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2011年10月23日11:24

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さらに考えを進めました (^o^)/

一昨日は、
無事、何事もなく、
苦痛なく
自然に呼吸を
深くゆっくりできることが
どれだけ有り難いことかしみじみ感じる。

昨日は
いつも通り午前4時に起きるが
念のため午後4時まで眠る。

今日も特に落ち着いているようなので
まあ大丈夫だろうと
朝起きて勉強と読書をする。


一昨日の日記にコメントを頂き
「笑いたいときは笑えばよいのではないか」
とのことで
そういう見方もあるのか
考えた。


あのときは
笑いに堪える訓練ととらえたけれど
もう少し考えれば
その裏には本当は
「『思いっきり大きく口を開けて
  腹の底から大笑い』する訓練」だったとも
考えられるなあ、と感じる。


去年くらいから
自分は笑うとき
口をあけず声を殺すように
「うくく」「うぐぐ」「えけけ」
という感じで笑っているなあと気づき
なんとかできればなあ
と感じていたがそのいい機会だったとも考えられる。


先日それに気づいていれば
間違いなく
堰を切ったように
「ぶわっはっはっはっ。ぎゃーはっはっはっはっ
 いーひひひひ。げらげらげらげらげら」
となっていたことに疑いはない。


笑いに堪えていた時
必死で自分を諫めていた言葉は

「おまえなんぞは、
 「笑える身分」じゃないだろが」

「だめ。
 やめなさい。
 みっともないから。
 よしなさい。
 みんなが見てるわよ。
 みんながイヤがるでしょ。
 みんなが気味悪く思うでしょ。
 みんなが迷惑するでしょ。
 みんなに嫌われますよ。
 みっともないから。
 よしなさい。
 だめ。
 やめなさい。」
 
というものだったけれど
交流分析の用語で見れば
これって
CP(CriticalParent:批判的な親)の
それそのものの
特有の発想
だったなあと
つくづく感じる。


普段は効き目ある言葉も
その普段の相手は
AC(適応した子供)だから
ぴったりききめがあったけど、
相手が
FC(自由な子供)相手では
全く効き目なし。


これに付随し
「認知のゆがみ」「自他境界のあいまいさ」
も交じっていると感じる。


他の人が
どう感じ
どう思うか
それは「わからない」。

自分がどう感じどう思ってるか
それが他人に伝わることなんてない。

先生の言葉によれば
人は他人に興味も関心も(さほど)ない.



金曜に川崎のBookOffにいき
大勢の人がいる中で
わざと
木曜に笑いをこらえた時のように
顔を
おもいっきり
ぐしゃっと歪めて
歩き回ってみた。

恥ずかしくとも何ともない。
何にも感じない。

(それをみかけてひとがいれば
 変な顔の変なおじさん、と感じたかもしれないが)
 
 
すると木曜に苦しかったのは
今自分が笑いをこらえているのが
伝わってたらどうしようという
魔術的な発想があったようである。


仮に
笑ったとしてもだ。


さらに
上に心のセリフでは
他の人の内心を勝手に想像し
「イヤがる」
「気味悪く思う」
「迷惑するでしょ」
というネガティブなことしか考えなかったけれど(CriticalParent特有だと思う)
何を感じ何を考えるかは
パーソナリティの数だけあるんだから
もっと別な何か
たとえば
「楽しそう」
「なんかいいことあったのかな」
「思い出し笑いだろう」
「大きな笑い声だ」
「ついつられて笑ってしまいそうになる」
なんていうポジティブな発想のパーソナリティだってあるだろうし
さっき書いた先生の言葉のように
「興味も関心もない。だから気にもとまらない」
という場合が案外多いかもしれない。


まとめとしては
木曜の現象の原因はわからない。

でも
修行だとすれば
それは
我慢し耐える、
という一面もあるが
それより

耐えるという制限を外し
他人がどう思う
他人にどう思われる
ということを気にする
「自意識」を
「中年」らしく
突破し

そして訓練の真の目標は
「大きな口をあけ」
「腹の底から」
「大声で」
「恥も外聞もかなぐり捨てて(自意識を捨てて)」
「呵呵大笑」すること

なんではなかろうか
と考えが進みました(^^
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