仁学「追い掛ける」悩みを追い掛ければ、悩みを消すことはできない。悩みの巣から離れないからである。また、悩みを追い掛ければ、悩みは育ち、ますます大きくなり簡単に解決することができなくなる。悩んでいる時はそれ以上悩んでも仕方がない。結論や解決が
仁学「生意気」生意気な人間はいつの時代でもいる。青少年期ならまだ仕方ないが、ある適度の歳になっても生意気な人間、周囲に嫌われている方が多い。しかし、本当は「生意気」ではない。若い頃は生意気だったが、その後、生は腐り始め生ではなくなる。普通の
仁学「人の恥」人の恥を見たり聞いたりしたら、他人に吹聴してはいけない。もし、これが反対の立場になっていたら自分の心はどうなるかを考える。人の恥を見たり聞いたりして吹聴すれば、その人間に倍以上の恥を自分自身がかかせることになる。初めの恥はその
心学「綺麗事」企業や組織の上に立つ人間が「世の中、綺麗事では通らない」と豪語していたら、そこに働く人間はいつも「汚い水を飲まされている」ことになる。綺麗な状態だからこそ、そこに働く人間も、関係する人間も安心していられる。これが飲食や医学薬学
仁学「それぞれ」 人の生き方、考え方、暮らし方はそれぞれです。動植物の生態系がそれぞれ違うように、人間も異なります。菊は菊、松は松なのに、松が菊でないとことを論じていると同じ。人間それぞれ意見は異なるのに対して、それを批判し、中には潰しに掛
日々 心の教育 心の学問 「心学」人間の心は自分自身の心から生まれその心が人格を形成し 自分自身の人生を創りますうれしいこと 楽しいことは心から生じ悲しいこと つらいことも心から生じます喜怒哀楽は心から生まれ 言動となって自分自身 周囲の
仁学「小言」小言を癖にしている人間は、相手を諭すよりも自分自身の得意な癖になっている。この小言を話す人間はいつも同じような内容を繰り返し、欠点をほじくり出しては何度も呟く。相手の反省を求める訳でもなく、自分の小言を一方的に話して終わる。また
仁学「意見」人間、それぞれ思うことは異なる。全く同じ考えを持って生きている人は皆無。各自の意見が同じように思えても、全く同じ意見はない。ただ、限りなく近い意見もあるだろうが、心の中で思っている内容が全て同じと云うことはない。もし、自分の意見
仁学「言語」言語の言は「表面上の話」、言語の語は「吾の話」になる。特に語は自分自身の思いや考え方を言い、相手に伝えることである。「言う」と「語る」には自分の存在があるかないかに因る。その双方を併せ持った言葉が「言語」になる。会話では「自分の
仁学「包丁」 包丁は自ら包丁の刃を研ぐことはできない。包丁を研ぐには砥石が要る。包丁と砥石があれば包丁の刃先が切れるように研げるのか。そこに包丁と砥石を置いても、刃先はそのままである。では、どうすれば包丁の刃先が切れるようになるのか。そこに
仁学「財産」人間には多くの財産がある。金銭、不動産、美術品などの財産。しかし、多くの人がそれだけの資産を持っているわけではない。普通は世間並みの財産を残して逝く。しかし、中には負債と財産もあり、遺族はその負債を背負うことになる。財産放棄と云
仁学「孝行」 大人と同様子供にも人格はある。子供の人格で第一徳目は「孝行」であろう。祖父母、父母、親戚など身内の人間に対する「孝」の心。子供は孝行を身内から学び、それを実践して、家族の中に「和」を創って行く。まず、子供は親の背中を観て「孝行
仁学「余計な言動」他人に嫌な思いさせる余計な言動本人は良いと思って善意で行うこともあるしかし それが全て相手の人にとって良いとは限らないこともある人間 誰しも人の役に立ちたい人の為に尽くしたい思いは起きるその時 すぐに言動に移さず仁の心を以
仁学「否定」人の生き方や考え方をすぐに否定しない確かめもしないですぐに否定する人間は仁の心に欠ける人は人 自分は自分 この考えは誰も同じように思い持っているはずそれを否定することは相手に対して礼に欠けた愚行「失礼」になる仁の実践である恕(じ
仁学「池」大きい池には鯉や金魚、亀や鼈など互いに生きられる。小さい池にはせいぜい金魚や小鮒程度であろう。あまり多くの種類を入れることはできない。池の大きさも何を飼うかによって異なるし、池を造る土地の面積も関係するだろう。小さい池に鯉数十匹は
仁学「口数」口数が多くなるとそれだけ失敗する原因が増える口数と失敗の数は比例し寡黙の人間は失敗も少ない人間 余計な言動によって失敗や失態する相手を思いやる心よりも 自分自身の満足に走り つい余計な言動に至る相手の気持ちを思いやる仁に欠けてい
仁学「腹が立つ」人生、多くの感情が起き、自分や他人を傷つけることは多々ある。特に人格が出易いのが「腹が立った時」「苛々した時」の感情である。腹が立った時に治る方法は他人に対して文句や愚痴を言えば、気分は多少楽になる。苛々(いらいら)した時、
仁学「玄関」 玄関は心の窓。玄関は元々仏教用語であり、玄とは奥深い悟り、関とは入口のこと。禅宗系の寺院では「修行の始まりは玄関にあり」と言って玄関はとても重要な意味を為している。その玄関の所作で人間性や家庭環境が観える。お辞儀の仕方、靴の脱
仁学「失敗」自分の失敗や落ち度を「人に求めない」ことである。「人に求める」とは、失敗や落ち度を人の所為にして、自分には責任がないことを自分自身が確認するだけの愚行である。他人から観れば一目瞭然「自分の失敗や落ち度」であることを見抜いており、
仁学「仁徳に欠ける」人間 仁の心に欠けると不平不満が増える自分の身内に対して乱暴な言動を行い身内の悪口を他人に平気で話すまた 友人知人の悪口を得意気に話し自分自身を高めようとする他人の欠点を執拗なまでに追求し相手を押さえ込もうとする他人の忠
心学「礼」礼を学ぶことがなかった人間は時折 人に失礼や無礼な言動を行うことがある礼は仁の実践であり 人格を表す徳行でもある人に失礼な言動を与えた場合素直に謝れば円く治るがそれを失礼や無礼と思わない人間は平気な態度でいる為に 他人からの評価が