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2019年09月21日11:29

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「現代に生きるファシズム(佐藤優・片山杜秀.小学館新書)」について

最近読んだが、近年僕が読んだ本の中では一番面白かった。内容の請け売りを書いても始まらないから、興味のある人はお読みになると良い。「ファシズム」と僕も今までは悪口として、その言葉を使ってきたが、その内容についてはよく知らなかった事を思い知らされた。ナチスと混同もしていた。両者は違うそうである。佐藤優氏は外務省の分析官もされてきたし、片山氏はファシズム研究の第一人者だから、間違いないだろう。


  その本の66から67ページに掛けて、「ムッソリーニは障碍者を保護した。人間は強い人と弱い人の両方がいて、当り前だと彼は考えていたからである」。戦時中のイタリアの障碍者の事については、日本では知らされていないわけである。僕も、その事について気になっていたわけだが。但し、片山氏は「(健全者の)強い人優位の発想」とか、ソフト的にだが、批判めいた事も述べている。

  以上の何がおかしい点なのか、考えてみた。共存の考え方は良いかもしれないが、その系統の考え方は「自発意志」が欠落しているのではないか。福祉関係の仕事や奉仕なども、更には、身障運動も「自発意志」によらないと続かないわけである。以前も話したが、福祉会や身障会で役員命令に従っている内に、自発意志が失われ、後は訳の判らない生き方になった例も僕はたくさん見てきたわけだし。健全者、身障者の区別はこの種の問題には付かないわけである。自発意志が失われた姿の典型的な例はオウム真理教の信徒たちである。それは恐ろしいわけである。蛇足だが、自発意志を出させて、それに従って何かする人たちには敬意を表するような社会価値観がこれからは特に必要だと僕は思っている。福祉社会作りにはそれが欠かせない。「命の尊重」だけでも不十分である。僕も色々見て、聞いてきたので。(医者の人体実験みたいな事への自発意志は別だが。ただし、それへの抗議の自発意志は尊い。島田療育園職員たちのかなりはそのような自発意志を持っていた。その貴重な話も僕は聞けたわけである。それにしても、「人体実験」は自発意志と言えるのだろうか。それも考えてみる必要がある)。

  また、その本には、1970年前後の木村官房長官の話として、「日本の経済成長の最大の要因は人口が増えたこと。(当時の)フランスは、人口が減少しているから、経済も衰退している」も盛り込んでありました。人口変化と経済成長はリンクしている事を、とっくの昔に木村官房長官は見抜いていたわけです。ならば、今の日本の経済も判るわけですね。

  とにかく、何にしても、意味をよく知らないで、言葉を使うこことはおかしいから、その言葉についてよく調べなければならない。以上からもそれがよく判る。


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