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日記一覧

森本 十二所神社の西北西260mあまりに位置する同じ森本の六所神社に向かった。六所神社は西側を南北に流れる大江用水沿いの一般道に面し、社頭の東10m以内を幹線道路が南北に走っている。この日は熱暑で、日射しは今夏外出した中でも最強で、愛車に積んでいる

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森本 十二所神社の祭文殿は瓦葺平入の社殿だった。この神社には拝殿が無いので祭文殿が拝殿を兼ねており、賽銭箱は基壇に上がる石段の麓脇に設置されている。石段を少し上がって格子戸を透かして本殿を見ると、その基壇の石組みは祭文殿基壇の石組みより新し

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丹陽町(たんようちょう) 八幡神社の拝殿前で左右に別れた石畳の参道は拝殿の基壇の左右を抜けて奥に延びている(写真左)。拝殿前には砂利が敷きつめられており、参拝者はそこに降りて献灯台の脇を通り抜けて拝殿の石段を上がることになる。拝殿は瓦葺吹放し棟

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丹陽町(たんようちょう) 八幡神社の表参道の途中に枝葉を広げている大楠は近づいてみると、枝の張り方から想像していたより、幹は太くなかった。社頭から続いていたアスファルト舗装の参道は参道の左右から根を張っている楠のせいで、途切れ、盛り上がってお

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阿豆良神社(あずらじんじゃ)祭文殿〜拝殿の西側の社地の端には社殿と平行に10mあまりの長さの高さ50cmほどに玉石を組んだ石垣の基壇が設けられ、その上に社殿の方を向いた7棟の銅板葺素木造の境内社が祀られていた。(写真左)基壇の裏面には生け垣が設けられ、

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阿豆良神社(あずらじんじゃ)の藩塀を迂回すると、本瓦葺の拝殿が高さ50cmほどに巨石の石垣を巡らせた基壇上に祀られていた。(写真左)は藩塀のすぐ奥に設置されていた献灯台の屋根越しに撮影したものだ。拝殿のガラス戸も格子窓も磨りガラスがはまっている。拝

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せんい服織神社(はとりじんじゃ)から馬見塚遺跡(まみづかいせき)の南600mあまりの場所にある阿豆良神社(あずらじんじゃ)に向かった。阿豆良神社のある町、「あずら」はオフィス街を通り抜けて住宅街の中にあり、周囲にもう田畠は見当たらない。阿豆良神社は角

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『愛知県埋蔵文化財センター 研究紀要 第13号』(2012.5 川添和暁・鬼頭 剛)の情報を元にして、馬見塚遺跡の立地や遺跡形成の様相を整理してみる。馬見塚遺跡(まみづかいせき)を初めて発見したのは、森徳一郎という人物だった。大正時代末の当時までは、

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愛知県西部、犬山扇状地から尾張低地帯にかけては、散発的に縄文時代の遺跡が確認されている。愛知県の西部には濃尾平野が広がり、陸側から海側(伊勢湾)にかけては扇状地から三角州へ地形が移行している。その地形上に縄文時代の遺跡が確認されている。馬見塚

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7月下旬、三ツ井遺跡の北西2.6kmあまりの地に馬見塚遺跡標柱(まみづかいせきひょうちゅう)があるというので、探したのだが見つけられなかった。日本国内の遺跡情報を一覧できるウェブサイト 『遺跡ウォーカーβ』(http://www.isekiwalker.com/)の 「馬見塚遺

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