写真は、家の前の公園の桜の木です。公園には、桜の木が何本もありますが、そのうちの一本です。写真の真ん中あたり、葉っぱのない枝が写っているのが分かるでしょうか・・・枯れています。この桜、半分以上の枝には青々とした葉が茂っていますが、半分弱の枝が枯れ始めています・・・今後、この木はどうなっていくのかな・・・
手当てされて元気になって欲しいと思いながら、前に紹介したこの公園の大木の切株のように、さっさと処分されてしまうかも・・・と思うと怖いです。なら、公園を管理している市に電話でもして、要望を伝えるくらいのアクションはすべきじゃないのか・・・と思わなくもないのですが、どうもそういうの苦手です。気が強いくせに、こういうところではやたらと気弱になります・・・単に日和見主義?無関心?ん〜、もっと単純にめんどくさがり屋の自己中人間です・・・
で、ただぼんやりこの桜のことを考えています。今、彼あるいは彼女、あるいはその両方は何を感じ、何を考えているのかなと・・・。なんて馬鹿な思いです・・・木が考えているはずなんかない、百歩譲って"感じる"に近いものがあったとしても、"考える"ことはないだろう・・・そんなことを思うのは、人間の勝手な擬人化遊び過ぎない。
でも・・・でも・・・
我々が活きて暮らしている世界には、ほんとうに沢山の命やモノがあって・・・そのほとんどには感情なんてものはないと思われていて・・・きっとそれはそうで間違いはないと思うのだけど・・・人間の感情のようなものはなくても・・・ふむ・・・
ただ"在る"ということの重み・・・それを、わたしは理解しているだろうか・・・頭では理解していても分かっていないのか・・・漠然と分かってはいるけど、ちゃんと整理した形で理解できていないか・・・単に自己満足の哲学ごっこしているだけか・・・
ただ・・やっぱり、在ったものが無くなる、あるいは無くなるかもしれないと感じたときの哀しさというのは嘘じゃないと思うのだよね・・・
と、結局、自分の事ばっかりになっちゃいましたが・・・桜、この桜、己の今について何を感じているのだろう・・・そしてこれからについて・・・
ログインしてコメントを確認・投稿する