39歳で毒親から逃げた女性が語る苦悩「私の人生って何だったんだろう」
体罰、暴言、過干渉……子どもを自分の思い通りに支配しようとする毒親。共働きの増加という社会的背景のなか、余裕をなくし毒親化している人が増えている。あなたは「自分は毒親ではない」と確信をもって言い切れますか?
子どもの心に深い傷を残す、毒親の言動。そのダメージは、子どもが成人した後の人生に影を落とすことがある。
都内に暮らす遠藤由美さん(仮名・39歳)もその一人だ。由美さんは、あと半年で40歳になるが、一人暮らし歴は半年に満たない。今年1月に逃げるように関西の実家を離れ、東京のアパートに入居したのだ。
「実家は関西のベッドタウンの一軒家。私は一人っ子で、妊娠を機に専業主婦になった母は、私を出産のとき難産で死ぬほど苦しかったこと、専業主婦として人生を費やしていることに虚しさを感じることを、私が小学生の頃から繰り返し話して聞かせました」
自分が母の人生を食いつぶしてしまったのではないか……。いつしか、遠藤さんはそんな罪悪感を抱くようになった。
「私と母は、傍から見ると“友達親子”だったと思います。父と母は仲が悪かったので、いかに自分が父から虐げられているかを、毎日グチってましたね。思い返せば、私自身は母に悩みや相談事をしたことがありません。彼女は私の話を遮って、自分の話しかしないんです。でも、家族のために母が犠牲になっていると思うと、口答えできませんでした」
母親は身近に頼る人もなく、孤独だったのだろう。遠藤さんが言うように、夫婦仲も悪かった。
「父は地元では名の通った不動産会社に勤めていましたが、家に帰ってくるといつも不機嫌でした。私や母がテレビを見て笑い声を上げると、うるさいと怒鳴ったり、散らかしてしまった服やカバンをゴミ箱に捨てられたりしましたね」
物心がつくころから遠藤さんは両親の喧嘩を見て育った。また、父親は遠藤さんにも厳しかった。
「父の口癖は『将来カネに困らないようになれ』。私は小学4年生のときからチアリーディングを習っていて、高校もチアの強豪校に通いたかったのですが、進学校ではなかったので、父に反対されました。大学も教員免許が取れる国立の学部をすすめられましたね」
毎日グチを聞かされ……“毒”を浴び続けた子が成人後に抱える苦悩
物心がつくころから両親の喧嘩を見て育った
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