渋沢栄一が一万円札の肖像画になるらしい。
2024年から変わるとのことである。
大変うれしいが、韓国との兼ね合いで話題となっているので、かなり複雑な気持ちだ。
早くもネット上には、渋沢栄一のダークサイドに関する話題がいくつも出ている。そもそも、渋沢の時代には、帝国主義が当たり前であったのだ。よほど目の覚めた、というか時代を超越した人間でなければ、帝国主義に敢えて対抗しようともしなかっただろう。
また、新しいこと(資本主義の普及)をするということは、古いものを壊すということである。渋沢栄一の切り開いた資本主義の陰には、古い時代とともに今あるものを壊されてしまった人も多くいるだろう。新しいことには犠牲が付き物なのだ。例えば、新しい道を建設するには古い家に住んでいる人に立ち退きしてもらわなければならない。古いものを壊さずして新しいものを取り入れることなどできないのだ。古い家に愛着のある人が、新しい道を作った人を怨むこともあるだろう。八方ふさがりは徳が無ければありうるが、徳があっても八方円満などあり得ない。中には逆恨みもある。
そういったことに目を向けず、ネトウヨ、パヨク、ネトサポは、今日も極端でセンセーショナルで、くだらないことばかりをネット上に垂れ流す。救いようすがない。ただ、こういったことに触れない良識のある人々は、こういったものごとの道理をよくわかっていることを願うばかりだ。
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