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2018年03月15日11:54

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僕がS園に行き、今も書ける本当の理由

  そこにいた人たちの「ものすごい魅力」です。非常に時間を掛けて気が付きました。実際には、彼らの魂に引き寄せられるように僕も行き、今も同様に書けるわけです。
   内、僕と一番気が合う男子園生だった野口栄一君の魅力については非常に早い時期から判っていました。それゆえ、公のブログにも実名で書き、「文士」とも呼んできたわけです。長い間、僕は野口君の魅力で行ったとばかり思っていましたが、狭い見方でしたね。気が合う・合わないに関わらず、園生は皆魅力的でした。又、確かに虐待はいけませんが、職員たちも魅力的だった事に今の僕は気が付いています。77年に一園生から職員たちの悪口を聞かされ、ずっと差別的な奴らだと思ってきました。でも、全部が虐待や差別をしていたわけでもない。中には、園児生の飲む薬に問題意識を持ち、そうっと捨てていた職員もいたわけだし。矛盾をいくつもはらみつつも、皆で支え合い、生きていた。共感とかはしなかったですが、思い出すと皆魅力的だし、職員たちとも話せば良かったと今は思っています。人間の魅力は個人だけでは出るものでもないでしょう。支え合うハーモニーとして出るわけですね。
  僕にとっての本当の教会もS園だったかもしれないと思うわけです。そこはクリスチャンの他、共産党員や創価学会員もいました。でも、思想の違いを越えて助け合っていた。むしろ、イエスはそのような事を望まれたわけです。無論、おかしな事も多かったし、汚い面も多かった。未確認情報ですが、何かの人体実験という恐ろしい事もあったそうです。でも、真の教会は実際は世間の汚れや重荷の集積場でしょう。けがれなどを引き受ければ引き受けるだけ、後で救いとか光が出てくるのではないかと。確かに、医者も、職員も多くの過ちを犯しました。それは重い罪ですね。でも、それを後世の福祉などの為に生かせば、良いのではないかと。又、過去は変えられないし、そうするしかないですね。風評被害を僕は非常に警戒して、実名は出せないのが残念ですが、それでもその見聞の記録を書き残せて光栄に思います。
  有名なトラピスト修道院では、男女の祈る所が違うそうです。昔の僕はその事は知りませんでしたが、モラルの名の下、男子部屋にばかり行った。それも無意識的に何かを意識していたのでしょう。確かに、男女は違うし、それが社会行動の基本の一つですからね。
  今まではS園に行った事を僕自身は否定的に思ってきましたが、最近書いた後、肯定的に思えるようになりました。行って良かったわけです。行く事のサポートをしてくれた旧友たちにも深く感謝しています。
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