子供に「なんで勉強しないとならないの?」と聞かれて、「将来やりたい仕事に就くためだよ。」というような答え方をする大人は非常に多いものです。
やりたい仕事ということでなくても、「やりたいことが見付かった時にできるように」とかもありますが、「やりたい〜」というフレーズは個人的にはあまり使わない方が良いのではと思っています。
というのも、少し考えれば分かりますが、子供達から見て、やりたいことをやっている大人なんて実際ほとんどいないからです。
私が「なんで勉強しないとならないの?」の問いに将来ベースで答えるならば、「やりたいことをやるため」よりも「やりたくないことをやらないため」と言います。
やりたいことを仕事にして生活していければそれに越したことはありませんが、よほどの才能と運に恵まれた一部の人でもない限りはなかなかできないことですし、第一やりたいことなどそもそもなかった大人も相当いて、子供もそのことは十分にお見通しなわけです。
ただ、だからと言って、多くの大人達が、不自由で不本意な毎日を送っているかと言うと、実はそうでもありません。なぜなら、「やりたくないこと」はやっていないからです。
例えば、振り込め詐欺のような犯罪に手を染める人も、ほとんどが最初からそんなことがやりたかったわけではなく、正しい判断ではありませんが、本人なりのやむにやまれぬ事情から、そういう世界に足を踏み入れるのが一般的なはずです。
また、特に犯罪などではなくても、あえてどういう職種かは言いませんが、「やりたくないこと」で生計を立てている人も必ずしも少なくないと思います。
要するに、やりたい仕事などなくても、やりたくない仕事を強いられるわけでなければ、「自由な自分」は半分は実現しているということで、それをベースとして、充実した人生を送ることもできるのです。
先日のこと、ある生徒が自習に来ている時、学校からの課題ということで、将来の職業についてのプリントをまとめていました。
そこには将来就きたい職業を挙げ、その理由やそれに必要なことなどを具体的に書くような内容でしたが、その生徒もどう書いたら良いのかについて色々と困っていました。
世のほとんどの中高生は、なりたい将来の職業を具体的に考えたりはしていないはずです。
そこで、私とも話しながら「土日休みの職業」とし、その他「できれば立ちっぱなしの仕事ではない方が良い」とか、「趣味でやっているスポーツを続けられるような仕事」ということでまとめました。
あるいは学校の先生に何か言われたかもしれませんが、実際こんな感じが十分に具体的であるはずで、そのためにどう努力すれば良いかを考えるというのが大切だと思います。
「なりたい自分になる」というのは大きな理想ですが、それはせいぜい小学生くらいまでにして、「なりたくない自分にはならない」ということの方が、非常に現実的で特に中高生にとっては分かりやすいような気がします。
ちなみに私自身は、子供の時から今の職業に就きたいと思っていたようなことは全くありませんが、今の自分の職業は気に入っておりますし、長い間やらせて頂いて非常に幸運だとも思っております。
ただ、それは常に大きなリスクも伴っており、特に仕事がい自分で完結できる部分が非常に少ないという意味でのプレッシャーやストレスもあります。サラリーマンも5年やっていたので、その頃との比較ができます。
だからこそ、就きたい職業、なりたい自分については、慎重に考えなければいけないと強く思いますし、子供達についても、まずはやりたくないことの方を先に考えてもらいたいと思っているのです。
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