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2018年11月13日03:16

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“ボサノバン”・ラプソディーな70年代!?

変なタイトルになりましたが・・(笑)

先だっての“フランシス・レイ”に拠る訃報を機に、当時の名曲をランダムに聴いてて、
その頃の色んな記憶とか、音楽の傾向や特長など入り組んだ状態で頭の中が支配され、
摩訶不思議な毎日を送っておりますが・・。あせあせ(飛び散る汗)

どういうきっかけかわからないんですが、ある名曲を聞いた時、
そこから数珠つなぎ的に何曲か辿るような格好に。
「あれ!?なんか似てる気がする・・」という、割と誰にでもある感覚って奴ですかね。

単に似てるっていうより、コード進行とかアレンジメントとか・・
曲が醸し出す雰囲気〜方向性っていうんですかね。
なのでよくある「パクリ」とはちょっと違う・・。

辿ってみて、並べてみて・・当時の時代背景や流行みたいなことだけじゃなくて、
逆に今の時代に足りない要素までも浮き上がってくるかのような、
そんな感覚になったわけであります。

きっかけが先ずこの曲。
「Antonio's Song」by Micahel Franks

言わずと知れた大名曲。彼の持ち味〜特性の中心でもある
“ブラジリアンミュージック〜Bossa”の芳醇な香りを更に熟成させ、
まるで水彩画家のようなタッチングで描きあげていく・・みたいな高品位ナンバー。

今更補足するまでもないですが、曲名の“Antonio”はブラジル音楽の巨匠
「アントニオ・カルロス・ジョビン」で、彼に捧ぐという楽曲。
因みに、当時の邦題がまんま「アントニオの歌」なんぞという、
その頃の国内レーベル担当者が、如何にもやっつけ仕事だったかを
如実に物語ってるかのようで・・当時、この辺の洋楽にまだ馴染みも興味もない
小僧連中の間では「なんで猪木のテーマ曲がこんなにハリがないんだよ!」っていう
論争にもならないプチ論争が湧いたとか湧かなかったとか(笑)。

横道に逸れました。取り急ぎ先ずは・・


で、この曲を聞いていて何気に繋がってったのを一気に。

「どうぞこのまま by 丸山圭子」


「あの日に帰りたい by 荒井由実」


「思い出は美しすぎて by 八神純子」


「ブルー by 渡辺真知子」
(これだけtubeには当時の原曲だけのupがなかったので・・)


とまぁ、邦楽のヒットナンバーが繋がったのですが・・
最初の“Antonio’s Song”を基にする限り、別段パクリというわけじゃないものの、
エッセンスという点では何処か似たものが。また、邦楽4曲はそれぞれ、
アレンジや音の構成諸々に違いはあるものの、共通項があるように思えるんですね〜。

それはやはり「Bossa」。ただし、ボッサと言ってもブラジル発のストレートな
「南米匂」ではなくて、“ヨーロピアンボッサ”。ポルトガル語由来のソレから来る匂い。

4曲共に独特の「紗」と「モヤ」が掛かっている・・
そこには“映像〜描写”というある種のビジュアルも浮き上がってくるという。

このビジュアル感こそ、先のフランシス・レイにある映画音楽・・
すなわち「フランス映画にある描写感」ではないか、っていう気がするのであります。

因みにそれぞれのリリース年を観てみると。
・「Antonio's Song」 1977年
・「どうぞこのまま」 1976年
・「あの日に帰りたい」1975年
・「思い出は美しすぎて」1978年  
・「ブルー」1978年

5曲とも3年程度の間にリリースされているんですね。
また、意外なことに!?M・フランクスのナンバーからインスパイアされて・・
という流れではなく、ユーミンの曲がこの中では一番最初にあるという。
ま、実際に八神純子の曲も渡辺真知子の曲もユーミン由来かどうかも、
またM・フランクス由来かどうかも定かではないですけど、
何れにせよ4曲がこんなにも競っていた時期というのは、何だか興味深いのです。

では、フランス映画音楽・・という点でいうと、主な作品は
60年代半ば〜70年代頭に集中、上記5曲のリリース年とは最大で
10年程のインターバルがあるので、日本・世界でのブーム/流行を受けて
パクられたような安易性は特段に観られず。

とすると、当時の時代背景からするに・・少なくとも70年代の終わりまでは
総体的に「欧州的な美感」というのが日本人の琴線や感性に合っていた・・
ということが言えるんじゃないかと思うわけですねぇ。

また、同じ70年代にあった「フォークソング」にしても、
中心は当時の若者を背景にした叙情感ではあったものの、そこに浮かび上がる「紗」や
「霧がかった感」ってのは、欧州的なソレと共通項があった・・
とも言える気がして来るんですねえ。

結局、80年代に突入する前後から急激に進化と豪華さが加わった
「アメリカンポップス」、その少し後からの「MPVムーブメント」によって、
更にバブル時代の到来も重なり、「紗よりも明確な輪郭」がウケていき、
音楽から滲み出るビジュアル感は「脳内よりも実際の視覚映像」によって固定化。
映画も派手なハリウッド映画の方に人気は偏っていった、みたいな・・

個人的に音楽も文化も、過去に拘ったり郷愁に浸り過ぎるのはあまり好きじゃない・・
いや、正確に言えば、次々と生まれて来る新しいものを追い掛けるためには
そんな時間的余裕がないから・・というのが正しいんですが、
とはいえ時々立ち返ることは重要なばかりか、後になってから判明する事実関係とか、
新たな魅力を発見出来たりもするので、時々こうして聴き直すのは面白いであります。。
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