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福留孝介、メジャー球団からの53億円提示に「えっ、何で?」初年度に経験した“練習できないストレス”

―[サムライの言球]―
24年にわたる現役生活において、日米通算2450安打を積み上げ、アメリカでの5年間では498安打を放った。中日ドラゴンズや阪神タイガースで活躍した福留孝介にとって、「あの5年間」「この498安打」は、どのような意味を持つものなのか? まずは、シカゴ・カブス入りを決意した「30歳の冬の日」から振り返ってもらった――。

「“最も高い評価を受けた球団に行こう”と決めていました」

サムライの言球

福留孝介氏

’07(平成19)年、30歳で迎えたこの年のオフ、福留孝介はFA権を行使した。 「せっかく手にした権利なので、まずは行使してみたかった。ドラゴンズ残留を基本線として、他球団からの評価を聞いてみたかった。それが当時の素直な気持ちでした」 子供のころから甲子園を目指し、その先のプロ野球選手が憧れだった。野茂英雄が海を渡ったときはすでにPL学園の注目選手であり、メジャーへの憧れは皆無だった。それでも、「一野球人として、自分はどの程度の選手なのか? 他球団からの評価を聞いてみたい」、それが率直な思いだった。報道によれば、ドラゴンズからの提示は4年16億円。読売ジャイアンツからは6年契約が提示され年俸も高かった。 「自分は商品ですから、FA宣言をしたときに、“最も高い評価を受けた球団に行こう”と決めていました。すべての球団からのオファーが出そろった結果、まったく予期していなかったカブスからの条件が最もいいものでした」

カブスからの53億円提示に「えっ、何で?」

カブスからの提示額は4年総額4800万ドル。当時のレートで約53億円という破格のものだった。 「驚きました。『嬉しい』というよりは、『えっ、何で?』という不思議な感覚のほうが先でした。一度もアメリカでプレーしたことがないのにどうしてそこまで高い評価ができるのか? やっぱり『不思議』という感覚がしっくりきますね」 このとき、福留はハッキリと先達への敬意を抱いている。 「僕がここまで評価されたのは、先にメジャー入りしていたイチローさん、松井(秀喜)さんが実績を残してくれたからこそだと思いました。だからこそ、僕も次の世代のために頑張らなければ、と感じたことは、よく覚えています」
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リハビリで訪れたアメリカ。30歳の「予期せぬ転機」
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