1903年、外遊に出ていた大谷光瑞は、ちょうどインドのカルカッタのホテルに滞在していたところ、ボンベイを経由してきた緊急の電報によって父親が重い病気にかかったことを知った。そしてそのすぐあと父の円寂の知らせを受け取った。そのため光瑞は直ちに帰国
「普通の旅順観光」の最初は東鶏冠山北堡塁(とうけいかんざん・ほくほるい)です。ロシアの要塞跡です。日本軍はここに総攻撃を行うも部隊は全滅。その後トンネルを掘って地下から爆撃し、双方に甚大な被害をもたらした激戦の末に陥落しました。銃弾の跡らし
先の日記に書いた通り、大連図書館でもらった本に書いてあった「大谷光瑞と大谷文庫」を日本語に訳したので順次載せていきます。ところどころぎこちない文章になってるな…とは思いますが、「自然な日本語」に変換するのが翻訳の最も難しい所で…。「大谷光瑞
翌日は、一般的な旅順一日観光です。旅順観光と言えば、日本人が行くところは日露戦争関連です。私は日露戦争には興味はないし、大連の近代建築めぐりや本屋めぐりの方がしたいのですが、こんな所で単独行動したら迷惑をかけるし(夕方みんなが戻ってくるのに
旅順での予定を一通り終えて、大連まで戻ってきました。この日の夕食は歓迎レセプションです。ガイドブックにも載っている「天天漁港」という海鮮レストランです。大連は海産物が豊富で、レストランでも水槽がある所が多いです。ここのレストランもそうです。
旅順博物館を出発して、今度は大谷光瑞の別邸だった所へ行きます。大谷光瑞は1915年に旅順に来て、別邸を建てました。それが今でも残っているということです。ちゃんと保存されているわけではないらしいですが、とりあえず建物は残っているので外観だけでも見
分館の展示を見たので、本館の方へ行きます。本館は1919年に竣工しました。設計は前田松韵。古代ギリシア・ローマおよびルネサンス様式に東洋の様式を融合したもの。ルネサンス様式の特徴として、垂直・水平のラインと左右対称を重んじます。正面にはイオニア
昼食を終えて再び旅順博物館に戻ってきました。もう一度新館に入ります。ここで新疆文物展が開かれているのです。館長自ら解説してくれます。現地中国人の通訳付き。なにしろこの大人数ですので、解説の声も聞こえないんじゃないかと思いますが、必ずしも皆が
一旦博物館を出てレストランへ行きました。誰もいない部屋に丸テーブルが並んでいて貸切状態です。…でも、寒い。これから暖房入れます…って。寒い地方は屋内は暖房が行き届いているだろうと思っていましたが、どうもそうでもないらしい。まあ、誰もいない部
旅順博物館に着きました。洋風の建物が建っているので「おお!」と思いましたが、写真で見た建物となんだか違う…?実はこちらは別館で(しかもあとで知ったんですが、21世紀に建てられた)、写真で見た建物つまり本館は同じ敷地の近くにあったのです。ともか