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2019年10月23日17:42

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共産支配ラトビアで母娘の悲劇 東京大学名誉教授・平川祐弘

 下記は、2019.10.23 付の 正論 です。

                        記

 ソ連支配下のラトビアの母娘の物語を描いた『ソビエト・ミルク』の作者、ノラ・イクステナさんが来日し、私も大使に招かれ、話を聞いた。公邸の壁に2007年、ラトビアを訪問された上皇陛下のお歌が掲げられている。

 《シベリアの凍てつく土地にとらはれし我が軍人もかく過しけむ》

 強烈な共感を伝える陛下の感動的なメッセージである。

 ≪ラトビア国民の悲しい運命≫

 近年は平和なラトビアの首都リガを訪ねる日本人も増えた。この国は東隣のエストニア、西隣のリトアニアと第一次大戦後の1918年に独立したが、小国の悲しさ、運命は三転四転した。40年、スターリンとヒトラーの密約でソ連に併呑(へいどん)された。しかし独ソ戦が勃発するやドイツ軍に占領され、44年秋にはソ連軍が入ってきた。共産軍兵士は勝手に樅(もみ)の木を伐採(ばつさい)する。とめようとした作者の祖父は殴られ、血だらけとなり樅(もみ)の木と一緒にトラックに投げ込まれ、シベリア送りとなる。こうして小説は始まる。

 陛下のお歌は、日本の「いくさびと」も同じシベリアのいてつく土地で虜囚(りょうしゅう)となったラトビアの人々へのシンパシーの表明である。

 極寒(ごくかん)の地の強制労働で数万人の日本兵は死んだが、日本の男女比が変動することはなかった。しかし人口250万のラトビアでは、今でも女の方が男より多い。シベリアで多くの男は死んだが、女は生きのびた。作者の祖父は衰え、9年後に帰国したが陋巷(ろうこう)で死ぬ。祖母はすでに再婚していた。当時小学生だった母はある日、もっさりした男が近づいて、いきなり自分は父だと切り出したときは、とっさに逃げ出した。涙ながらに家に駆け込んだとき、そこに蒼白(そうはく)の祖母がいた。お利口さんの娘は、母には知らせず、実の父に会いに行く。実父の病死がきっかけで医学を志望し、優等生はレニングラード(現サンクトペテルブルク)へ留学するが、事前に思想チェックがあった。「実の父親に会ったことがあるかね」「いいえ」「お父さんが祖国の裏切者だったことを知っているかね」「いいえ」

 ≪自伝文学『ソビエト・ミルク』≫

 医学部を出た娘は望まない妊娠をして自分(作者)を生んだのち数日間、姿を消した。乳が張っても自分の母乳で育てようとしない。祖母はカモミール・ティーで自分(作者)を育てた。母はこんな世の中に生きることを憎んだらしい。留学帰りで将来を嘱望されたが、思想的感情的に共産党体制と合わない。反抗したために睨(にら)まれ、医学者としてのキャリアを断念し、娘(自分)を連れて、田舎の救急センターに勤務する。

 そこでの作者の娘時代も、休暇にリガの祖母と義祖父に会いに行く楽しみも、そして母と娘の葛藤(かっとう)や和解も、二人の思い出が交互に重なるように描かれる。ラトビアの自然は詩情があふれ、茸(きのこ)狩りとか、母娘が二人裸で泳いだ月夜の川とか、忘れがたい。飼っていた雌のハムスターが生まれた子を食い殺したとき、「どうして自分の子供を」と驚いて泣く娘を、母は強く抱きしめた。「檻(おり)から出してやりたかったのかもしれない」。母は「私は生きていたくなかった。生きようとしない母の乳を与えたくなかった」と打ち明ける。

 『ソビエト・ミルク』は自伝文学だが、二人の交錯する語りは母子和解の一種の心理療法でもある。それほど赤裸々に母と自分の日常が語られる。『ソビエト・ミルク』は多くのメタファーを含む現実描写である。娘はリガに戻り、祖母の家のかつての母の部屋が自分の部屋となり、高校へ進学するが、生徒に人気の教師は、教会を見学させた。それは唯物論からの逸脱として睨(にら)まれ、生徒は教師を密告するよう強制される。共産党政権下の矛盾に満ちた生活を送るうち、娘は母の心の闇を理解し始めるが、母の心の傷は回復せず、そのまま田舎で死ぬ。

 ≪4割近くの住民がロシア系≫

 その直後の89年、ベルリンの壁は崩壊し、バルト三国も蹶起(けつき)する。独立を訴える住民はタリン、リガ、ビリニュスの3市を北から南へ600キロにわたり、手に手をつないで道路に立ち並んだ。「人間の鎖」が結ばれたことで、バルト三国は91年ふたたび自由を回復する。

 だが、ソ連の後継国家ロシアと国境を接する三国は、近年欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)に加盟したとはいえ、ロシアがまた魔手をのばすかもしれない。ラトビア国内の4割近くの住民はロシア系だ。彼らはラトビア語を話さない。『ソビエト・ミルク』のロシア語訳はロシアで読まれてもラトビアのロシア系住民は読まない。西欧派と親露派が対立するウクライナに似るこの国で、いかに自由と独立を維持するか。人は、人民民主主義体制下の苛酷で非人間的な過去を直視することによってのみ、人間の尊厳を維持し得る。「私が書いたのではありません、物語が作家に書かせたのです」。再来日したイクステナさんは、訳者の黒沢歩さんと対談の末、そう言った。

(ひらかわ すけひろ)

 https://special.sankei.com/f/seiron/article/20191023/0001.html
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