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2018年11月06日04:55

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つらつらと

■熊田曜子、子ども3人連れで児童館入れず 墨田区は「アスレチックがあり、安全管理上制限を設けている」と説明
(キャリコネ - 11月05日 13:51)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=5362564

mixi上でこの記事に対する意見がいろいろ出ているけれど、情報不足のままあっちが悪い、こっちが悪いと非難するのはよろしくないと思う。そういう自分もその中の一人だと、あらかじめ断った上で書いてみます。
 
 まず、この記事を読むと、
「子供3人連れて児童館に行った。整理券をもらって待った。自分たちの番が来て入ろうとしたら保護者1名につき子供2人までと言われて入れなかった」
 とある。この文章だけ見れば、「児童館側が対応が悪い」と思う人がいるだろうと思う。「児童館側が、この家族が待っている間に説明しておくべきだった」と私も最初思ったのだが、しかし、色々調べると、そうも簡単に判じられないと思う。
 
 「児童館はHP上に『保護者1名につき子供2人』を明記している」→あらかじめ調べておくべきだった

 「『整理券をスタッフにもらった』とも読めるが、整理券は自動発行機」→整理券をスタッフが渡した渡したわけではない

 「整理券に上記のルールは書いてあった」→確認不足
 
と思った。この時点では児童館側の対応を責められないと思う。
 おそらくこの母親は「待たされたのに入れなかった」ことが不満なのだと思う。そういう気持ちになるのは最もなこと。これは理屈云々ではなく、誰だって「待たされたのに入れなかった」となればイラっとするだろう。
 個人的には、こんな経験ないだろうか。

 初めて行った病院で保険証と症状を書いた紙を受付に出したのに、一向に呼ばれる気配がない。受付に確認したら、「診察を希望される方は番号札をお取りになって…」といわれ、受付窓口の横を見たら番号札が置いてあった。
 この状況下で、病院が悪いかこの初診患者さんが悪いのか、断言はできないと思う。確認不足は患者側が、説明不足は病院側が。どちらか一方を良として反対を責めるのには抵抗がある。
 ただ、患者側の立場に立てば、自分が悪かろうが相手が悪かろうが、いずれにせよ不機嫌になるのは間違いない。その感情がわいてくるのはどうやっても避けられない。

 この感情をどう処理するかは人それぞれだが、今回の場合母親は「完全に自分のミスです」と言っている。しかしブログ等の書き方を見ると、児童館側に対しての不満が垣間見えてくる。だからと言って匿名ではなく名指しでこの出来事をブログに書いてしまうのは、いかがなものかと思う。実際、賛否両論分かれて、かなりネット上で燃えていることは否めない。
 このブログへの投稿を、「社会に対して一石を投じた」ことに意味があると評価する意見もあるが、だとしても児童館側を名指しで挙げるのは避けるべきであったと思う。


 その他にも、
「子供2人まではOK、3人以上は不可という基準が分からない」、「児童館側が柔軟な対応をすべき」
という声も複数きかれるが、これは少し現実味を欠いた意見だと思う。確かに誰もが納得できるような人数の基準など存在しないし、そうした意見を組み込むならば人数制限は理屈に合わない。しかし、ここで考えるのは児童館の「ルール」や保護者の「立場」ではないと私は考える。
 「児童館は予め(子供2人までという)ルールを開示しているのだから、それに従え」
ではなく、「子育ては大変なのだから、保護者の負担を少しでも減らすために子供3人以上も受け入れて」でもないと思う。
 
 そしてまた、この問題は「責任」論で考えられるべきではないと考える。子供に何かあったとき誰が責任をとるか、と考えて論じるのは、一番客観的で、ある意味現代的な考え方であろう。このケースでは、
「児童館は保護者1名につき子供2人なら責任を取らなければならない。3人以上うけいれた場合、その責任を負うのは児童館側になる。児童館側としてはリスクはなるべく避けたい。だから3人以上は受け入れられない」
 という考え方は、多分誰でも思いつくし、(児童館側の立場からすれば)一番もっともらしく、ある意味理にかなった考えだろう。3人以上の子供を受け入れて負う責任と、それを断って批判される辛さを天秤にかければ、後者を選ぶのが普通だと思う。

 
 しかしながら、「ルール」でも「立場(心情、事情)」でも「責任」でも、この問題は解決されるべきではないと私は考える。この記事へのコメントの中には、「ルールなんだから従うのが当然、嫌なら帰れ」とか、「税金払ってるんだから融通利かせて」、「責任んの問題があるから…」といった書き込みが多くみられるのが残念に思う。ルールに常に従うだけになれば世の中は非情になる。個々の事情をくみ取りすぎれば社会は成り立たない。責任にこだわれば皆責任の押し付け合いで落伍する。
 これらのバランスのとり方が重要だという考え方もあろう。が、人間皆、基準のとり方はそれぞれである。論じ合って皆が妥協できる基準にたどり着くのが理想ではあるが、これには時間がかかりすぎる。
 
 私は、政府や公共機関は逃れられないサービス業、だと思っている。 誤解しないでいただきたいのは、ここでの「サービス」とは、相手の要求にとことん応じる「おもてなし」の産業ではない、ということ。私たちはお金(税)を払う。公共機関はそれに応じて様々なことを提供する。「国」と「人」との関係は、決して特別なものではない。一種の保険のようなもので、「一般企業」と「人」との関係とほとんど変わらない。唯一違う点があるとすれば、それは「必ずお金(税)は払わなければいけない」だけ。
 初めに問題提起した内容とはずれてきていると思う方もいるかもしれないが、もう少し聞いてほしい。政府に不平があるのは、自分たちの選んだ代表のやり方に文句を言うこと。国に損害賠償を求めるのは、ミスがあったから税金の一部を自分に返せという主張。国に支援を求めるのは、自分たちへの還元率をあげろということ。
 ひねくれた考え方と思うかもしれないが、突き詰めていけばこういう考え方もできると思っている。国や地方自治体を擁護し、国民にワガママ言うな、と言っているのでは決してない。ただ、「国政」vs「自分達」という構図に固執し、「自分達」を正しいものと思い込み、結局まわりの皆の首を絞めていることに気が付かないのだけは勘弁してほしい。この事例も、別にどちらかが悪くてどちらが正しいといいたいのではなく、行政サービスと「自分」という観点から物事を見ることも大切なのではないか、という思いでこの文を書きました。
 
 長々と失礼しました。
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