24歳の女性山伏、地下足袋一枚で山中へ 修行の様子をSNSで発信

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吉村駿
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群馬県最年少の女性山伏、大福院住職の小野関隆香さん(24)

 赤城、妙義など県内各地の山に地下足袋一枚で入る。時には命綱を付けずに、垂直な岩を登ることも。全て修行の一環だ。

 「なぜ自ら危険を冒すの」と聞かれることは日常茶飯事。「あえて苦しむことで、困っている人に気づく自分を作るためです」

 中学時代は吹奏楽に没頭した。両親は会社員。どこにでもいる女の子だった。曽祖母から時々、「うちは山伏の家系だよ」と聞かされていたが、山伏や仏教には興味も湧かなかった。

 転機となったのは、高校1年の時。親戚の葬儀に行くと、山伏の衣装「鈴懸(すずかけ)」を着た大福院の先代住職・隆稔さんの姿があった。

 棺の前でホラ貝を奏でながら冥福を祈る姿は神々しく、皆の注目の的だった。そこで、自分の実家が山伏の家系だったことを再認識した。「私も山伏になってみたい」と思い始め、すぐに隆稔さんに相談した。

 お経を読んだこともなければ、寺や山伏の歴史すら知らなかった。高校卒業後に隆稔さんの勧めで、京都市にある修験道の本山の一つ「聖護院」で2年間、住み込みで修行することになった。

 修行のメインは掃除。毎朝5時に起き、廊下を水拭きした。冬は手がかじかみ、ぞうきんが絞れなかった。夕方まで続く掃除の合間に、お経の唱え方を学んだ。修行に集中するため、自ら友人たちとの連絡は絶った。

 寺の外に出られるのは年に2回だけ。逃げ出す先輩もいたが、耐えた。「自分で選んだ道。山伏になりたい思いの方が強かった」

 なぜ、こんな苦しい修行をするのか。その意味を自分なりに感じ取れたのは、吉野(奈良)から熊野(和歌山)まで続く山道約100キロを歩く、「大峯奥駈(おおみねおくがけ)」と呼ばれる修行に挑んだ時のことだった。

 「ここから先は危険」の看板を乗り越えながら、道無き道を地下足袋一枚で進んだ。気づけば足の爪ははがれ、右足首も捻挫した。休憩中、ボロボロの体を見て心が折れそうになった。

 すると修行に参加していた山伏の一人が近づいてきて、自身も疲れているはずなのに、腫れた右足首を灸(きゅう)で治療してくれた。「苦しさを経験したから、人の苦しさに気がつけるのか」。修行に励む意味を知った気がした。

 2019年3月に帰郷し、後継ぎがいなかった隆稔さんの養子に入った。翌20年に隆稔さんは亡くなった。突然の死にショックを受けたが、900年近い歴史を持つ大福院を守り続けることが、隆稔さんをはじめ先代への恩返しだと思った。

 大福院を広く知ってもらおう…

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