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2019年05月10日00:45

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亡くなった土井選手の思い出・昭和時代のプロ野球選手は滅多にサインをしてくれなかった


今日は、軍事関係の話でもドイツでの思い出でもなく、10年前に亡くなった元巨人V9選手の土井正三さんの思い出を書きます。このように書き始めると美しい思い出のように思われるかもしれませんが、全く逆のちょっとイヤな子供時代の思い出です。(苦笑)


何度も書いているけど、僕の亡くなった父は全国と海外にも支店がある大手銀行に勤務していたので、僕が小学生を卒業するまでは家族は全国各地を転勤していた。当然ながら銀行が所有する社宅のアパートに住んでいた。一番長く住んだ所は名古屋だが、そこでも3年ちょっとしかいなかった。

そして、名古屋の次に住んだのが東京だった。東京に引っ越してきたのは昭和50年1月だった。具体的な場所を言うと銀行の寮は目黒区にあった。そこで僕は小学校に入学した。

そして、小学校に入ると同時に大の野球ファンになった。東京に住んでいたことと宮城県出身の父が巨人ファンだったので、当然ながら僕も巨人ファンになった。今は宮城県には東北楽天があるので楽天ファンが圧倒的に多いが、それ以前は巨人ファンが多かった。

だが、父は東京の後に広島に住んだ時に、アンチ巨人の広島カープファンになった。江川事件などで巨人に嫌気が差したこと、昭和50年代というとカープの黄金時代だったことがカープファンになった理由だ。だが、僕は広島でも巨人ファンを続けたので、父は僕にとっては“裏切り者”だった。その後、僕と父は何度かプロ野球の優勝予想などでケンカをすることになった。(苦笑)


その話はさておき土井選手の思い出だが、プロ野球ファンになるとすぐにプロ野球選手年鑑を買ったのだが、その本の最後にはほとんど全ての選手の住所が書いてあり、
「さあ、君のファンの選手のサインをもらいにいこう!」
という、今では考えられないような個人情報が掲載されていた。

だから、小学校の野球好きの友達と一緒に自転車に乗って、日曜日に目黒区内に住む巨人の選手のサインをもらいに行くことにした。王選手も目黒区内に住んでいたのだが子供心にも、
「流石に大スターの王さんはサインしてくれないだろう」
とみんなは思ったので、巨人の2番打者でセカンドを守っていた土井選手のサインをもらいに行くことにした。

このことがあったのは昭和51年の初夏だと記憶しているが、僕が当時の巨人で一番好きだったのは、土井ではなく5番打者でライトを守っていた末次だった。でも、末次の家は目黒区からはちょっと離れていたので、土井のサインで妥協したのだった。


土井選手の家は、銀行のアパートから子供の自転車でも30分ほどで着ける距離だった。流石は巨人軍のV9戦士だけあって、大きな家に住んでいた。家のブザーを押すと土井選手は出てこず、奥さんが出てきた。奥さんはものすごく迷惑という顔をして、
「なんやの、あんたらどこから来たの?目黒区内なの?それやったら近所でしょ?サインは別の日にしてくれない?シーズンが終わった後の11月とか?お父ちゃんはせっかくの休日で休んでいるんだから、そっとしておいて欲しいんだけど」
と言って、すぐに中に引っ込もうとした。

しかし子供のこちらとしては、「君のファンの選手のサインをもらいにいこう!」と選手年鑑に書いてあり、住所まで載っていたんだから、
「応援しているファンの子供には、喜んでサインをするのだろう」
としか思っていなかったので、迷惑な顔をするというのには本当に失望した。

「そこを何とか、よろしくお願いします。プロ野球年鑑に住所が書いてあったので、みんなで自転車で来たのです。みんな、土井選手が大好きなんです」
などと、小学校5、6年の先輩たちが何度も頭を下げてお願いして、やっとサインをしてもらった。でも、土井選手はついに一度も顔を出さなかった。


土井選手のサインをもらいに行く数日前には、同じく目黒区内に住む大洋の控え選手の、松岡選手のサインをもらいに行ったことがあったのだが、こちらの方は小さなアパートの一室に住んでいて、ブザーを押すと本人が出てきた。友達みんなで、
「サインをもらいに来ました」
というと、
「えっ、オレのサインなんか欲しいの?そうか、それは嬉しいな。たまにしか試合に出ないけど応援してね」
と言って、松岡選手はニコニコ微笑みながらサインをしてくれた。

だからその時の好感触があったから、土井選手のファンの子供を粗末にする態度には、みんなブチ切れして激怒したのだった。
「もう、土井なんか、応援してやらねえぞ!なんだ、あの態度は!俺たちが応援しているから、プロ野球選手は頑張っているんじゃないのか!?テレビでいつも、『野球ファン、特に子供のファンのためにいいプレーをしたいです』なんて言ってるけど、あれは嘘だったんだな!土井があんな感じなら、他の巨人の選手もみんな同じだろう。スター選手のサインなんて、もういらねえよ!大洋の代打の松岡をみんなで応援しようぜ!」
と口々に言って、さんざん悪態をついたのだった。


でも、当然のことだが、成長するにつれて土井選手の気持ちがわかるようになった。だいたい、プロ野球選手年鑑に選手の住所が掲載されていて、
「さあ、君のファンの選手のサインをもらいにいこう!」
などと書いてあったこと自体が異常なことだったのだ。こんなことが掲載されていたら、選手は1年中休むことが出来ないだろう。体がいくつあっても足りないだろう。

当たり前のことだが、数年後にはプロ野球選手年鑑には選手の住所は掲載されなくなった。選手の住所を選手の了解も得ずによく掲載していたものだと、今では本当に不思議に思う。


選手の住所を掲載しなくなったのには何度か事件があり、僕たちと土井選手のケースのように自宅にまでファンが押し寄せると休みがなくなるという、選手側からの悲鳴があったようだ。それで、選手のプライベートを考慮して住所は載せなくなった。

あと、1970年代当時はなんと女性アイドルの住所!!まで芸能雑誌には掲載されており、人気絶頂だった女優で歌手の岡田奈々がファンの男に自宅に侵入されて、そのファンは岡田と一晩を一緒に過ごしたというとんでもない事件まであった。そういう事件があってから、芸能事務所とプロ野球球団は本に住所を掲載するのをやめたという経緯があった。今の個人情報保護の観点からすると、本当に考えられないほどに簡単に個人情報が巷に出回っていたようだ。

こちらの1980年度の阪神タイガースの選手年鑑を見ると、当時は選手の住所が年鑑に掲載されたいたことがわかる。アパートの名前と何号室かまで丁寧に書いてある。僕は1980年は父が大阪支店に勤務していたので、旧国鉄の甲子園口駅の近くに住んでいたけど、けっこう多くの選手が僕の家の近所に住んでいたことがわかる。

甲子園がある西宮市に住んでいたけど、阪神ファンにはならなかった。理由は1980年の阪神はほとんど首位争いをせずに5位に終わってしまったことと、僕の家は阪急ブレーブスの西宮球場の方が近くて、小学校の窓から西宮球場が見えるような位置にあったから。それに、僕は近鉄特急が大好きだったので、阪神電鉄という親会社が貧乏な球団はとても応援する気になれなかったから。(笑)

https://youtu.be/WJOI8ExLHMQ






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