱り
半原村造酒屋 酒造過少申告なので、諸道具取上げ、江戸払い。
半原村名主・組頭 お叱り

被害者である造酒屋も罰せられてるのは、奉行所も問題の本質が判っていたということなのかもしれんけど、批判が自分達に及ぶのを避けた一面も否定はできない。

電車賃値上げを発端に置きてるチリのデモとか、昨年のフランスのイエローベスト・デモとか。香港だって民主化の裏で大陸資本の占有があるし。
国も時代も違うけど、230年くらい経ても人間てやること変わってない。

フォト

一揆の記録に出て来る土地にある天明6年の文字庚申塔。
庚申塔だけだとなんてことないが、時代背景を知ると、なかなか味わい深いw
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コメント

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