お金

8時間働いて手にした1万円をパチンコにつぎ込む!社会に対して吠えながら…

―[負け犬の遠吠え]―
ギャンブル狂で無職。なのに、借金総額は500万円以上。 それでも働きたくない。働かずに得たカネで、借金を全部返したい……。 「マニラのカジノで破滅」したnoteで有名になったTwitter上の有名人「犬」が、夢が終わった後、短かった闘いを振り返り、喫緊の金策のアイディアを綴っていく当連載。 最終回を見届けられるのが先か、借金で破滅するのが先か……すべては犬次第だ。 犬のツイッタープロフィール=====

使ってはいけないカネなんてものはない

 ギャンブルで生活する人間がいる。そんな人間たちの話はごまんと存在する。彼らは通常の社会生活で見出されることのなかった才能を鉄火場で遺憾なく発揮し、決定的な窮地を脱する。結局最後に鮮やかな勝利を飾り、日常に戻っていく。  いわゆる「博才」が無いにも関わらずギャンブルをし、負け続ける人間はドラマにならない。理由は至って単純明快、無駄だからだ。負けた後には何も残らないし、見向きもされない。誰かの背景になって消えていく運命を背負っただけの、パッとしない敗者の涙は、誰の心の水面も揺らさない。  ああ、最悪だ。  最後の金を取るに足らない遊びで使い尽くした僕は途方に暮れていた。いや、今も途方に暮れている。競馬で負けすぎたのかパチンコで負けすぎたのかもう覚えていない。どちらでも同じことだ。とにかく軍資金がなくなった。最後の1,000円まで使って勝負をするのはバカのやることだ。いや、最後の1,000円になるまで打った僕がバカだ。なら使ってしまっても同じことではないか?そんなことを延々と考える。  博打は負けると途端にくだらないものに見えてくる。カードを捲る高揚感も、洗練された巨躯の動物が走る迫力あるレースも、全部が無駄だった。僕は基本的に博打が好きなので平時に語らせれば聞き手に熱を与えてやる気持ちでいるが、負けた夜はそうはいかない。ワガママなのだ。ひっくり返せないルールと仕組みを前に、 「もう見限ったよ」  なんて身の程知らずにも生意気なことを思う。これ以上勝たせてくれないならやめてしまうよ、と。  でも痛みが過ぎればまた賭場に戻る。一流の博徒は作戦を綿密に練り直して再び戦いに戻るだろうが、僕はまた新鮮なアホ面で「当たると良いな」なんて思いながらノコノコ金を握ってやってくる。結局のところ、この繰り返しだ。  よく、使ってはいけない金を使う人は、と表現することがあるが、そういう人間にとってそもそも使ってはいけない金なんて括りは無い。社会一般に払うべきものとは別の、真に守りたいものが無い生活の中で限界まで使った結果が今で、なんとなく受け入れている。世間からクズ、カス、ゴミと罵られようが辞められないのは、今更そんな言葉で傷つかないからだ。クズでカスでゴミなのは別に人から言われなくてもわかっている。「勝てば官軍」だった。  とりあえず生活するためにしばらく働こう。こう決心したのももう何回目だろうか。  博打で負けた夜は自分の部屋がいつもより静かに見える。求人サイトを見ながら、普段は気にも留めない換気扇の音を飽きずに聞き続けているとあっという間に夜が明ける。悶々と人生を振り返っては全部を博打のせいにする。博打を挟むことで自分そのものと向き合う辛さからも逃げる。だから反省もしない。 「時給1,200円……」
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8時間労働の価値観
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