歌人・小島なお『乱反射』映画と歌集、双方の”ひかり”の中から見えてくる"瑞々しい情景"

小島なお『乱反射』

 歌人・小島なおさんに初めてお会いしたのは、今から7年程前のことだった。当時私は山形にある斎藤茂吉記念館に勤務しており、館内を案内することになった。なおさんは山形の小学校で短歌指導をするために来県されていて、その帰りだったと思う。とても明るくて朗らかな方だった。私より少し歳上の素敵なお姉さんという感じで、でも展示品にまつわる茂吉の面白いエピソードを紹介するたび楽しそうに笑ってくれる、飾らない人柄が印象的だった。

 なおさんの母は歌人・小島ゆかりさんで、二人とも「コスモス」短歌会に所属している。小島ゆかりさんは斎藤茂吉記念館と関わりが深く、ジュニア短歌コンクール事業で長く選考委員をしていただいていた。その事業を担当していた私は先にゆかりさんと面識があり、なおさんにお会いしたとき、その明るく朗らかな人柄がそっくりだと思ったのだった。

 小島なおさんは、2004年に史上最年少タイの17歳で第50回角川短歌賞を受賞し、第一歌集『乱反射』(角川書店、2007年)で第8回現代短歌新人賞、第10回駿河梅花文学賞を受賞。その後『乱反射』は絶版となってしまっていたが、2023年4月、書肆侃侃房の現代短歌クラシックスシリーズとして新装復刊された。

映画「乱反射」

 『乱反射』は2011年に谷口正晃監督・桐谷美玲主演で映画化されている。歌集の映画化というのはあまり馴染みがないかもしれないが、歌人の山田航は『桜前線開架宣言』(左右社、2015年)の中でこう述べている。

 小島なおが舞台としているのは渋谷という首都のど真ん中だ。そのためか、世界像が靄がかっておらず妙にクリアで、異様に洗練された映画の中の空間のように思える。『乱反射』が歌集にもかかわらず映画化されたのも、きわめて演劇的な空間を構築している点を着目されたからだろう。

 主人公・嘉瀬志摩は17歳で短歌の新人賞を受賞した女子高校生。あるとき、同じく歌人である母に「あなたの歌はいつもひとりだ」と指摘され、「誰か」を想うことを考えはじめる。しかしなかなか良い歌ができず、母に「中途半端な気持ちだったら、私の大事な世界に入ってきてほしくない」と言われてしまう。

「私、詠めない。誰かを想うとかよくわかんないし。歌う意味なんてあるの」
「私は歌うことが幸せだから。意味なんてないわ」

 映画の物語はフィクションだが、主人公は原作者の小島なおさんを思わせる。「歌人である母」は小島ゆかりさんのようだ。実際に上記のようなやりとりがあった訳ではないだろうが、親が著名な歌人であることや女子高生歌人として注目されることの大変さというものは、少なからずあったのではないだろうか。ただ、親が歌人であることを本人はもう少し戦略的にとらえていると思われる。というのも「小島なお」という名前は筆名で、母の旧姓をあえて名乗り、小島ゆかりの娘であることを隠そうとしていないからである。

〈うつぶせにねむればきみの夢をみる夢でもきみはとおくをみてる〉

 劇中で主人公が、好きなひとに告白し振られたあと、帰りの電車を待つプラットフォームで詠んだ歌。「誰か」ではなく「きみ」を想うことが、はじめて歌になった。そして「きみ」を傷つけていたことに気付き、今度は謝るために「きみ」のもとへ引き返す。

 ラストシーンに、タイトル「乱反射」のもととなった短歌が登場するが、この短歌を知らずに映画を観たひとは少し驚くかもしれない。けれどすぐ納得するだろう。

〈噴水に乱反射する光あり性愛をまだ知らないわたし〉

歌集『乱反射』

〈エタノールの化学式書く先生の白衣にとどく青葉のかげり〉
〈バスとバスすれちがいたる一瞬に十月の風は光ってみえる〉

 歌集『乱反射』は高校から大学にかけて詠んだ歌が収められており、こちらは著者の実体験がベースとなっている。一冊をとおして、著者の人柄のように明るく朗らかな歌が多い。しかしその明るさのなかには、乱反射するひかりのように、一瞬のきらめきの切なさや、ふとした瞬間のかげりを内包する。

〈最終の電車は不思議な匂いしてたとえば梅雨どきすぎた紫陽花〉

 学生時代、終電に乗るとしたら飲み会か、あるいは遠出からの帰りだろう。「不思議な匂い」とはどういう匂いなのか、はっきりとは分からないが、でもぼんやりと知っている気がする。それはたとえば梅雨をすぎてそのままの形で枯れている紫陽花の匂いで、美しい盛りが過ぎ去ったあとの匂い。つまり終電の匂いは、今日が終わる、いやもうすでに日付が変わって明日になっている時間帯の、楽しい盛りが過ぎ去ったあとの匂いなのだろう。過ぎ去った時間、もう戻れない瞬間といったことを、著者はさまざまな短歌で強く意識していると感じる。

 新装版のあとがきで著者は「短歌を作りはじめたばかりの頃の、たのしいのに苦しい、はずかしいのに強気で、さみしいけれど親密な十代の時間をなつかしく思いだします」と書く。

〈十代にもどることはもうできないがもどらなくていい 濃い夏の影〉

 しかし、すでにこの短歌で宣言しているように、「もどらなくていい」のだ。なつかしいけれど、もどらなくていい。「濃い夏の影」に、揺らがない確かな輪郭をもった強い意志を感じる。

 そして、あとがきはこう続く。「この歌集を出した頃に大切にしていた気持ちを、これからもながく大切にしていきたい」。乱反射するひかりのなかで、大切にしていた気持ちを。

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