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日記一覧

○室町幕府の第十五代将軍「足利義昭」は、信長によって追放されてしまったのち、毛利家の保護を受けて、備後国(広島県)に落ち着いたそうです。天正十年当時も、そこにいたものと見られます。ただし義昭は「再び京へ戻って、将軍の地位を復権すること」をあ

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○「明智光秀の手紙原本」にあった「上意」の言葉。普通なら「最高位者の御命令」を意味しますが、それが誰なのかを特定せずに、仮に「上様」として、文意を読解してきました。しかし今度は「上様が誰か」を読解してみようと思います。○天皇のことだったら「

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○原本発見の「明智光秀の手紙」を読んできました。残るは「追伸」です。●六月十二日「明智光秀の土橋平尉宛」追伸「尚以、急度御入洛義御馳走肝要候。委細為上意、可被仰出候条、不能巨細候」○ここで光秀は、前文にあった「上様の御入洛の件」を繰り返して

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○先に「前文」だけを見た「明智光秀の手紙」です。今度は「本文」の読解です。●六月十二日「明智光秀の土橋平尉宛」本文「一、其国儀、可有御入魂旨、珍重候。弥被得其意、可申談候事」「一、高野、根来、其元之衆被相談、至泉河表御出勢尤候。知行等儀、年

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○頭の中にあるデータを整理するのに、「書くこと」でしかできない人間には、とにかく実際に「書いてみる」しかないんですよね。二年前に「新発見」と発表された「明智光秀の手紙」の内から、前文だけを、「写し」の翻刻で引用します。●六月十二日「明智光秀

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○二年前(二〇一七年)の九月十二日、読売新聞に記事が出ました。『「本能寺」は室町再興のため』の大見出しの下に、「光秀の手紙原本発見」と太ゴチックで。○発見された「明智光秀の手紙」とは、「六月十二日付土橋重治宛」で、その内容から「本能寺の変が

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