選手、フロント大量離脱後に迎えた初のシリーズ84年「闘魂シリーズ」は11月1日、東京体育館で最終戦を迎え、9,500人(満員)発表の観客を集めました。
暴動事件等で新日本プロレスに何度も裏切られながらも「新日本プロレスの窮地を放っておけない」という気骨あるファンがこの時代は多かったのです。
メインイベントは猪木vsストロング・マシンのシングルマッチで試合前は1号と2号、どちらが出てくるか新日本プロレス側から敢えて発表されていませんでしたが、猪木と対戦したのはマシン2号の方でした。
マシン2号は1号より大きいですが、トップロープ超えのノータッチ・トペを使う身体能力の高い選手。この日も猪木を相手にノータッチ・トペを敢行してファンを驚かせています。
試合は7分31秒、猪木が延髄斬りからの体固めでマシン2号を破って最終戦を締めくくりました。
藤波はカウボーイ・ボブ・オートンとWWFインターナショナル・ヘビー級選手権試合を行い、16分25秒、サソリ固めによるレフェリーストップ勝ちで5度目の防衛。
ザ・コブラはブラック・タイガー(ローラーボール・マーク・ロコ)とNWA世界ジュニア・ヘビー級王座防衛戦。10月19日、上越市リージョンプラザ・インドアスタジアムではコブラが13分59秒、一瞬のウラカン・ラナで勝利を収めていますが、内容的には実力者Bタイガーに苦戦しました。
試合は13分51秒、ジャーマン・スープレックスホールドでコブラが勝ち5度目の王座防衛を果たしました。
大量離脱で選手層が薄くなった新日本プロレスですが、去る人間もいれば新しい人材が育って来るのも新日本プロレスの特徴。
84年は新人デビューの「当たり年」であり、3月3日、後楽園ホールで佐野直喜、山田恵一、4月10日、千葉・佐原市民体育館では畑浩和、8月31日、南足柄市総合体育館ではジャパンプロレスに移籍した笹崎伸司、9月1日、練馬・南部球場特設リングでは橋本真也、10月5日、越谷市体育館では武藤敬司、蝶野正洋、10月12日、久留米・福岡県立体育館では野上彰(AKIRA)がデビュー。大半が業界で出世しています。
また留学生としてデューク・ケオムカの息子パトリック・タナカ、キング・イヤウケアの息子ロッキー・イヤウケア、9月20日、大阪府立体育会館で猪木に敗れたアノアロ・アティサノエが新日本プロレスのリングに上がっています。
若手は後に日本プロレス界を背負う逸材も輩出することになりますがこの時点ではまだまだヤングライオンの粋を出ておらず、新日本プロレスは苦しい陣容でのリスタートとなっています。
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