最近、子どもにまつわるコンテンツ、とくに教育系と銘打ったコンテンツの表現について考えてしまうことが多い。

きっかけは、以前MAMAPicksで行った、書籍『いい親よりも大切なこと』(新潮社)の著者である、小竹めぐみさんと小笠原舞さんへのインタビューである。

大切なのは、目の前のものを見て自分で考えること。『いい親よりも大切なこと』著者にきいた、育児のポイント
http://mamapicks.jp/archives/52221127.html


このときのおふたりのコメントでとくに私の印象に残っているのがこの部分だ。

これは私が保育業界に入りたての時に強く感じたことなのですが、子どもに対して「隠そう」という文化がすごくあるなと。それは、事実そのものを隠したり曲げたりして、子どもにコーティングして伝えるということですね。私は事実をそのまま子どもに見せたいと感じることがよくあるんです。その上で、一緒に感じて、考えていくことが大事だと思っています。


たしかに、私自身も、昔とある子ども向け教材を作る仕事をしていたときに、それをすごく感じた。校正段階で、とにかく、少しでも不穏な響きのもの、心をざわつかせるものは、まるで魚の小骨のように丹念に丹念に取り除かれるのだ。

たとえば、幼児向けに「子どもの偏食をなくす」という目的の絵本や漫画なり、動画なりのストーリーを考えなければいけないとする。そんなとき、「栄養不足や栄養過剰は病気につながり、死ぬこともある」と伝えようとすると、却下される。
同様に、幼児向けの「入浴の習慣づけをしよう」という目的のコンテンツで、「入浴しないと不潔になる。不潔だと病気になりやすいし、周囲の迷惑にもなる」という案を出しても、まず却下だろう。
なぜ却下されるのか。それは、「病気や死などのネガティブなシーン、他人のことをくさいと思うようなネガティブな感情はダメ」だからである。


そう。この世界では異様に「ネガティブ」が毛嫌いされるのだ。その根底には「子どもを脅すのはいけない」という考え方があるからだと思う。たしかに、「食べないとお化けが出るぞ」「静かにしないとあのおじさんに怒られるよ」「いうことを聞かない子はうちの子ではありません」などのすぐバレるウソで脅すのはよくない。
でも、「食べないと病気になる」「入浴しないと周囲にくさいと思われる」はそれとは違う。だって、大人がバランスの良い食事やこまめな入浴を心がけるのは、まさにそれを避けるためなのでは? 子どもに本来の目的を伝えないでどうするんだろうか。

また、「入浴していない子に向かってくさいと思う」という描写は、いじめにつながるという意見もある。でも、くさいと感じることすら禁じられる周囲の子どもの気持ちはどうなるのだろうか。たしかにくさい子に向かって「くっせー! バイキン! あっちいけ!」という描写を入れるのはどうかと思うが、内心「臭いなあ…点」と思いながらそっと離れる描写なら、そこまで悪いものだとは思わないのだ。

まあそういうわけで、世の中に出回っているしつけ目的のコンテンツのストーリーは、食事に関しては「食べることって楽しい!」「食べると元気モリモリになっちゃった!」になるし、入浴に関しては「お風呂って楽しい!」「お風呂に入ると気持ちがいいね!」になる。
登場する子どもたちは、品行方正・ポジティブ思考で異様に聞き分けの良い「出木杉くん」みたいな子どもばかりだ。いったいどんな「おとぎ話」なんだよ!

もちろん、ポジティブなアプローチを否定するつもりはない。しかし、ネガティブなアプローチがごっそり抜けているのはあまりにも不自然である。
もし、子どもが「野菜は食べてないけど、今日も元気いっぱい遊んできたよ!」とか「お風呂に入るよりも、お部屋で遊んだほうが楽しいもん」とか言い出したらどうするんだろう。
「そんなひねくれたこと考えちゃダメ」と指導するのか?
そういう、自然に沸き起こる感情や考え方をなかったことにするほうがよっぽど問題だと思うんだけど……。

そもそも、自分の子どもの頃、こういうコンテンツを見てこんなふうに思っていた。
「大人は子どもに、絵本に登場するような『いい子』になってほしいんだろうなあ。でもこんな子いないよね」
言葉が達者だったうちの妹も、子どものときからこんなことを言っていたっけ。
「なんかさー、これって子どもをバカにしてるよね」

■不穏な因子を取り除くのはクレーム対策


こういったコンテンツを作る編集者とプライベートで話すと、じつはブラックユーモアが好きで、ポンポン毒を吐く人だったりすることも、決して珍しくはない。でも仕事となると、「こういうネガティブなのはクレームが来るんです。ご理解ください」と言って赤入れしてくる。

そう。教育系のコンテンツというのは、少しでも不穏なものが含まれていれば、親はコンテンツ提供元にクレームを入れる。とくに幅広い層を対象とする媒体は、読者や視聴者の絶対数が多いので、クレームの数も膨大になる。だから、なるべくクレームの出ないように、毒にも薬にもならないようなぬるい内容のものを出さざるを得ないのだ。

でも、なぜこんなに親というのは不穏なものにクレームを入れたくなるのだろう。これについては、子どもを産む前はまったくわからなかったが、産んだ後はなんとなくわかるようになってきた。

毒のある表現、鋭い表現というのは、受け取る側とうまくマッチングすれば「秘孔を突いた!」と言いたくなるような絶妙な爽快感が得られるのだが、そうでなければ不快だと感じたり傷ついたりする。そして鋭ければ鋭いほど、いい意味で刺さる人は少なくなる。

また、毒のある表現、鋭い表現は、受け取る側の心の準備が必要である。
いじめや大災害、家族との別れ、恐怖体験などで心に大きなダメージを追っている人は、それをリアルに思い起こさせるような辛辣な内容のものを見ると、つらい思い出が蘇ってくるので見ることができない。心が疲弊しきっているときも頭を使わずに済むものが見たくなる。だから、複雑な内容や辛辣な内容よりは、ほんわかした内容や、安易なストーリーのほうが多くの人に受け入れられやすい。

大人ですらそうなのだから、子どもはなおさらそうではないかと親は思ってしまう。何せ、子どもというのは本当に繊細なのだ。なんの毒もなさそうな絵本や動画であっても、「キャラクターの目が怖い」とか「音がなんだか怖い」という理由で泣き出してしまったりする。だから、「辛辣な内容のものを見たら、子どもはきっとものすごく傷つくに違いない。そんな子どもの姿は、つらくて見ていられない」と考えてしまうのだ。これって、けがをするのがかわいそうで、なかなか子どもに包丁を握らせることのできない親の心理と似ているのかもしれない。

そして、コンテンツに教育的な意味合いが加わるとその傾向はもっと強くなる。ついつい「これは子どものためになるものではないのか。毒のある表現で子どもを怖がらせてどうするんだ」と文句を言いたくなってしまうのだ。また、子どもは何でも真似をする。だから、お手本にならない言動の人が登場すると、「子どもが真似したらどうするんだ」と思ってしまう。子どもを持つと、そんな気持ちもわかるのだ。

■「目くじらたてて」といらだつ大人たち


私自身、こういった仕事を長年やってきて、「まあこういうコンテンツはそれが常識なんだよね」とあきらめる気持ちがあった。しかし、その「常識」は疑った方がいいんじゃないかという思いも、いつまでたっても消えずにくすぶり続けている。そんなとき、先ほども紹介した、小竹さんと小笠原さんのこのコメントでハッとしたのである。

きれいごとばかり考えていると、思考は停止します。考えなくても生きていけてしまう。それは、理想通りの考え方をしていない人、行動していない人が否定されてしまうことにつながるのではないでしょうか。


なるほど。たしかにそうかもしれない。
たとえば、日常生活では、ささいなモヤっとすることに遭遇する。そんなとき、「いっけな~い! ポジティブ、ポジティブ☆」と目をつぶって、ネガティブな気持ちをなかったことにしてしまう人がたくさんいる。

そうやってポジティブな気持ちでい続けることは、もちろんいいことではあるのだ。逆境に陥ったときは、ポジティブな気持ちこそが生きる原動力になる。些細なモヤっとすることに目をつぶり、波風を立てないことも、所属するコミュニティでうまくやっていくためにとても重要だ。

でも、そうやって「なぜ自分はこれにモヤっとするんだろう」と考えないで生き続けていると、「みんなが『常識』だと思ってるこれって、なんかおかしいよね」と声を上げる人に対して、「何そんな細かいことで目くじら立ててるの。流すのが大人ってものでしょ」と異様にイラ立ち、声を封じ込めようとする。そういう態度が、何十年も変わらず現状に合わなくなってしまった悪しき慣習を生み出し、知らず知らずのうちに基本的人権が侵害されていく社会を作り出すのである。

そう考えると、子ども向けのコンテンツから毒を神経質に排除してしまうのは、危険なことだと思うのだ。もちろん、むやみにショッキングな描写を入れて子どもにトラウマを植えつけたいとは思わない。でも、ほんのひとしずくの毒をたらし、心をざわつかせることはそこまでいけないことだろうか。もっと子どもを信じてあげてもよいのではないか。子ども向けコンテンツがおとぎの国方向に委縮して、考えない大人を量産してしまう恐ろしさを、もっと真剣に考えたほうがいい。最近、私はそんなことを考えてしまうのである。

今井 明子
編集者&ライター、気象予報士。京都大学農学部卒。得意分野は、気象(地球科学)、生物、医療、教育、母親を取り巻く社会問題。気象予報士の資格を生かし、母親向けお天気教室の講師や地域向け防災講師も務める。