しばらくの間、近くの公園に捨て犬が居たことがあった。薄茶色の痩せた雄犬で、いかにも幸せ薄そうな、表情のない淋しげな顔をしていた。僕はその影の薄い犬の魂にとり憑かれたように、毎日餌をやりに公園に行った。テニスコート五六面分ほどの小さな公園だ
DEAR HIROさんお元気ですか?えー、私は、金沢の”ACKEE”です。5月21日は大変お世話になりました。すぐにでもお礼のお手紙をさし上げようと思ったのですが、何だかんだで、今日までのびてしまいました。何の目的もなく、ただブラーっと旅に出て、ヒロさ
閑話休題。孤独な捨て犬たちが出会うと、同病相哀れむで、互いに離れがたい気持ちになるらしく、二匹三匹と徒党を組んでいることがある。小さな集団でもリーダーがいて、その毅然とした態度は一目で分かる。何度か出会ったが、飼い犬には無い彼等の厳しく誇
”RASTAMAN VIBRATIONを読んで涙したのは私だけでしょうか?ヤーマン!お元気ですか?覚えておいででしょうか?ナニワのLINDAでございます。先日はトレンチタウンに初めておうかがいしたにもかかわらずフレンドリーにお話してくださいまして有難うございまし
僕たちはポチとラッキイの二匹でさえ重荷で、さらに大型犬のエリーが加わって悲鳴を上げているのだが、それは愛犬初心者の悩みだとやがて分かる。或る人は犬を七匹飼っていると言うし、別の人は五匹家にいるという。その殆んどが捨てられた犬たちだ。 僕は
Irie!HiroさんYokoさん元気ですか?無事ルーテンまでつきました。快調なペースでとばしています。ご心配なく!ついた翌日の夜には、ナイヤビンギドラムスの練習。毎週日曜日にルーテンハウスにある古い教会をかりきって数十人(子供から大人まで)集まっての
第四章 捨てられた者たちの哀歌 三年少し前この山に越して来た頃、よく見かける二匹の犬がいた。白と茶色の二匹は日課のように近くの山道を毎朝歩いていた。警戒心が強く、たまに出会うと、だいぶ手前で脇道にさり気なく消えるのだった。地元の人に聞くと
ジャマイカにいます。一年前とくらべ、モンティゴベイはとてものんびり、安全な街になっています。今日はイギリスのQUEENのパレードをJAMAICANと並んで見物しました。これからポートアントニオに行きます。 AKIKOJAMAICAに来て、6日がたちました。モンテ
八十年代から九十年代にかけて十三年間、原宿の裏通りでレゲエ風衣料品の店をやっていた。ジャマイカのシングル盤やインドの線香もあれば、レゲエやマリファナ系の雑誌がならび、三色の衣類が吊るされたインパクトの強い店だった。ビルの間の路地にあり、店の
92’JUN/06 in CULCATTAこんにちわ!ついにカルカッタまで来ました。想像以上の雑踏に少々とまどいもありますが、まあなんとか生活しています。毎朝1ルピーのチャイではじまり、ナンブレッドとベジタブルカレーでしめています。そして、このあと
最初は咆えていたエリーも、みゃー子が家族の一員だと分かり、もう咆えなくなった。猫の辛抱強さは大変なものだ。僕たちもみゃー子に口説き落とされて、気がつくと彼女の快適な生活をしっかり支えていた。ポチもエリーも、いつの日にか深謀遠慮のみゃー子の軍
DEAR MR HIRO 2 JUNE 1992ハロー、ミスター・ヒロ。日本はどうですか?あなたが僕の誕生日にとプレゼントしてくれたテープをそのみが送ってくれました。どうもありがとう!僕は現在サウジアラビアにいます。めちゃくちゃ暑いところです!僕は毎日
昔とあることで(恋の悩みです)、精神的に追い込まれ、つらくて辛くて仕方がなかった、そんな夏、夜になると、まるで救いを求めるようにボブ・マーリイばかり聞いていたことがあった。それもボブの人生でたどり着いた最高のライブ・アルバム「バビロン・バ
みゃー子の彼と初めて出会ったのは、約一年前のことだった。或る日の午後、外から帰ってくるとベランダに見慣れぬ茶色の縞の猫がいた。玄関に近づくと、慌てて平屋の屋根の軒先位の高さのベランダから地面に飛び降りて逃げた。みゃー子より一回り大きく、気
トレンチタウンへの手紙ー1 あの頃は皆が輝いていた________________________________________原宿トレンチタウンがなくなってから九年の月日が流れた。トレンチがあった時代は時間の闇に消えようとしている。しかし、我が家の物置に眠っていた無数の当時
僕の神秘体験(2006年のmixi日記より) 今日は激しい雨が降り雷が鳴っていた。まるでスコールのように過ぎ去っていった。また夜もそんな天気がくり返されるらしい。今日はインターネットを始めた2002年にHPに掲載した文章をちょっとダイジェストで紹
ネズミやモグラ捕りが一段落すると、新たな悩みが生まれた。それはみゃー子が庭に来る小鳥を狙いだした事だ。庭には小鳥たちの餌台があり、毎日食事の食べ残しや買ってきた餌をやっているのだが、そこに鳩や雀や山鳥が集まる。 冬の晴れた午後だった。珍し
この頃には母猫の時の気苦労もすっかり忘れ、独身のコギャル時代に戻ってしまう。だんだん愛嬌のある娘だとも、分かってくる。初めの頃、どこかから現れた大きなオス猫に襲われて、泣き叫びながら必死に家の傍の銀杏の樹によじ登ったはいいが、怖くて下りられ
☆帰り道に・・・☆ 一緒の連中が帰ろうと言い出す。名残り惜しかったがグラッドストンに別れの挨拶をして、坂道をゲートに向かった。ボブが亡くなって二年半、色褪せて千切れた三色の旗が青空にはためいていた。 走り出したタクシーが何故かすぐ近くの農家
第三章 みゃー子の恋 その猫が我が家に来た時、あまり痩せているので驚いた。全体が黒く腹や手足が白いその猫は、顔も萎びて小さくて体中にオデキがあり、おまけに三匹の子猫たちの母だった。妻が町の職場で見かけ、初めは四匹だった子猫たちの一匹が
レゲエの流れる店を通り過ぎて、しばらく走るとボブの墓所に到着した。厳重に鉄条網が張り巡らされ、入り口の鉄扉には「怠け者は入場禁止」と書いてあった。(鉄条網と怠け者、どちらもジャマイカらしい存在だが・・・)僕は感激に足元をふらつかせながら坂道
僕は虚しい気持ちで車に戻り、エンジンを掛けるとゆっくりスタートした。そして十秒もしないうちに、僕はサイドミラーに映る何か白い物に気づいた。 「あっ、ラッキイだ!」 車を止めて、素早く降りる。ラッキイが駆け寄ってくる、そばにポチもいた。こん
ジャマイカ紀行「聖なる山で」 ボブ・マーリイの墓所と山の人々 ☆はじめに☆ 五年ほど前に、レゲエ・ショップ「トレンチタウン」を始めてから、二回ジャマイカに行きました。そして店を始めた大きなきっかけもボブ・マーリ
エリーが来てからの一番の大事件は、なんと言っても墓地での集団失踪事件だ。僕があれ程慌てて走り回ったことは、前代未聞のことだった。 今から半年近く前、春と言ってもまだ寒い頃だった。山の斜面の墓地は、犬たちを放して遊ばせるには格好の場所で、特
早朝、近くの学校のグラウンドで皆を遊ばせる。山の上の林間施設で普段人の来ない所なので、思う存分遊ばせられる。エリーは妻の投げるフリスビーで遊び、ポチとラッキイは追い掛けたり噛み合い取っ組み合いになり遊ぶ。すっかり遊び分けが出来、平和なグラウ
FreeTibet! 2008年04月18日 23:35 岩谷上人やヒロさんも永遠の存在とシンクロしていると思います。 この時代で永遠の存在を体感されている貴重な人物ですね。リスペクトです!! Herry 2008年04月19日 00:21 そもそもキリスト教も仏教もラスタファ
どうも愚痴が多くなったので、エリーを誉めてみよう。エリーの一番偉い事は三匹のなかで唯一フリスビーを物にしたことだ。ポチは棒切れを投げれば追いかける、しかし落ちた棒を咥えて遠くへ運んでしまい、ゲームにならない。その上、フリスビーは小さなポチ
永遠の存在 2008年04月18日19:48 日本山妙法寺の石谷上人は「私は神というものを信じない」と言っていた。(と思う)が、「永遠の存在」については熱く語っていた。その言葉がとても(僕にとっては)刺激的だったので、忘れないうちに書いておこうと思う。
怒りのあまり初めて叩いた。尻を叩き、頭を叩いても、肉厚骨太なのでケロリとしている。ただ怒ったり逆襲したりしないのが、雌犬らしいとも思う。大型犬は初めてなので、全てに渡って勝手が違い、戸惑うことが多いのだ。結局ポチやラッキイとは異なり、暴力で
しかしその後、タミール人の故郷である南インドに行き、この地のタミール人達とともに、スリランカの戦乱を鎮める活動をしなさい、という師匠の指示があり、石谷上人はインドに旅立つ。 その後、或るスリランカのお坊さんが「彼の後を継ごう」と戦乱の地