今年のチャイコフスキー国際コンクール第2位の藤田真央が、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番と第1番を一度に弾くというので、会場は満席。プログラムはオール・チャイコフスキー。2部構成で、交響曲第5番とピアノ協奏曲第2番。1時間の休憩の後19
《第九》で指揮者が感激の余り泣くのを初めて見た。スワロフスキーは終わったとたん、顔を覆って泣いていた。確かに、終楽章の白熱した高揚は、これまで幾度となく聴いてきた《第九》の中でも、筆頭にあげても良いかもしれない。写真:東京都交響楽団
18日(水)に聴いたボルトン指揮、読響の「第九」第2楽章スケルツォで、ティンパニの皮が破れるという珍しいハプニングがありました。「ベシャ!」という大きな音がしたので、何だろうと気になっていました。ある方のブログにティンパニの皮が破れたとあっ
ミョンフンの第九は、劇的で、ロマンティック。ヴィブラートもかけ、ティンパニもモダン楽器を使用していた。演奏時間は66分なのでボルトン読響と変わらないが、古楽的なアプローチではないため印象がずいぶん違った。https://ameblo.jp/baybay22/entry-125
「古楽器奏法による熱い<第九>」。ボルトンは熱い指揮者だ。大きな身体からエネルギーがあふれ出る。オーケストラをバランス良くコントロールする点が素晴らしく、特に木管のバランスが良い。すっきりとした響きだが、音は厚みがあり、充実している。弦はチ
天馬空を行くがごとくの、若々しくエネルギーに満ちあふれた壮大な演奏。約80分の間、一瞬たりとも弛緩することがない。ギルバートと都響の名演の中でも、ベストのひとつだと思う。詳しくはベイのコンサート日記に。↓https://ameblo.jp/baybay22/entry-125
「100年に一人のテノール」といわれるファン・ディエゴ・フローレス。ステージに登場したとたんに、スターの持つオーラが輝く。この夜一番良いと思ったのは、マスネ:オペラ《ウェルテル》より「春風よ、なぜ私を目覚めさせるのか」。繊細に
今日東京文化会館で聴いた、アラン・ギルバート指揮、東京都交響楽団、矢部達哉のヴァイオリンによるバルトーク「ヴァイオリン協奏曲第1番」。冒頭のロマンティックな主題が、あるスタンダード・ジャズか、ポピュラー曲にそっくりだけれど、曲名が思い出せな
マーラー「交響曲第1番《巨人》」は、粘っこい演奏ではなく、端正であっさりとしている。しかし、各楽章のクライマックスは、熱量が充分あり、第4楽章最後は、生演奏でしか起き得ない、突き抜けるような、この日最大の頂点に達した。詳しくはベイのコンサー
バルダは、往年の巨匠ピアニストのように、自分のスタイルを持っていると思う。貴族的でもあり、洗練されている。即興的と思えるほど、テンポやアーティキュレーションを自由に動かすピアニスト。詳しくはベイのコンサート日記に。↓https://ameblo.jp/baybay
リゲティ「チェロ協奏曲」は、驚異的なケラスのテクニックに唖然となる。「無から現れるように」と楽譜に記された冒頭はpppppppp。pが8つ!超弱音の繊細なこと。駒に近い高音の音程を正確にとるだけでも大変なのに、その上信じられない滑らかな弓使いで、同
終演後の歓声と拍手はとても熱く、オーケストラと合唱が舞台から去った後も歌手とゲルギエフへのスタンディングオベイションが長く続いていた。《エフゲーニ・オネーギン》のような心理描写の緻密さはないが、ウクナイナの土俗的な味わいがあり、荒々しい音楽
スウェーデン放送合唱団は、団員それぞれの個性がうまくミックスされているように思えた。各パートが均一に合わせて歌うと言うより、新国立劇場合唱団の指揮者三澤洋史さんが言う「個性を生かした玉虫色の合唱」の良さ、色彩感のある合唱が特長ではないだろう
女神が天国から降臨したような清らかで天国的な声。潤いと、温かみがある。オラトリオや受難曲、レクイエムには最適な声だ。強靭さも兼ね備え、劇的な表現にも余裕があり、ワーグナーの楽劇も難なく歌えそうだ。紀尾井ホールで聴くのは贅沢な気分。詳しくはベ