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2019年12月05日02:08

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中村先生が、アフガンと日本その他に残した宿題。

一報を目にしてから数時間、どうにもこうにも胸が詰まって息苦しい・・。

ただただ悲しいことだからなのか。そうとも言えるし、そんな単純じゃない、とも。
どう整理して書き留めるべきなのか、大変苦しい・・。

慈善という概念を、どのように論ずれば一番適切で妥当性があるのか・・
単に慈善と言っても、主体となる対象の分類によってニュアンスは変わってくるし、
内容や手法の是非もまた絡んで来るものだ。

対象となる分類上に居る「人」の心に、実際に、どのように受容されるべきか・・
絶えず考えながら、時に悩みながら、壁にぶつかりながら、それでもただひたすらに
長い年月をかけて行う慈善行為が、どの段階で如何なる評価を受けるべきなのか・・

明確な答えなど、おそらく何処にもないのだろう。
答えがないものに、それでも尚求め続けることがどれ程尊いものか。
考えただけでもドッと疲弊して来るが、それを実際に積み重ねて来た中村先生を想う時。
尊敬とか、栄誉とか、そんな言葉だけでは言い尽くせないものがあるはずで・・。

混沌とした、世界でも有数の“混迷地”と言っていい中東。
複雑怪奇な歴史や民族紛争らによって、あらゆる面で荒廃した地を、
どうやって平穏な地域にすべきかは、今も尚最善策が見つからない・・

その中で、黙々と汗を流し続ける外国人の行いが、たった数発の銃弾で耐えてしまう・・

錯綜する情報の限りでは、タリバンによるものではないとする自身の声明を主体に、
客観的な推察としてもその可能性は低いと思われるものの、しかして治安情勢が
依然として悪い現地状況からしても、枝葉末節のグループによるもの、
あるいは先の「IS残党グループ」の可能性との見立てもある。

何か明確な政治的目的・意図によるものなのか。または単なる強盗襲撃の部類なのか。
全く判然としない以上、今の時点で無根拠な推測による現地に対する疑念的視点は、
知らぬ間に大きなってしまった暁に、下手をすると、中村先生が長年築き上げて来た
「民族同士の固い信頼性」を短時間で崩壊させかねないだろう。

それに関連し、尚も中村先生を引き合いにするならば、必ずや触れられる「9条」。
“ペシャワールの会”における看板にある文言には、およそ2つの理由があるからだろう。
一つはやはり「平和主義にある国の民族」としての正当行為であること。
これが何よりも現地民との信頼性を絶対的に担保して来たのは、
長い年月の履歴がしっかりと証明している。

もう一つは、それを掲げることによって「安全性」を担保しようというもの。
他民族に対して・・とりわけ「親米国家」であることに対しての疑念が、
純然な慈善行為を妨げてしまうからだろう。

しかして、それでも尚絶対的な安全性までは担保されず、実際には会の職員が
既に殺害されてしまった悲しい事実が指し示されており、その点で“スローガン”や
“ポリシー”だけで安全を保証されるものではないのは自明だ。

それでも、そのような事実があろうとも、一貫してブレずに積み上げて来た暁に、
ここまでの絶大なるアフガン全体からの敬意や尊敬の念が生まれたのも明らかな事実。

その点で言えば。中村先生は、苦悩の地アフガンで、戦闘が続いて来たアフガンで、
「武器を持たずに戦って、生き抜いて来た人」である。最後には倒れたとしても、だ。
この事実から目を伏せては、蔑ろにしては絶対にいけない。

では、武器を持っていればもっと生き延びれたのか?
欧米諸国のように、手前勝手にアラブを弄くり回して来た欧米諸国のように、
「戦う状態の国家による派遣民間人」だったら、もっと生き延びれたのか?
信頼性は増して安全だったのか?先生は安泰であり続けられたのか?

9条のない欧米国家のような態勢だったなら、先生の弔いのために
軍を派遣し猛攻撃をかければチャラになるのか?それで気が晴れるのか?解決するのか?

振り替えれば。この約20年近くの間・・
“テロとの戦い”、“文明国家(民族)VSジハーディスト”とし、
砲弾爆弾の雨あられ状態を継続して来た結果、アラブには、中東には平和が訪れたのか?
アフガンが、パレスチナが、イラクが、シリアが、イエメンが・・
平和の花咲く国家や地域になったのか?

ミサイルや爆弾の残渣と共に、怨念や疑心暗鬼、不安、憎悪、妬み・・
これらの残渣があちこちに残ったままだろうが。残るどころか「増殖」してるだろうが。
これをどうやって片付け、どうやって尚も潤いをもたらせられるのか?

アフガンでは、トランプ・アメリカが疲弊に次ぐ疲弊の末全面撤退をしようとしている。
他方でアフガン政権は、駐留する諸外国軍への不健全な依存体質の末、
汚職腐敗を積み上げて来た事実が歴然とある。それに対する攻撃がタリバンの
大義名分にもなっている事実まで、しかとみつめるべきだろう。

中村先生や同様の行為を積み上げた人々が、どれだけ地道に尽力しても、
その頭上を双方の勢力がやり合うことによって、かけがえのない信頼醸成を
いとも簡単に壊して来たわけだ。壊しては積み上げ、壊しては・・その繰り返しだ。

生前に先生は、ある人にこう話したそうだ。

「これからの国際協力はきっと、国連や政府じゃなくNGOになると思う。
何故なら、現地との繋がりは「組織」じゃなくて「人」だから。
「人」の熱意こそが世界や地域を変えられる、唯一の方法なんじゃなかろうか・・」と。

国家政府はもちろんのこと、国連もまた“利害関係”が交錯する「多国間組織」。
それらが行う“慈善行為”には、どうしたって純然さが欠ける。
厳密にはNGOだって一応組織に違いはないが、あくまで民間主体だ。

中村先生は、もはや領域国民国家が主体となる国際協力には限界があることを、
20年も前から肌身で感じ取っていたのだろう。

人が人を救うには、最終的に一人の純朴な「心」じゃないと成し得ない・・
そのことを、先生は我々に教示してくれたのだと思う。
この教訓を、ぬくぬくとしたこの島国で、あるいはアフガンで、多くの諸外国で、
どれだけ汲み取れるか、理解出来るか・・

我々に与えられた宿題だろうと思うし、そうじゃなければ、
何のために先生が命を投げ売ったのか・・だ。

■アフガンで銃撃、中村哲医師死亡=「ペシャワール会」現地代表、支援活動中
(時事通信社 - 12月04日 14:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5889200
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