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2015年09月09日21:53

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新日本プロレス北米選手権考察(2)

もっとも、73年8月のロサンゼルスの大会の時は北米タッグ王座をどこが認定しているか?という事は明確にされていませんでした。

これは新日本プロレスのNWA加盟が却下されているという事実が関与してくると思われます。

猪木、坂口組がロサンゼルスでパワーズ、パターソン組と試合をした同じ8月の3日に新日本プロレスはNWAに加盟申請をして反対多数で却下されています。

この時新日本はサマー・ビッグ・ファイト・シリーズの途中でしたが猪木は試合を欠場し渡米しています。

柳澤健著「1964年のジャイアント馬場」によると馬場が事前にNWAのメンバーに現金を渡して猪木の加盟を反対するよう依頼した、とされる記述がありますが、多少のフィクションはあるにせよ、似たような話はあったと考えます。

72年に猪木が新日本を旗揚げした時はまだ日本プロレスが隆盛を誇っており、日本プロレス社長だった芳の里は、

「新日本プロレスに参加した外国人レスラーは二度と使わない」とNWA傘下のプロモーター達に通達を出しており、旗揚げのオープニング・シリーズに参加した外国人はカール・ゴッチ以外はリングネームを変更して来日した、という話もあります。

それだけ威光を放っていた日本プロレスも馬場、坂口が抜けて敢えなく崩壊。弱小団体だった新日本プロレスは坂口を獲得しNETの放送も付いた。つまり日本テレビと馬場に充分対抗しうるだけの力を持ったことになりました。

そこでものを言うのはやっぱり金であり、唯一の日本現存団体のNWA会員だった馬場のやり方を汚いと言う向きもありますが、企業防衛としては当然と言えます。

マイク・ラーベルはおそらく賛成に投票したと思いますが、他のメンバーとの兼ね合いを見て、この時の北米タッグ王座をNWA認定と謳うのを見合わせたと考えるのが妥当です。

一方、新日本プロレスでは猪木の「世界獲り」へ向けて着々とプランが進行しています。

9月2日、田園コロシアムで開幕した闘魂シリーズにジョニー・パワーズが特別参加。

ワーキングビザの不備から開幕戦には出場出来ず、9月7日の栃木県小山ゆうえんちスケートセンター大会から参加となりました。

パワーズは66年10月、豊登と猪木によって設立された東京プロレスの旗揚げシリーズにエース格のジョニー・バレンタインに次ぐ二番手として来日、この時猪木と対戦しており、7年ぶりの遺恨決着というストーリーの整合性も十分ありました。

小山で猪木とパワーズはシングルで対戦し猪木の反則勝ち。この時は顔見せ的来日でした。

10月14日には蔵前国技館で東スポの後援により猪木、坂口組vsルー・テーズ、ゴッチ組による「世界最強タッグ戦」を成功させ(猪木、坂口組が2-1で勝利)た新日本プロレスは年末の闘魂シリーズ第2弾の終盤1週間をワールド・タイトルチャレンジ・シリーズと銘打ってNWF世界ヘビー級、北米タッグ二冠王者のパワーズと北米タッグ王者パターソンを同時に招聘しています。

12月7日、大阪府立体育会館では8月のロサンゼルスに続いて猪木、坂口組がパワーズ、パターソン組の北米タッグ王座に挑戦。

今度はいける!と期待は高まりましたが結果は1-1からまたしても日本組の反則勝ちで王座奪取は成らず。

この試合はまだ私がテレビでプロレスを見始める少し前に行われ、映像も残ってなく後から買ったプロレス誌74年2月号のモノクログラビアに載っています。

写真を見る限り坂口が流血し相当な熱戦だったことが誌面から伝わって来ていますが、パワーズ、パターソン組のベルト姿の写真はなく、ロサンゼルスと同じものだったかは確認出来ておりませんし、またこの時の記事も北米タッグ王座とだけ記述があるだけでNWAの記載はありません。

12月10日、東京体育館で猪木がパワーズのNWF世界ヘビー級王座に挑戦。

1本目は20分47秒猪木がコブラツイスト、2本目は5分49秒にパワーズが足8の字固め。

迎えた決勝の3本目、猪木が5分10秒、卍固めでパワーズからギブアップを奪い2-1で完勝。猪木は一回の挑戦でNWF世界ヘビー級のベルト奪取に成功しています。
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