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2018年03月01日14:25

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新説・片腕女房 始まりの話・1

 千葉県野田市の外れには首切塚と書かれた石碑がある。その昔ここが処刑場とも、処刑された罪人の首が埋葬される場所という噂もある。
 これは、そんな首切塚にまつわる噂の一つの物語だ。



 時代は1700年代。
 現代の千葉県野田市にして当時の関宿町の外れ、江戸川の近くにある三軒長屋には二家族が住んでいました。一軒は右の長屋に住む街の老舗の店で働く竜二・お睦の家族と左の長屋に住む船頭の岩笠・お蜜の家族。二つの家族は互いに子どもがいませんでしたが、同じ長屋に住む家族という事もありそれなりに仲が良かった。
 竜二も岩笠も良く働く夫でしたが、妻お睦とお蜜は違いました。
 お睦は昔から病気がちで床に伏せる事が多く、お蜜はよくお睦の家を訪れては家事の手伝いをしていました。
 お睦はお蜜に感謝し、彼女の存在に本当に嬉しく思っていましたが、お蜜はお睦がいなくなればいいと思っていた。と言いますのもお蜜がお睦の家に良く通うのは、彼女が本当に好きな男、竜二と話をする為です。そしてあわよくば竜二と一緒に結婚すればいいなと思ってた。
 しかし竜二はお睦の事を本当に良く愛していて、その仲の良さとくれば二人が歩く姿を見るだけで街の人は恥ずかしくてそっぽを向き、犬さえも顔を赤くする程だ。お蜜はその光景を遠くで見ては悔しさと悲しさ小さな体の中に気持ちが広がっていく。
 なにせ岩笠は妻をあまり愛さず酒と昼寝が好きな男で、酒臭さを撒き散らしながら家に帰ってはただいまも言わずに戸口で眠りこけ、朝早くに起きれば朝食を食べただけで早々に仕事場へ向かってしまう。
 そしてそれまでの会話と言えば「飯!」の一言だけなのだから、お蜜がお睦に向ける嫉妬の凄まじさは半端じゃあない。
 しかしお蜜はその気持ちをお睦に見せる事なく笑顔を見せて家に訪れ、嫌な気持ち一つ出さずにお睦の身の回りの世話をし続けていた。竜二の笑顔が見たいからだ。
 そうして今日も竜二が来るのを待ちながら家事をこなしお睦の世話をして、夕げを作りその帰りを待っていた。
 やがて日が赤くなり山々に沈み始めた頃、竜二は戻ってきた。
 お蜜は自分の夫に一度も見せた事のない満面の笑顔を見せて出迎える。
「竜二さん、お帰りなさい」
「おや、お蜜さん。今日もお睦の様子を見に来てくれたんですか?」
「ええ、少し家が暇だったので張り切ってしまって・・おしかけがましいが夕げまで作ってしまいました」
 竜二が湯気のゆだった鍋の中身を見るとそこには赤味噌の味噌汁がすでに出来ていた。それを見た竜二の顔が笑顔になり、お蜜の顔もそれにつられて明るくなる。しかし自分の夫の帰りも近い事を思いだし、すぐに帰り支度をはじめていく。
「それでは私はこれでおいとまさせていただきますね」
「お蜜さん、もう帰ってしまうのかい?
 少し御礼をさせてくれ、今お金だけでも」
「いらないわ。報酬はもう受け取りましたので」
 そう言って、お蜜は素早く家から出ていった。自分の顔がひどく赤くなっているのが分かる。それを誰にも見せたくなかった。お蜜は両手で顔を隠してしまう。
「恥ずかしい、おっ母、私はなんて恥ずかしい女でしょう。夫の前以外であんな顔を晒すなんて。お睦さんにみられたらなんて思うか。ああ、恥ずかしい。
 ですが、ですがねおっ母」
 お蜜は両手を広げ、沈み行く太陽にだけにその顔を見せる。紅潮しつつ笑顔に満ちたその顔で、お蜜はこう続けた。
「私はこれだけで充分に幸せなんです。
 おっ母から貰った蜜の名前の通り、私は今、幸せの蜜の底に沈んでいます。今はただ一瞬だけ、たった一瞬だけですが、いずれ朝から晩まで毎日浸かり続けたい」
 そう呟いた後、彼女の表情から一瞬で笑顔が消え、温度を感じさせない表情になり食事を作るため夫が帰る家に戻っていった。


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