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灘中→灘高→東大理Ⅲ…超エリートコースを歩んだ男が“医師とピアニストの二刀流”を続ける理由

 2024年3月24日、Hakuju Hall(東京都渋谷区)に老若男女が集った。ひとりのピアニストの演奏を聴くためだ。高い天井を備えたホールはキャパシティ300名程度で、決して大きくはない。だが統一感のあるデザインが品の良さを際立たせている。  クラシックからポップスまでを弾き分け、MCでは随所で笑いを取る。しかしその笑いは計算し尽くされたものではなく、人柄がにじみ出るおかしみからくるものだ。  浅野涼――ピアニストにして、医師。  長江杯国際音楽コンクール第1位、ショパン国際ピアノコンクール in Asia 全国大会銀賞、エレーナ・リヒテル国際ピアノコンクール第3位など、錚々たる賞歴がある浅野氏は、ウィーン国立音楽大学においてトーマス・クロイツベルガーのマスタークラスを学費全額免除で修了するなど目覚ましい活躍が注目される。一方で、日頃はあかり在宅クリニックの医師として在宅医療に従事し、高齢者などを中心にケアしている。  業務外においては、通所型介護施設(デイサービス)やこども食堂などで演奏活動を行っている。浅野氏に半生を取材し、「慈善活動」の一言でくくれない、活動の源泉を描く。
浅野涼氏

浅野涼氏

灘中、灘高を経て東大理Ⅲに進学

 言わずと知れた西の最難関・灘中学校、灘高校から東京大学理科Ⅲ類へ進学。その後、東京大学医学部医学科卒業。経歴の怪物ぶりとは裏腹に、浅野氏は至って冷静で謙虚な青年だ。もともとは数学が純粋に好きなだけだったという浅野氏が医学部を志すまでの過程には周囲の環境が大きく関係している。 「中高時代に自分よりも数段できる友人や先輩に囲まれて育ったことは、私にとって僥倖でした。灘高校の先輩には医学部へ進学する人が多く、話を聞いてみると医師にはいろいろな科があることを知りました。きっと自分に合った科が見つかるのではないかと思い、高校2年生から本格的に医学部を志しました。目指した時期が遅かったため、東大理Ⅲに入学できたことは本当に幸運だと思っています。  灘高校クラシック研究部時代の先輩には、遠方から通っている人がいて、その方は勉強はもちろん音楽も、また書道にも余念がありませんでした。遠方通学なので、1時間しか取れないピアノ練習をどう効率的に行うか、考えていたようです。また、先輩にはのちにプロのバンドを結成された方もいます」

意外にも「中流階級で育った」

 浅野氏とピアノの出会いは幼稚園年中組くらいだという。演奏家で医師とはさぞや経済的に恵まれた家庭に育ったのだろうと思うが、「全然そんなことはないんです」とかぶりを振る。 「身内に医師などもいない、いわゆる中流家庭です。一人っ子だから私立中学にも入れてもらえたし、ピアノも習わせてもらえたのではないでしょうか。結果としてそれらを続けさせてもらえたので、感謝をしています」  そんな浅野氏が医師として在宅医療の道を選んだのは、「患者さんとコミュニケーションを取りながら治療を考えていくのが自分に合っているから」。人の機微に敏い浅野氏の着眼点には、なるほどと手を打った。 「認知症を判定する医学的な基準はあり、それは有用なものです。しかしそれ以外にも、実は認知症を疑うところはあります。たとえばこれは学生時代に実習で体験したのですが、訪問先で出していただいたコーヒーの砂糖の量がかなり多かったり、砂糖ではなく塩が入っていたりするときなどです。注意深くその人とコミュニケーションをしていけば、簡単に気付けることも多いと思うんです」
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「リサイタルで寝ている人」を見て気づいたこと
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