■「ネトウヨVSパヨク」論争、なぜ生まれた? 私生活の問題から現実逃避、「右」も「左」も夢中
(ウィズニュース - 08月03日 07:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=5733721
それは「デラシネであることへの諦念」といえるかもしれない。
30年前、既に「日本はポストモダン社会でなくプレモダン」だと言われていたのだけれど、その事態は大して変わっていないように見える。
左右を自称したりすることの能天気について、嘆息することも、嘲笑することもできなくはないけれど、そうした「足場」を持ちうることへの、多少の憧憬もなくはないのだ。
再部族化というが、それらはあくまで電子的な場所限定の、場所的な特性が誘因となる「説話論的磁場」(蓮実)において駆動されるにすぎず、所謂「現実」における分断につながるとは思えない。
職場の、南トン好きの人間とコミュニケーションがとれないということはないし、彼と政治的な議論をすることもない。
まあ、もらった土産を食べずに捨てるくらいのことはするのだけれど。
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