mixiユーザー(id:8306745)

2014年07月26日17:10

9 view

重信は、永田は、田宮は、この映画を何処で観たろうか?また何処で観なかったろうか?

1969年5月の新宿靖国通の雑踏を歩く
重信房子は右手に見える映画館に掛かる
新たな封切り映画の看板を見た。

そこには『中国女』とあった。

重信は制作者クレジットにJ.L.Gの
名前を認め、軽く肩を竦め、歩み去った。

1969年6月初頭に永田洋子と坂口弘は
銀座の映画館で『中国女』を見る。
前半40分を熱狂と激烈な同意を持って
鑑賞していた永田は、後半の展開に
甚く不快感を感じ、映画館を後にし、
「ゴダールは反動である」という発言を
新宿早稲田通りの大衆酒場ゾラで残す。

坂口の『中国女』評は残ってはいない。

田宮高麿は、革命を志す同志とともに、
高歌放吟の挙げ句に、早稲田の映画館に
流れ込み、そこで98分の安らかなる睡眠を得る。

そこに掛かっていた作品は、ジャン・リュック・ゴダールの
『中国女』だった。







・・・などという夢想に思わず浸り込んでしまうくらい、
退屈で刺激的な映画であった『中国女』を再鑑賞するのは、
実に10年は固い。

当時は「退屈なイデオロギィ映画」や「若者の青春の葛藤」
などという陳腐な解釈しか出来なかった(何故なら半分くらいの
時間は劇場の椅子で眠っていたからだ)物だったが、
今回ダラダラと昼酒などきこしめしつつ観た『中国女』は。

異様な面白さを放っていた。

徹底的に空疎な学生達の議論、講義、講釈は
後半の大学教授(アルジェリア戦争においての
ジャミラの擁護者、という前提をきちんと置いた!)
とヴェロニカの長いシークエンスでの革命とテロリズムに
まつわる議論において、徹底的に解体されてしまう程度の
物であり、ラストに申し訳程度に配置される「テロリズムの
実行」は幼稚な計画と文字の読み違えによる人違い殺人、
というグダグダの展開を迎え、登場する学生各人の
更に空疎な末路を暗示させるラストで締めくくられる。


寧ろ、この映画はグダグダのコメディとして観られるべき
映画だったのだ、という事に久しぶりの鑑賞で気付かされた
(何せ半分寝てたから)。

ここで、前段の夢想に立ち返る。

70年代学生紛争、そして、その悲惨で凄惨で滑稽な末路としての
連合赤軍事件に関わった多くの者たちは。

この映画を観ただろうか。

ここには既に「革命の空虚」が刻み込まれている。
そして、それは真面目であればある程トラジックで
ある事も如何無く、だ。

彼らは、69年。

何処かで『中国女』を観ただろうか。

だとしたら。

あさま山荘で、真冬に壮絶な水攻めを受け、
震える手で猟銃を握りしめる中。

「革命の空虚な滑稽さ」を体現する自身に、
皮肉な笑いを浮かべる事は無かったろうか?

・・・そんな批評性が無いから、連合赤軍事件なのだがね。
0 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する