http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1847041071&owner_id=34218852 アラバマ物語の批評 http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/truman-capote.htm ネットでのカポーティの評伝 トルーマン・カポーティ「おじいさんの思い出」文芸春秋1988村上春樹訳・
ジョルジュ・サンド「フランス田園伝説集」1858(岩波文庫1988)は表紙にフランスの遠野物語(1910年)とのコピーが記されている。サンドの方が半世紀早いのだから多分彼女としては不本意に違いない。しかし、「愛の妖精プチット・ファデット」の作者で、シ
桜川のサギ集団は子育ての真っ最中だった。そのかしましいこと。篠竹の上だからへびも登れないか。この迫力にカラスも近づけないに違いない。 この仔サギたちは神妙に親からの注意を聞いている? 最近、電線にたくさんツバメが集まってくる。渡りの演習。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1849468023&owner_id=34218852 村上春樹「1Q84 book1.book2」新潮社2009 をやっと図書館の棚で見つけた。先に、book3を読んで、上の日記に書いたので、これで揃うことになる。 ストーリーは単純であって、10歳の時
橋爪大三郎「仏教の言説戦略」勁草書房1986 は、「言語ゲーム」の側面から仏教を捉えていて新鮮、抹香くさい感じがしなかった。ここで、「仏教の言語ゲーム」とは、仏教に参加している人間の行動が相互作用でうみだしてゆく言葉群としておく。正確に理解し
吉本隆明「増補 最後の親鸞」春秋社(増補第一刷1981)は吉本独自の大胆で明解な分析で、親鸞理解へ向けておおいに参考になった。もっとも吉本の明解は難解と紙一重ではあるのだが。というのも、問題提起は明解でもその解決編では、不分明というか難解な詩
梅雨明けでいっきに猛暑。 今朝、道で小蛇がのびていた。つつくと、のろのろ端へ寄ってくれた。まだ暑くはないのだが。青くはないが、やはり青大将だろうか? 用心深い山鳩が国道に降りて逃げない。暑さボケか? また捕まえてきた。飛べないので、水と飯
吉本隆明「言語にとって美とはなにか」角川文庫(勁草書房1965)に取り組んで久しいが、いつまでたっても埒があかないので店じまいすることにした。先に、江藤淳「作家は行動する」の書評をしたが、実は、吉本が同じ時期に同じような問題意識で、しかし視点
やっと蓮の花が咲きだした。まだほとんどは蕾だけれど。蓮田の縁を歩いてゆくとぼちゃんぼちゃんと音がする。蛙のはずだが残念ながら姿が見えない。蛙は用心深い。芭蕉の古池の時も、芭蕉の足音で飛び込んだに違いない。 変わった花だが、図鑑によると南米
デヴィッド・リーン監督「旅情」アメリカ・イギリス1955 は、中年独身女性のヴェニスでのアヴァンチュールを縦糸としたカルチャー・ギャップの物語であった。アメリカの地方都市で秘書をしているジェーン(キャサリン・ヘプバーン)は、夏の休暇でヴェニス
ピエトロ・ジェルミ監督「鉄道員」イタリア1956 は、ウィキではネオリアリズムということだったが、ディケンズ「クリスマスキャロル」のようなクリスマス物語だった。一徹にして職人気質の機関車運転手アンドレア(ピエトロ・ジェルミ)は、その頑固さが災
ジュリアン・デュヴィヴィエ監督「望郷」フランス1937 は、いかにもフランス人らしい自由へのあこがれを描いているようで興味深かった。 物語は、パリの犯罪の常習犯ペペ(ジャン・ギャバン)が警察を逃れてアルジェのカスバに籠ってボスになり、カスバ内
江藤淳「作家は行動する 文体について」河出書房新社1988(講談社1959)は、27歳の著者の若さあふれる文体論である。書かれたのは岸内閣による60年安保改定の交渉中で、反対運動が激化する直前であった。その時代背景によるのであろうが、作家は直接にで
菊田一夫「君も名は」1952 の元ネタは、マイケル・カーティス監督「カサブランカ」アメリカ1942(日本公開1946) に違いない。 舞台は第二次大戦中で、ドイツ占領下のモロッコのカサブランカ。そこで賭博場つきのナイトクラブを経営しているリック(ハン
犬の散歩に神社を通ったら茅の輪があった。調べてみると、6月の大祓い(夏越し)とのことだった。 柏手を高く夏越しの漢(おとこ)かな umikaze 夏雲の下を下妻市へ遠出。 下妻市近くの小貝川の堰。 堰落ちて水の匂ひや夏の雲 umikaze 筑波山をの
昨夜、NHKスペシャル「謎のギリシャ文明」をみた。ギリシャ彫刻は、通常、真っ白な大理石に彫刻されたものとみるのが常識(教科書の絵もそうなっている)であるが、これは色が落ちるか、人の手で落とされたからであって、本来は彩色されていた。それが、