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2017年08月10日23:22

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(117)

78年新春黄金シリーズ最終戦の翌日となった2月9日、東京体育館では新日本プロレスとしては初のファン感謝イベント、「新春プロレスファンの集い」を開催しています。

全日本プロレスは旗揚げ2年目の74年から稲城市のよみうりランドを使用してのファン感謝デーを夏休みの時期にかけて毎年開催しており、ミル・マスカラスの来日時期はマスカラスが参加して超満員のファンで賑わっていました。

ストロングスタイルを標榜しシリアスモードが売りでもある新日本プロレスはあまりファンとの交流イベントを行うのは積極的でなく、73年10月に行われた世界最強タッグ戦の前にルー・テーズとカール・ゴッチが新宿伊勢丹の屋上でイベントをやったのと、74年1月に神宮外苑でマクガイヤー・ブラザーズ、マイティ・カランバらが来てカランバがバスを繋いだチェーンを口にくわえて引っ張ったデモンストレーションをやった位で、ちゃんとしたイベントとしてハコを借りてやるのは今回初。

このイベントは2月15日にテレビ朝日の水曜スペシャルで午後7時30分から90分枠で放送されました。

当時ニッポン放送の看板番組、オールナイトニッポンで人気を博していた笑福亭鶴光をメインMCに起用。

コック経験のある藤原喜明が料理を披露、猪木とマクガイヤー兄弟のピコピコハンマーによるジャンケンなどがファンを楽しませました。

試合は2試合組まれ、若手参加によるバトルロイヤルは大城大五郎が優勝、賞金を獲得しましたが、大城はこの後、新日本を退団。フリーとしてカナダに渡りプロレス活動を行っており、結果的には餞別になった訳です。

メインイベントは猪木、坂口組の黄金コンビがジェリー・ブラウン、バディ・ロバーツ組のハリウッド・ブロンドスと対戦。(60分1本勝負)

ブロンドスはこれより2年半前の75年8月1日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで当時の北米タッグ王者チーム、猪木、坂口組に挑戦。

前身は71年11月と74年1月に国際プロレスに来たオカマギミックのブロンド・ボンバーズであり、猪木、坂口組の楽勝防衛かと思われましたが、驚異的な強さを発揮。

1本目は18分9秒、猪木がロバーツをジャパニーズ・レッグロールクラッチ・ホールド(回転足折り固め)で先制しましたが、2本目以降は猪木がブロンドスに捕まり、巧妙なタッチワークにやられまくり、ブラウンのニードロップ(トップロープからのフライング・ニードロップではなく、単なる普通のもの)で猪木が13分12秒、フォール負け。

3本目はノーコンテストとなりカリフォルニア州ルールによりタイトルはコミッショナー預りとなりましたが、内容は猪木、坂口組の完敗でした。

当初はロサンゼルスでの王座決定戦という話でしたが「やるなら日本で」という猪木の主張が通り、ブロンドスは8月22日、高崎市体育館で開幕の闘魂シリーズに来日が決定。

しかし、猪木は開幕前に左膝に激痛が走り40度近い高熱が出て左膝ウィルス性関節炎(蜂窩織炎)を発症し新日本旗揚げ以来初の4週間に亘る長期欠場。

猪木欠場の中来日したブロンドスは猛威を振るい、開幕戦の高崎では坂口、星野勘太郎組にストレート勝ち。

8月27日、田園コロシアムでは星野、山本小鉄組のヤマハ・ブラザーズにもストレート勝ち。8月29日、足立区体育館でも国際時代に対戦経験のあるストロング小林、永源遙組にストレート勝ちと恐るべし強さを発揮。新日本プロレスはNETのテレビ中継がついて以来、順風満帆に来ましたが、ここで最大のピンチを迎えました。
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