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募集中9/2(日)『世界はなぜ「ある」のか?ー「究極のなぜ?」を追う哲学の旅』ジム・ホルト

コミュ内全体

詳細

2018年07月23日 12:05 更新

第11回フィロソフィア東京は9月2日(日)になります。
申し込みは猫町倶楽部HPで!
http://www.nekomachi-club.com/schedule/58464

課題本は『世界はなぜ「ある」のか?ー「究極のなぜ?」を追う哲学の旅』ジム・ホルト

ぎょく(サポ):17世紀を生きた天才Gottfried Wilhelm Leibnizが立てた問「なぜなにもないのではなく、なにかがあるのか」を巡って最新の物理学者や小説家などにインタビューを重ねながら迫っていこうとする本!

奈良(サポ):小説家にインタビュー!
小説家もやはり同時に哲学者なんだね!

ぎょく(サポ):Gottfried Wilhelm Leibnizは日本だとゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツと呼ばれているけど本当はライブニッツの方が適している!

ぎょく(サポ):(写真送信)

まこ(サポ):髪のボリュームやばい

奈良(サポ):この髪あらえるの?

ぎょく(サポ):このころはみんなヅラだよ

奈良(サポ):ヅラ=かっこいい?
おしゃれ?
かわいい?
権力ある?
知力ある?

続きはフィロソフィアで!
初代サポの引退式&次期サポのお披露目会もあるよ♪

コメント(5)

  • [1] mixiユーザー

    2018年07月23日 12:04

    募集開始しました!
    http://www.nekomachi-club.com/schedule/58464
  • [2] mixiユーザー

    2018年08月09日 09:01

    最近、「多宇宙論」という言葉を耳にして、なぜそのような考え方が出てくるのだろうと不思議に感じていた。それぞれの宇宙は互いに没交渉でパラレルに存在している。「意味ないじゃん」としか思えなかったのだが、この本に紹介されているデイヴィッド・ドイッチュの項を読んで、そう言うことだったのかと納得した。

    「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」

    なぜ答えのないこの問題を我々は考えたがるのだろうか?おそらくそれは、私たちの脳みそが、何も無い状態がニュートラルであると思っているからだと思う。まず何も無い状態が基本である、と私たちの脳は考える。数学の座標の原点は0である。自然数も集合論では0から始まる。
    なにかが有る状態というのはさまざまなバリエーションがある。つまり、どの具体的なケースを取り上げてみても「偏り」がある。だが、無い状態というのは一意的に決まってしまう。偏りがないのである。「無い」ことが思考上の原点として意識されることについては十分納得できる。

    なのに、この我々の住む世界というのはあまりにも特殊である。ことにこの地球には自己組織化した生命体があり、自分自身を意識する私たちがいる。偶然できたにしては、あまりに特殊過ぎる。

    ここには、「特殊過ぎる」=>「有りえない」という感覚が働いている。

    この『特殊感』を減殺する方法としては2つ考えられる。ひとつは、この世界をこのようにあらしめている大いなる意思、つまり神さまを設定することだが、もう一つはこの本で紹介されている「多宇宙論」だ。それによると、我々がいる宇宙とは別にあらゆるバリエーションの宇宙が存在するらしいのだ。それぞれの宇宙は没交渉でいわゆるパラレルワールドとして存在している。
    とにかくあらゆるバリエーションの宇宙があるので、たまたま私がいるようなこんな特殊な世界が有ってもちっとも不思議ではない。

    おもわず、「えーっ、そこで納得するんかい!」と言いたくなるのだが‥‥。

    とにかく、この問題に人々がいろんな思考を巡らしていくことについては興味が尽きない。実に面白い。
  • [3] mixiユーザー

    2018年08月17日 15:50

    東日本大震災の際に、被災した人々が過酷な状況の中でも、恐慌をきたさず秩序正しく協力し合っていたことに対して、世界中から称賛の声が寄せられた。こういうことから見て、日本人は西洋の人々に比べて現実を受容する力が強いのではないかと考えられる。おそらく日本人の精神の深層には仏教による影響があるのではないだろうか。仏教的諦観というのは現実に起こってしまったことは受け入れるしかないということを言う。現前する事実を前にして、自分の望むべき架空の状況に執着することは無意味であると仏教は説く。西洋の人々にとって、神が造り給うたこの世界は理性が行き届いているはずのもので、著しい理不尽さというものは受け入れがたいものになるはずである。もちろん個人々々による違いの方が大きいだろうが、大雑把に言ってそのような傾向があるのではないかと思う。

    「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」 という疑問も、日本人と西洋人では受け止め方に相当隔たりがあるのではないかと思う。想像するに、大方の日本人にとってこの問題は、「そんなこと考えたって分かるわけねぇじゃないか」という話なのではないかと思うのである。しかし、西洋人にとってこの問題は我々が考えている以上の切実さがあるらしい。ということが、第6章に続く幕間の「是非もない至高の事実」において、神の存在論的証明とこの問題を関連付けて論じられている辺りにうかがえる。

    【 ここには、次のような、より重大な問題が潜んでいる。論理のみで、「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」という問いに答えられるだろうか? 純粋な思考によって、無に必ず打ち勝つ現実の存在を獲得できるだろうか? バートランド・ラッセルはこう述べた。「どの哲学者もイエスと言いたいと思っている。その理由は、哲学者の仕事は、観察ではなく、思考によって世界に関することを解明することだからだ」。そしてラッセルは、もし「イエス」という答えが正しければ、純粋な思考から確固とした存在への「橋」があると申し添えている。 】( 文庫版 P.201 より )

    バートランド・ラッセルは私より何十倍も頭が良いことは認めるが、彼がここで述べていることは妄想ではないかと私は思うのである。
  • [4] mixiユーザー

    2018年08月17日 16:31

    >>[3]
    書き込みありがとうございます。
    参加申し込みは猫町倶楽部HPよりお願いします。
    http://www.nekomachi-club.com/schedule/58464

    猫町倶楽部ではオンラインでの議論は禁止しております。
    是非読書会にいらしてください。
    お待ちしております。
  • [5] mixiユーザー

    2018年08月17日 18:40

    >>[4]

    >猫町倶楽部ではオンラインでの議論は禁止しております。
    そうでしたか、ルールを理解していませんでした。申し訳ありません。
    読書会への参加は検討中です。
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