原爆投下など過去の話で、他人事だ。
他人事は忘れて、風化して、消え去るものだ。それが自然だ。当然だ。
過去と今と未来が繋がった時、初めて過去は他人事ではなくなる。
繋がりが無ければ、原爆投下は何時ですか?という問いなぞ、ただのクイズでしかない。
また、起こったことを覚えていても、何の意味もないし、価値もない。
起こったことから、何事かを学んだ時に、意味と価値が生まれる。
アメリカを怨んでいる限り、学びはない。
怨みは学びではない。呪いである。
怨みを浄化して学びがある。
浄化の方法の一つが、風化である。
長崎は浄化の道を歩んでいる。
■原爆投下の日、答えられたのはわずか3割弱 際だつ長崎での風化
(ウィズニュース - 08月08日 07:10)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=3556598
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