mixiユーザー(id:4632969)

2017年07月21日00:01

223 view

『アレトゥーサの銀貨』第3話

『アレトゥーサの銀貨』第3話

 海皇主従一行がまずやってきたのは、海底神殿の中心と思われる広場だった。そこを起点に放射状に道路が伸びている。かつては人でにぎわっていたであろう広場だったが、今は崩れた列柱だの評議場とおぼしき建物の跡だのが散乱した廃墟だった。
「北西の道路に沿って歩いて…って、北西ってどっちだよ!?」
 ポセイドンが描いたという地図を片手に、カノンがぼやく。今は手元に方位磁石などないし、太陽の位置から推測しようにも頭上の海面にさえぎられて、太陽がどこの方角にあるのかがはっきりとは分からない。
「この円形の建物がここで…こっちか?」
 地図に描かれた建物の配置から、何とかカノンは方角を洗い出した。
「プラタナスの大樹が玄関近くにある大きな屋敷を右に曲がって…いや、そんな木、もう枯れてるし!」
 地図には目安になりそうなランドマークが描かれているのだが、なにぶんにも今は完全な廃墟である。石畳と崩れた壁しか残っていないような場所で、結局、頼りなるのは、「それはここだったと思う」「それはこっちだ」というポセイドンの記憶であった。
 四苦八苦しながら、それでも最終的にカノンは宝物殿らしき長方形の建物にたどり着いた。 
「向かい合うグリフォンが彫られた青銅の扉がある宝物殿に…ん、ここか?」
 宝物殿だというその小ぶりの建物は、荒れてはいるがかろうじて外観をとどめていた。向き合うグリフォンを描いた青銅の扉の中心には、文字を埋め込んだ円形の円盤がはめこまれている。
「なんだ、これ?」
「鍵の一種だな。確か暗号は…」
 円盤の文字のいくつかをポセイドンが押し込む。すると、扉が左右に開いた。
「よし、開いた、開いた」
 ポセイドンが子供の様にはしゃいだ。建物の中をのぞき込むと、そこは雑然とした物置のような印象だった。壊れた壺だの、錆びた青銅の机だの、割れたガラスの杯だのが、瓦礫と土ほこりの中で無造作に転がっている。
「確かこの辺に…」
 ポセイドンが瓦礫の中をごそごそと漁る。やがて彼は一つの櫃を掘り当てた。
「おお、これだ!」
 ポセイドンが探し当てた「宝箱」はオリハルコン製と見え、長年の歳月にも朽ち果ててしまうことはなく、赤みを帯びた美しい金色に輝いていた。表面には海馬を従えて海の上を行くポセイドン神や、波間に戯れる海の妖精(ネレイデス)たちの姿が美しく彫金されている。
 一メートルほどの長さがあるその櫃を、ポセイドンはカノンとソレントに命じて建物の外に運び出させた。
「うむ、お宝をゲットしたぞ!」
 嬉しそうにポセイドンがガッツポーズを決める。
「シードラゴン、開けてみるが良い」
「はぁ…では…」
 カノンが櫃を開封する。その瞬間、熱風が彼の顔に吹きつけた。
「うわぁ…っ!」
 思わずカノンが飛びずさる。体長十メートルを超えるであろう巨大な火竜が箱の中から飛び出し、彼の目の前で火を吹いていた。
「こんなもん…箱のどこに入って…!?」
「『宝箱』には罠がつきものであるからな」
 うんうんとポセイドンがうなずいている。
「この…!」
 「腐れ海皇が、分かっていてやらせやがったなぁぁぁ!」とカノンは心の中だけで思いっ切りポセイドンを罵った。
「財宝を守るドラゴンを退治する…というのも、英雄伝説の定番ですしね」
 ソレントも主君に調子を合わせてうなずいた。
「というわけだ、シードラゴン。頑張って火竜を倒すが良い。そやつを倒さねば、宝は手に入らぬ」
 どこから探し出してきたのか、ソレントが黄金製の椅子を宝物殿の扉の前にさっと据えた。よっこらせ、と、ポセイドンが玉座に腰かけるかのようにその椅子に腰を下ろす。さらにこれまたどこから拾ってきたのか、ポセイドンの手にすかさずソレントが酒杯(カンタロス)を差し出した。これも黄金製で、木蔦が掘りこまれて紅玉で装飾された、見事な逸品だった。ポセイドンが美しいその酒杯を手にすると、これまたお前はどこに隠し持っていたんだと言いたくなる素早さでソレントはシードルの瓶を取り出し、ポセイドンの手の中の酒杯に開栓したシードルを注いで主君に供した。
「海龍対火竜というのは、なかなか好カードであるな」
 完全に観戦態勢に入ったポセイドンが他人事のような口調で評した。まるで円形闘技場で猛獣と戦う剣闘士を眺める古代のローマ皇帝のような有り様だ。
「ソレント…貴様、見ていないで手伝え!」
 ポセイドンの脇に控えて自分は関係ないというような顔をしているソレントをカノンが怒鳴りつける。
「あいにく今はフルートを持っていませんので、私は戦力外だと思ってください」
「この…この…!」
 「貴様ら、後で覚えてやがれぇぇぇーっ!」とやはり正面切ってポセイドンを罵ることが出来ないカノンは、内心で絶叫したのだった。
 火竜がカノンに向けて炎を吐いた。熱風が巻き起こり、カノンの肌のうぶげがちりちりと焼かれる。鱗衣も聖衣もない状態でまともに食らってはローストヒューマン一丁上がり、となってしまうだろう。
 カノンは炎をかわし、すかさず横に回りこんで、火竜の脇腹に拳を撃ち込んだ。しかし。
「…っ!」
 赤銅色の鱗で覆われた火竜の外皮は思いのほか固く、カノンの撃ち込みを弾いた。撃ち込んだカノンの拳の方にじんじんと痛みが走るほどだ。
「くそ…硬い…!」
 再び火竜が炎を吐き、カノンが飛びずさって逃げる。攻め手を欠いて苦戦しているようなカノンの様子に、ソレントが慨嘆した。
「ああ、ここにクラーケンのアイザックがいてくれたなら、彼の凍気であんな火竜は一撃でしとめてくれるでしょうに…。どこかの馬鹿な男のせいで若い命を散らしてしまうなんて…なんて可哀想なアイザック…」
 ソレントがはらはらと落涙してかつての同志の死を悼んだ。が、その仕草はどうにも演技がかってうさんくさい。
「嫌味を言うなぁぁぁーっ、ソレント!」
 ソレントを怒鳴りつけながら、カノンは必殺技ギャラクシアン・エクスプロージョンを放った。火竜の吐いた炎とカノンの技の威力が相殺される。炎が散り、空白が生まれた一瞬の隙をついて、カノンが火竜の口の中に飛び込んだ。そして、鱗で覆われていない柔らかい口腔からのどにかけて、ギャラクシアン・エクスプロージョンを叩き込む。
「ウギャアアア…ッ」
 火竜はカノンの小宇宙の爆発によって、口からのど、腹の部分を内部から破壊され、引き裂かれた。腹が風船のように膨らみ、音を立てて弾ける。火竜の散った血や肉片は火花となり、残っていた胴体も炎の塊となってたちまち消えた。
「はぁ…はぁ…」
 火竜を倒したカノンが肩で息をしていると、ぱんぱんぱん、と手を叩く音がした。
「見事であるぞ、シードラゴン」
 黄金の椅子に座ったポセイドンが拍手をしてカノンの奮戦ぶりを称賛している。それに答える気力は、カノンにはなかった。
「火竜を倒した褒美に、そこの財宝は全てお前にやるとしよう」
「…ありがたき幸せ…」
 様々な不満を胸の中で押し殺し、かろうじてカノンはそれだけ言った。
 改めてオリハルコンの櫃を調べると、中には様々な財宝が入っていた。古代エジプトの黄金と貴石の腕輪、ペルシャ風の銀製の碗、古代ローマ帝国の金貨、ビザンツ様式の黄金と宝石で飾られた祭壇、ルネサンス時代の真珠とエメラルドの首飾り…などなど、地域も年代も別々の財宝が無造作に押し込まれている。いったいポセイドンはこれらをどうやって集めたのであろうとカノンは不思議に思った。海底に沈んだ難破船に積まれていた財宝は全て海の支配者たる自分のもの、という心づもりで拾い上げていたのかもしれない。
「…どうせならば、十三年前にこの隠し財宝をいただきたかったです。海闘士たちを育てるのに、金策にどれほど私が苦労したか…」
 ぼそっとカノンがぼやいた。海闘士たちの育成に要した費用だけでも、食費、被服費、兵営の建設費、教育費、毎月の給料…と、ただでは成せなかったのは確かだ。
 だがポセイドンの答えはこうだった。
「隠し財宝を探そうともしなかったお前がうかつなのだ」
「……」
 高慢な主君に反論する気力もなく、カノンはがっくりと肩を落とした。
「ソレント、お前にはこれをやろう」
 ポセイドンは櫃の中から一枚の大型銀貨を取り出し、それをソレントに渡した。
「これはなんでしょうか?」
「古代シチリアの都市国家シラクーザが発行したデカ(十)ドラクマ銀貨だ。表にはシラクーザを象徴する水のニンフ・アレトゥーサの横顔と遊泳するイルカが、反対の面には疾走する四頭立て戦車が描かれておる」
 古代のシチリア島や南イタリアにはギリシャ人の入植都市が数多くあり、「大ギリシャ(マグナ・グラエキア)」と呼ばれて本土以上の繁栄を誇っていた。中でもシチリア島の主要都市だったシラクーザは、アテナイ、スパルタの二大強国に次ぐ規模の都市国家だった。シラクーザは紀元前五世紀の初めには銀貨を鋳造するようになり、特にエウアイネトスという彫刻家が作った貨幣は、巻き毛をヘアバンドで優雅に結い上げたアレトゥーサの静謐な気品と、足を上げて疾駆する四頭立て戦車の躍動感が素晴らしく、「古代ギリシャで最も美しい貨幣」と言われている。
「私は同時代のアテナイで作られた貨幣に描かれたアテナよりも、こちらのアレトゥーサの方が美しいと思うのだ。アテナイの貨幣のアテナの肖像はまだアルカイック期の稚拙さを感じさせるが、このシラクーザのアレトゥーサは古典期の端麗さが見事に表現されておる。まさに芸術品よ」
「ポセイドン様の御厚恩に感謝いたします」
 ソレントはうやうやしくポセイドンからデカドラクマ銀貨を受け取った。カノンには櫃一杯の財宝を与えて、自分には銀貨一枚だけですか?などという不満は、ソレントは抱いたりはしない。ポセイドンから手づから与えられたものであれば、それが錆びついた銅貨一枚であったとしても、ソレントにとっては他に代えがたい、かけがえのない宝なのだ。
 とはいえ、保存状態の良いエウアイネトス作のデカドラクマ銀貨となれば、日本円で一枚が四千五百万円はする、本物のお宝である。ソレントはそこまでの事情は知らないが、アレトゥーサの美しい肖像にしばし見入っていた彼は、やがて大切そうにそのデカドラクマ銀貨をシャツのポケットにしまった。
「さて、では、帰るとするか」
 海皇が場を締める。
 こうしてポセイドン、カノン、ソレントの三人は再び海を抜けてソロ邸の別荘に戻ったのだった。

 小さな海底神殿での「宝探し」を終えてソロ家の別荘に戻ったカノンは、精神的及び肉体的疲労のあまり、自分に割り振られた部屋に籠って寝台に倒れ込んでいた。
 ポセイドンからもらった財宝の詰まった櫃は、すでに異次元へと投げ込んで仕舞われている。ポセイドンが顕現していた間の出来事については、ジュリアンの記憶の中では「海でずっとカノンとソレントと一緒に遊んでいた」と置き換えられていた。ジュリアンに事故がないようにと遠巻きに見守っていた使用人たちも、主人と友人たちの姿が消えていたにも関わらず、やはり「海でずっと遊んでいた」と認識していた。ポセイドンが幻術を使うなり彼らの記憶を操作するなりしてごまかしたのだろう、と、カノンは推察した。
 トントン、と、カノンの部屋の扉がノックされた。
「入れ」
 扉を開けたのは、ジュリアンだった。
「カノン、そろそろ夕食ですよ」
「…ああ」
 のろのろとカノンは起き上った。夕食は庭でバーベキュー・パーティーをすることになっていた。ジュリアンやソレント、カノンの他に、島民の代表者たちも何人か招いていて、ジュリアンにとってはヴラヘロナ島の住民たちとの交流会も兼ねている。
「やっぱり、ちょっと疲れましたね。はしゃいで泳ぎすぎました」
 廊下を歩きながら、ジュリアンが明るく笑う。彼の中では今日の出来事は「カノンやソレントと一緒に夢中になって泳いでいた」となっているのだ。
 カノンは、自分のパンツのポケットをごそごそと漁り、ある物を取り出した。
「ジュリアン、手を出せ」
「はい?」
「やる」
 カノンがジュリアンの手に置いたのは、美しい十字架だった。純金で作られており、カボション・カットの施された色とりどりの宝石がびっしりとはめ込まれている。時代的にはロマネスク様式の品だろうか。カノンがポセイドンからもらった櫃の中に入っていた財宝の一つだ。
「え、ええ!?」
 突如、カノンから渡されたアンティークな十字架にジュリアンが驚いた。
「これ、どうして…」
「今日、海の中で見つけたんだ。お守り代わりにお前にやる」
「ええ!?海の中って…すごく古そうな品ですよ!?まさか、海賊の隠し財宝が本当にあったんじゃ…」
「海賊の財宝だか難破船からの流出品だか、知らんがな。ソレントも浜辺でシラクーザの銀貨を見つけたと言っていたぞ」
「本当に!?うっわー、近くに財宝船でも沈んでるのかな。探させてみようかな」
 うわー、うわー、とジュリアンは興奮気味に感嘆していた。やはり「宝探しは男のロマン」なのである。ジュリアンにとっても冒険心をそそられる話だったらしい。
「まあ、探すなら勝手にやってくれ。おれは参加はせんぞ。宝探しはもうたくさんだ」
 ため息混じりにそう言って、カノンはジュリアンとともに庭の方に歩いて行くのであった。

<FIN>

前へhttp://mixi.jp/view_diary.pl?id=1961619989&owner_id=4632969
目次http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1961613408&owner_id=4632969
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年07月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     

最近の日記