太平洋戦争が行き詰って来て、軍部が考え出したのは、
若者の命と引き換えに戦果をあげようという愚かな戦略、特攻隊だった。
「筑波海軍航空隊」
http://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=10258677&id=3654895
http://www.cine.co.jp/tsukuba_tokko/
筑波山を望む地で、短い期間の不十分な訓練を受け、
戦闘、そして戦死へと送り込まれた若者たちが、何を考えていたか。
偶然から生き残った特攻隊員であった90歳を越える方々が、
その当時の思い出を切々と語る。これが最後のメッセージだと。
「飛び上ったら終わり」
「生の選択はない」
「生きる術がないんだもの…」
「戦争はやっちゃいけませんな」
「戦争ってのは人殺しだからね」
語り手の中に、存じ上げているお顔があった。彫刻家の流政之氏。
何度かお目に掛かり、香川の岬にあるご自宅にも伺った。
流さんの命が失われていたら、あの彫刻群も無かったわけだ。
初々しいほどに若い特攻隊員の写真。そのほとんどが死に追いやられた。
彼らは皆、知性の優れた若者だ。しかし、いったん戦争になってしまえば、
どんなに愚かな命令でも従うしかなく、命を捨てるしかないところに追い込まれた。
戦争とは、これほどにまで、命を粗末にするものなのだと、つくづく思う。
この方々の語る証言に、いま、耳を傾けなくては。
ログインしてコメントを確認・投稿する