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開催終了【個人レポ】犬山・名古屋2泊3日の旅

コミュ内全体

詳細

2018年04月04日 22:31 更新

※このイベントは個人報告用に立てたものです。実際の参加者募集は行っておりません。

【旅行日】2018年2月20〜22日(火〜木)
【旅行内容】犬山市・名古屋市の観光
【参加者】鋳☆いんがむ(と、家族)

【交通手段】各種交通機関
【移動範囲】愛知県犬山市・名古屋市

コメント(69)

  • [20] mixiユーザー

    2018年04月19日 01:36

    右の石段を登り、三光稲荷神社の拝殿前へ出ると、その周囲に社務所や末社がありました。

    左:三光稲荷神社の拝殿。(先のコメで「本殿」と書いてましたが「拝殿」でした。)
    右:↑の右奥。「鳳輦神輿」(ほうれんみこし)というお神輿が納められています。
      「鳳輦」とは天皇が晴れの儀式の行幸で乗る、屋根に鳳凰を飾った車のことだそう。
      その下の「三光稲荷神社」「猿田彦神社」それぞれのプレート、下の行の内容がどういうことか
      わかりませんがここでお札等を売ることがある(あった)のでしょうか…。
  • [21] mixiユーザー

    2018年04月19日 02:12

    末社のひとつは石段を登ったところの左脇に「銭洗池」を構えていた「銭洗稲荷神社」。

    左:銭洗池。玉垣(石の柵)を挟んで石段下の猿田彦神社の社殿と背中合わせになっています。
      銭洗稲荷神社そのもののお社は石の上にちょこんと乗っかっているやつがそれでしょうか…。
      右奥に写る建物は社務所で、前コメの三光稲荷神社拝殿から見ると左側に建っていますが
      社務所それ自体の写真は残してなかった…というかそこに関してはまともに見てもいなかった…
      調べたところ、三光稲荷神社・猿田彦神社両方の社務所として、
      それぞれの御朱印の受付やハートの絵馬(次コメで解説)の販売などをしているようです。
      また、妹は帰りにそこでお守りの一種を購入していました。
    右:銭洗池(銭洗稲荷神社)の説明。
      ドラマ『半沢直樹』がヒットした当時「倍返し神社」として訪れる人が増えたのだとか。
  • [23] mixiユーザー

    2018年04月19日 03:36

    社務所と逆の三光稲荷神社拝殿右手には「姫亀(ひめき)神社」がありました。
    「御神徳  男女良縁結 家内円満 夫婦和合」とあり(写真参照)、
    縁結びの神社として女性にすごく人気のようです。

    あと、姫亀神社のさらに右の方に「三孤地稲荷社」という末社もあったようですが
    完全にスルーしてました。というかこのゾーンで引きの写真が1枚もなくて
    何がどう並んでいるのかわかりにくいことこの上ないですね。目的地への途上で
    ちょっと立ち止まっただけの場所とはいえ、もうちょっと考えて撮影しておくべきだったなあ…。
    それと書き忘れていて取ってつけた形になってしまいましたが、
    三光稲荷神社は代々犬山城主を務めた成瀬家歴代の守護神だったそうです。

    左・中:銭洗稲荷神社のよりは若干大きいですがそれでもちっちゃい姫亀神社のお社。
         調べるにこの赤く塗られた社になったのはほんの数年前のことのようです
         (それ以前の社は塗装なし)。そして「恋みくじ」に、びっしり掛けられた
         ハートの絵馬と、狭いスペースに女性向け要素がギュッと詰まっています。
    右:「恋の縁むすび」キャンペーン(?)の立て看板。
      犬山市内の3か所で御朱印を集めるコースのようです。
      姫亀神社の御朱印も三光稲荷神社の社務所で受け付けている…のかな?
      (詳しい情報が得られなかったので何とも言えず、すみません。)
  • [24] mixiユーザー

    2018年04月22日 02:07

    三光稲荷神社を拝観するのもそこそこに先へ進むことに。神社脇の
    鳥居が連なる道を抜け、麓からの正規ルートの坂道に合流すると城のある頂を目指します。

    左:20コメ右写真と23コメ左写真の間。この左側に並ぶ鳥居をくぐって神社裏手の坂に出ます。
      右の鳥居・階段を下った先は針綱神社の境内。
    中:坂を登っている途中。石の間をセメントかなにかで固めて半分は階段状、
      半分はスロープ状になっています。かなり傾斜がきつくて登るのがしんどかった。
      昔はきっと石だけの段でもっと足にこたえただろうと思います。
    右:チケット売り場になっている城郭入り口が見えてきました。
  • [25] mixiユーザー

    2018年04月23日 00:29

    前コメで「城郭」と記しましたが、当時は山全体や城下町含めて城郭を成していたようで、
    今回入った現存部はそのうちの「本丸」部分のみだそうです。

    ということで入口に着くと、
    この後行く明治村の入場券とセットのチケット(別々に買うより安い)を買い、本丸の中に入りました。

    明治維新で廃城となった際に天守以外ほとんど取り壊されたとのことで(国の史跡にも
    「犬山城跡」として指定されている)前庭にはこれといったものもなく。さっさと天守に入ります。
    中が全層板張りなので靴を脱いで上がるのですが、
    スリッパが用意してあり、せっかくなので履きました。しかし…。

    写真は犬山城天守の正面。
  • [27] mixiユーザー

    2018年04月23日 00:47

    天守はまず地下2階…といっても地中に埋まっているわけではなく
    土台の石垣部分の内部(穴倉)が2層あり、その上に4階建ての天守本体があります。

    本丸そのものもそうでしたが天守も割と小規模。昨年訪れた大阪城とは雲泥の差。
    1・2階は中央部に部屋(立ち入り禁止)がありその周りを武者走り(廊下)が囲んでいますが、
    豪邸ならこのくらいの間取りもあり得るのではという程度の広さ。
    (もっとも調べたところ、天守は通常、権力の誇示や最終防衛拠点として建てられ
     居住スペースとして使っていたのは安土城の織田信長ぐらいだったそうですが。)
    途中、窓の外を覗いたり飾ってあるものを眺めながら軽く一周して上の階へ登っていきます。

    しかし各階を行き来する階段がはしごに近いくらい狭くて急な造り。
    脱げやすくて踏ん張りにくいスリッパを履いたのは失敗でした(苦笑)。

    そういえば途中の階の写真全然撮ってなかった…。
    代わりに前コメの補足。城の向かって右側に張り出している部分は「付櫓(つけやぐら)」という、
    天守の入り口が敵兵に破られそうになった際に側面から攻撃をして防備する所だそうです。
  • [28] mixiユーザー

    2018年04月23日 02:46

    そして上層の3・4階はさらに狭くなります。
    これらの層は成瀬正成(次コメで後述予定)の時代に増築されたらしく、特に3階はもともと
    2階の屋根裏だったところに床を張ったので天井が低く、階段含めて頭をぶつけそうでした。
    しかし最上階まで上ると、何も置かれてない四角い部屋の周囲に回廊がめぐらされ
    そこから周囲を一望できる素晴らしい景色が待っていました。
    ただ、木曽川に面する北面は昨年の落雷で損傷した鯱瓦の修繕工事のため足場が組まれ
    立ち入れなくなっていました(1階や2階でも北面は足場が見えるだけで外を覗けなかった)。残念。
    あと、回廊は非常に狭く、高欄(手すり)も低くてちょっと身を乗り出したら落っこちそうだったので
    足がすくんで控えめにしか外を覗けなかったです(苦笑)。

    左:4階回廊から見た南面。画像下の方が本丸部分。一番左の建物はトイレでその右側のやぐらが
      入口(チケット売り場)。さらに右の方(画面中央下部)の縁台に囲まれた平屋は休憩所。
      甘味とかの提供してたような…でもちゃんと覚えてないです、すみません。
      その奥の2階建てのやぐらに至ってはそもそも何だったか現地で確認してなかった…。
    右:同西面。木曽川に架かっているのは「ライン大橋」(正式名称:犬山頭首工ライン大橋)。
      3つの用水の頭首工(取水堰などからなる設備)と道路橋を兼ねており、写真右岸は岐阜県。
      本当はこの右手に続く北の面も写真を撮りたかったのですが前述の工事のため立ち入れず。
      きっと川のおかげで視界が開けて特に壮観だったろうと思うのですが…
      (ちなみにその工事の足場?の一部が25コメの写真でも天守の頂部に写っています)。

    なお東面の景色については個人的にそれほど惹かれなかったので、前述のとおり足が
    すくんでいることもありそちらまで移動せず、ひいては撮らずに退散しちゃいました。すみません。
  • [29] mixiユーザー

    2018年04月23日 03:23

    犬山城についてあれこれ補足。ただしいろいろなページを参考にしているものの
    今一つよくわからない点があったり自分が解釈を間違えている可能性もあるので、
    事実と異なることを書いてしまっている部分もあるかもしれませんがご容赦ください。

    4階は部屋の側面に歴代城主の絵や写真・年表などが飾られていました。

    犬山城は(前史は省略しますが、「犬山城」としては)天文6年(1537年)に織田信長の叔父・
    織田信康が築城したとされ、その後80年の間 戦国の覇者の変遷と共にめまぐるしく
    城主が入れ替わり、ようやく元和3年(1617年)に尾張藩付家老・成瀬正成が城主になって以降
    犬山成瀬家の当主が歴代城主を務めるようになりました。

    また4階の床には何も置かれてないものの赤い絨毯が敷いてあり、
    これは成瀬家の7代当主がオランダ商館長と親しかったことから
    天守の最上階に絨毯を敷いたと伝えられており、昭和期の修理の際に再現されたのだそう。

    そんな成瀬家は明治維新で城主の座を追われるも、明治24年の濃尾地震で城が損壊したのを
    きっかけに、廃城後の所有者だった県から修復等を条件に再び譲渡され、平成まで相続。
    日本で唯一の個人所有の城となっていましたが、維持が大変なため平成16年(2004年)、
    ついに法人所有に移行。現在は「公益財団法人犬山城白帝文庫」が管理しています。

    「白帝」については犬山城の別名が「白帝城」といい、
    これは木曽川沿いの小高い丘の上にあるのを、中国の長江流域の丘上にある白帝城を詠んだ
    李白の詩にちなんで儒学者の荻生徂徠(おぎゅう・そらい)が命名したものだそうです。

    それから、瓦の修繕工事はこの旅行のあとひと月もせずに完了したようで…
    いつか再訪して景色をかみしめたいです。
  • [30] mixiユーザー

    2018年04月25日 02:00

    犬山城の見学を終えた後は、次の明治村へ行くため、元来た道を戻って犬山駅に引き返します。
    途中の城下町では店もぼちぼち開き始めたので食べ歩きを楽しみたかったところですが
    時間の都合上ゆっくりしている余裕がなかったので結局買ったのはひとつだけ、
    『犬山牛太郎』の「飛騨牛にぎり」。
    シャリに飛騨牛を乗せて軽くあぶり、小ねぎを散らしたもので、2貫で600円(!)でしたが、
    肉もシャリも非常にふんわり柔らかく、甘味のあるたれと合わさっておいしかったです。

    写真は犬山城から坂を下る時に撮った、脇の針綱神社境内側に並ぶ立て看板
    (実は24コメ中写真にも写っています)。安産にご利益があるようです。

    なお飛騨牛にぎりは写真に残してないです、すみません。
  • [31] mixiユーザー

    2018年04月27日 01:00

    犬山駅まで戻ると連絡通路を超えて東口へ出ました。
    そして犬山駅東口バス停より10時58分発の「明治村線(五郎丸経由)」に乗車。犬山市はギリギリ
    愛知県内ですが、この路線は岐阜バスによる運行でした。そして11時26分、終点・明治村に到着。

    左:犬山駅東口。橋上駅舎から地上まで長いスロープになっており、東西自由通路は自転車も
      通行可能になっていました。奥に見える「MEITETSU」の看板が出ている建物は西口側にある
      「犬山駅西ビル」で、下の方は西口の設備とテナントですが上階は一般の住居になっています。
    中・右:「博物館 明治村」入口。
  • [32] mixiユーザー

    2018年05月03日 02:10

    帰りの最終バスが明治村の閉館時刻よりも後に来ることを確認すると、
    犬山城で買ったセット券を提示し、「村内地図」(パンフレット)をもらって中に入ります。

    中は南から北へ大きく一丁目から五丁目のエリアに分かれており、その東側にはほぼ全体に
    わたって広がる「入鹿池」が灯台等に対する海の代わりの役目を果たしています。そしてその中に
    重要文化財十数件を含む70ほどの建造物が各地から移築されています。これをつぶさに
    見るには時間が足りないと判断し、特に気になるところを中心に主だったところを見ていくことに。

    まず1丁目は飛ばして2丁目へ。エリア入口付近にある「安田銀行会津支店」の建物が
    「ハイカラ衣装館」として明治時代の学生服(女性の場合は矢がすりに袴姿)体験を行っており、
    妹が興味を示したのでした。
    この体験には記念撮影コースのほか、着替えた姿で村内を散策できるコースもありましたが(ただし
    先着20名)、結局時間の都合やらなんやらでこの体験は見送ってそのまま遊覧を続けることに。

    その後は2丁目エリアを貫くレンガ通りを途中の建物もチラチラ見つつ進み、
    一番奥にあり“村長室”となっている「東山梨郡役所」へ。ここでは伊藤博文や福沢諭吉といった
    明治維新期の偉人やお雇い外国人の紹介などがされていました。

    左:妹が母を連れてハイカラ衣装館を覗いている間に近くの売店で買って食べた
      『食道楽のカレーぱん』。明治期のベストセラー小説『食道楽(しょくどうらく)』で紹介している
      レシピをもとに再現・アレンジしたものだそうで、鶏肉とピーナッツが入っているのが特徴。
      このあと昼食をとることもあり1個を父と分けて食べましたがなかなかにおいしかったです。
    右:東山梨郡役所。洋風のデザインを取り入れながら完全にはなり切れていない
      “擬洋風建築”で、重要文化財に指定されています。
      郡役所は「郡」が町村を束ねる行政区画であった明治から大正にかけて置かれていましたが、
      あまりメリットがない郡制が廃止されると残務処理をしたのちに役目を終えました。
  • [33] mixiユーザー

    2018年05月07日 03:07

    このあたりで時間は12時近く。そろそろどこで食事をとるか決めねばという流れに。
    村内には食事ができるところが点在しているのですが、あまり遠いと辿り着くまで時間がかかるし、
    豪勢なメニュー(牛鍋とか)も身に余るし…といった感じでちょうどよさそうなところを検討した結果
    この時いた地点から割と近くで、3丁目エリアに入ってすぐの辺りにある『めん処 なごや庵』という
    店でお昼にすることに。レンガ通りを引き返したあと、3丁目エリアに隣接したところに展示されている
    路面電車の車両「名電1号形」を見た後、昼食の運びとなりました。

    左:名電1号形22号。中に入ることもできました。そして周りの壁には1号形のあゆみや
      当時の写真、現役時代の経営状況のデータなどがパネル展示されていました。
      この22号は名古屋電気鉄道(名古屋鉄道と今はなき名古屋市電の前身)の市内線で
      明治34年(1901年)から明治40年(1907年)の間使われたのち、他の同形車とともに
      札幌電気軌道(のちに札幌市電)に購入され「10形29号」として大正7年(1918年)から
      昭和11年(1936年)まで使われました。引退後は同形で唯一保存されていたものを
      名古屋鉄道の創業120周年(2014年)と明治村開村50周年(2015年)の節目に合わせ、
      「名電1号形 里帰りプロジェクト」として特別展示されることになり、名電時代の塗装を
      再現した上で明治村へ運ばれました。2020年に札幌市に返却予定だそうです。
    右:『なごや庵』で食べた「名古屋コーチンきしめん」。
      今回の旅行では可能な限り名古屋めしに走りました。
      ちなみにメニューには「カレーきしめん」もあり、また近年の名古屋では味噌煮込みうどん派生の
      「カレー煮込みうどん」や台湾ラーメン派生の「台湾カレー」など従来の名古屋めしのカレーバー
      ジョンが増えていることも知っていましたが、まずはここは王道を体験せねばとこちらを注文。
      つるり、びろびろとした食感の楽しい麺、
      しっかり噛み応えのある名古屋コーチン肉、非常においしかったです。
  • [34] mixiユーザー

    2018年05月09日 12:38

    今の文章を書くためガイドマップを見返していたら明治村の広さについての記述に気づきました。
    東西約620m・南北約1100mで面積約100万平方m。
    南側の正門から北端の北口まで徒歩でおよそ20分。

    なので前にも書いたように全部を見て回るには時間が足りず
    昼食後も村の最深部までをかいつまんで寄り道しながら進んでいきます。

    まずは3丁目の残り部分を飛ばして4丁目エリアに行き、「歩兵第六聯隊兵舎」に入ってみました。

    ここでは2階に「矢場・射的」のいわばゲームコーナーがあり、
    先に吸盤のついた弓矢を引いての的当てと、縁日でよく見るコルク玉での射的が遊べます。
    料金はそれぞれ1回300円で弓矢は3本だったか5本だったか…、射的は確か5発。
    なんだかんだで母以外3人して両方をプレイ。
    しかし、どちらも的まで大した距離もなく、説明・デモ担当のおじさんは軽々当ててみせる
    (しかも射的に至っては片腕で)のに対し、我らは実際にやると思うように当たらず。
    自分は矢が一発当たったかどうかぐらいで、景品は参加賞の中からハンドスピナーをもらいました。
    ……2種類やったから景品も2個もらったと思うんですがもう一つは何だったか思い出せず。
    このあたり写真も撮ってなければ記憶もあいまいすぎて申し訳ありません。

    この2階にはもう一つ「暗夜回廊」という暗闇の迷路コーナーがありましたがそっちは今回はスルー、
    遊んだ後は1階に下りて、一室を改装したお土産コーナーを物色。
    そして1階の他の部分を見学。昔の状態が再現してあり、そのうちの一室には戦争・日本軍関係の
    展示(各地に鎮守府や師団が配置されていった歴史や軍服、軍の食事内容など)がありました。
  • [35] mixiユーザー

    2018年05月09日 13:08

    歩兵第六聯隊兵舎を裏口(?)から出ると
    入鹿池が陸地に食い込んだところに架かる「六郷川鉄橋」を渡って北へ進みます。
    そのたもとには「尾西鉄道蒸気機関車1号」が置かれていました。

    左:尾西鉄道蒸気機関車1号。左側に映っているのが六郷川鉄橋。
      「六郷川」は多摩川河口付近の別称で元々は大田区と川崎市の間にある橋でした。
      「六郷」の名は今も大田区の地名(「東六郷」「西六郷」など)や
      京急の駅名(六郷土手)に使われています。
    中:尾西鉄道蒸気機関車1号の説明書き。尾西鉄道は現在の名鉄尾西線の前身です。
    右:六郷川鉄橋の説明書き。移築されたのは全体の一部ということが分かります。
      しかし撮影する自分の影が映り込んでますね。(^_^;
  • [36] mixiユーザー

    2018年05月12日 02:24

    橋を渡った後は重要文化財の「宇治山田郵便局舎」の前を通り、
    中にガラスショップやバーを設けている「工部省品川硝子製造所」や
    駄菓子屋となっている「小泉八雲避暑の家」を覗いたりして4丁目エリアを抜けました。

    左・右:宇治山田郵便局舎。中には『博物館明治村簡易郵便局』があり
        実際に郵便業務を行っています。また手紙を預かって10年後に
        指定の住所へ発送する「はあとふるレター」というサービスも行っています。
  • [38] mixiユーザー

    2018年05月13日 18:56

    5丁目エリアに入るとまずは小高い台地の上の聖ザビエル天主堂を見ました。
    最初は外観だけ見てすぐ次へ行ってしまったのですが、やっぱり中が気になり、
    帰りがけに寄り道して改めて内部を見学しました。ここではその帰りに撮った写真もまとめて紹介。

    なお記憶があいまいになっていることもあり、
    5丁目エリアは写真に残してあるところ以外は少々端折っていきます。すみません。

    左・中:聖ザビエル天主堂の外観とその内部。
        撮影スキルがないせいでどれも隠れたり目立たなかったりと綺麗さがまるで
        引き出せていませんが、各窓が色鮮やかなステンドグラスで飾られています。
    右:同天主堂の入り口付近に設置されていたツリー状のステンドグラス。
  • [39] mixiユーザー

    2018年05月15日 01:22

    台地の下へ降りると門や橋を通って「帝国ホテル中央玄関」へ。
    北口周りの施設を除くとここが最も北西の建物で、この後は南へ戻る、
    いわば折り返し地点。ここで一服できればよかったのですが
    ホテル内の喫茶室は12月〜2月の間は平日定休ということで利用できませんでした。残念。

    写真はその帝国ホテル中央玄関の正面。
    もとは10のブロックからなっていた広大なホテルのうち玄関部の建物のみ移築されたもの。
    帝国ホテル自体は明治時代の開業で、大正時代に入り新館として高名な建築家
    フランク・ロイド・ライトの設計により建設されるも4年がかりの事業となり、
    度重なる設計変更や大幅にオーバーして膨れ上がる予算、初代本館が火事で焼失して
    新館開業が急務になったなどの要因からライトは完成を見ることなく日本を離れたとのこと。
    しかし複数ブロックをジョイントした、一部に倒壊があっても全体に波及させない構造の
    おかげで、完成直後に関東大震災に見舞われるもほとんど損傷することなく残ったそうです。
    その後1945年の東京大空襲では半分近くが消失するも大規模な修復工事で復旧し、
    より高層の新本館へ建て替えるため閉鎖される1967年まで使われました。

    手前の池は水が抜かれている状態で寂しいですが、
    曲線の電飾みたいなものは何かの折にライトアップされるのでしょうか。

    それとホテルの左後ろに写っている鉄橋のようなものは
    北口の“SL 東京駅”と村中央付近の“SL 名古屋駅”を結ぶ村内SLのものです。
    明治村では村内交通としてSL、市電、バスが運行されていますが、
    時間や運賃のからみもあり今回はどれも利用しなかったです。
    再度訪れることがあればその時は乗ってみたいです。
  • [40] mixiユーザー

    2018年05月17日 03:06

    ホテルを出たあとはこれまた高台になっている部分を登り、村の最北東部に並ぶ
    「内閣文庫」「川崎銀行本店(の一部)」「大明寺聖パウロ教会堂」を見て回りました。
    (歩いた当時は帝国ホテルが端っこという印象でしたが、
     実際に地図で見るとこっちの方がより村の外れに位置してました。)

    写真は内閣文庫の外観。
    内閣文庫とは江戸幕府から引き継いだ古文書・古書や明治以降に政府の各組織が
    使用や収集した資料・参考用図書を保管してきた図書館で、1971年に国立公文書館が発足すると
    “資料としての内閣文庫”はそこに移管されて所蔵コレクションとなりました。
    そして空になった庁舎のうち本館(事務棟)がここに移築されました。

    館内には常設展示として「世界のミニチュア建築」数十点が公開されていました。
    とある個人の方が製作したものを寄贈したのだそうで、
    あえて彩色しない白一色の造りでしたがとても精巧で見ごたえがありました。
  • [41] mixiユーザー

    2018年05月17日 03:36

    続いて川崎銀行本店。帝国ホテルや内閣文庫も一部の棟のみの移設でしたが、
    これに至っては更にその一部だけ(左写真参照)。しかし上のフロアに階段が通じていて、
    最上層からちょっとした展望台のように村内が見渡せるようになっていました。

    左:銀行外観。取り壊した残りというよりむしろ建設途中で工事が凍結されたかのような趣き。
    右:建物の概要説明。また撮影した自分の影が映り込んでます(苦笑)。
      「川崎」は地名でなく人名由来でした。
  • [42] mixiユーザー

    2018年05月17日 03:55

    今度は川崎銀行本店の上まで登って撮影した写真。

    左:おおよそ南側、入鹿池(いるかいけ)を撮影。
      この池は400年近く昔の江戸時代初期に人工的に造られた農業用ため池で、
      香川県の満濃池と日本1,2を争う広さ・貯水量があります。
      明治村においては海に見立てるのにちょうどいい役割を果たしています。
    中・右:北西〜西側。隣には先ほどの内閣文庫。
        高台下の画面左側には半分隠れていますが帝国ホテル等も見えます。
  • [43] mixiユーザー

    2018年05月17日 04:27

    そして大明寺聖パウロ教会堂。左写真が外観、右写真が解説。
    中の様子は撮ってなかったです、申し訳ありません。以下の説明が分かりにくい場合は検索推奨。

    この教会は長かったキリスト教禁制が解かれて間もない明治6年の建設とあり、
    外観は農家の家屋っぽいところに弾圧の名残が見られます。
    しかし内部は解説板でも「後期ゴシック様式」「こうもり天井」と書かれているように、
    木製の骨組みを見事にアーチ状にした非常に洋風の造りです。また左右の側廊の上部には
    キリストが十字架にかけられる流れを描いた絵が順番に掛けられていました。
    さらに一番奥、祭壇の右側の壁面には聖母マリアが出現する奇跡を再現した“ルルドの洞窟”が。
    この設備(?)を設ける際は通常、教会の敷地内に岩山を用意し、そこを掘って造るのだそうで
    この教会のように建物内に設けてあるのは珍しい例なのだそう。
  • [44] mixiユーザー

    2018年05月21日 17:56

    ここから先は建物の画像全然残してないので文章だけの解説となります、すみません…。

    北西側の建物も周ったことでいよいよ本格的に復路へ。5丁目内のまだ見てないところを通り、
    前述した聖ザビエル天主堂に改めて寄って中の写真を撮り、再び4丁目へ。

    ここで新たに寄ったのは「鉄道寮新橋工場・機械館」。
    名前から鉄道関係の展示がみられるかと思って入ったのですが、鉄道遺産であるのはガワだけで
    中身は平削り盤(往復運動する台の上に大きな部品(工作物)を置いて、上に固定された刃で
    平面を切削する機械)や紡績機といった明治期の工業機械を展示してあるところでした。
    でも専任の解説係のおじさんがいろいろ説明してくださったのでしっかり一通り見て周りました。
    ここでは「菊花御紋章付平削盤」と「リング精紡機」が重要文化財となっていました。
  • [45] mixiユーザー

    2018年05月21日 18:14

    4丁目の残る部分は大胆にすっ飛ばして3丁目へ。
    このエリアは行きでは食事した以外全然見ていなかったのでここで改めて周ります。

    明治村は朝ドラ『花子とアン』をはじめ古い時代を描いた数多くのドラマや映画でロケ地として
    使われており(2010年には『逃走中』にも使われたとのこと)、それがパンフレットにも載っていたの
    ですが、その中で3丁目にある「芝川又右衛門邸」が、妹がDVDを買ったほどのスペシャルドラマ
    『オリエント急行殺人事件』(三谷幸喜脚本)のロケに使われたことが分かったので
    そこへ行ってみることにしました。
    このエリアは結構な山になっていて、通り道の脇にある「宗教大学車寄」や
    「神戸山手西洋人住居」をチラ見しながら急な坂を登り、ようやく目的地へ。でも外観ではドラマの
    どのシーンで使われたのかわからず…。おそらくは立ち入れない建物内が使われたのでしょう。
  • [46] mixiユーザー

    2018年05月22日 21:19

    この時点で時間はまだ14時台で、「閉村時間は16時だけど残りは適当に観て早めに切り上げて
    15時30分のバスで帰ろうか」という話になっていて、なので家族は出入口(正門)の方へ
    進みたがっていたのですが、自分は3丁目エリア内では3「品川燈台」も観たかったので
    「できるだけ早く戻ってくる」約束のもと見物を続行。父だけ一緒についてきて、
    母・妹とは芝川又右衛門邸近くの道が枝分かれしている所で一旦別れました。

    しかし目的の品川燈台は3丁目エリア内において村の中心側から一番離れたところ。
    芝川邸に行く前に寄っていればそれほど時間のロスはなかったのですが、別行動とした時点で
    1・2丁目と接する所の近くまで来ていたので灯台へ行くのに時間がかかることとなってしまいました。
    さらにまだ周っていないところを見ながら進もうと途中で「幸田露伴住宅『蝸牛庵』」や
    「西園寺公望別邸『坐漁荘(ざぎょそう)』」にも立ち寄りながら行ったので、
    さらに時間を消費してようやく着きました。
  • [47] mixiユーザー

    2018年05月22日 21:21

    フランス人によって設計され灯器もフランスから輸入した「品川燈台」は
    避雷針を含めても高さ約9mの小ぢんまりしたものでしたが、江戸開港に伴って
    設置が必要になった灯台のひとつとして、観音崎燈台・野島崎燈台に次いで明治3年に造られた、
    現存する中では最古の洋式灯台で、重要文化財に指定されている由緒ある建造物。

    これが現役の時に建っていたのは品川沖(今の東京港)の第二台場西端。1853年の
    ペリー来航後に異国船対策として急造された海上砲台(いわゆるお台場)のうちのひとつです。
    台場は砲台として使われることなく開国し、第二のほかは後に第四台場が造船所に、
    第三台場と第六台場が史跡公園になったりしました。

    戦後になると東京港の開港に伴い、第二台場が航路を確保するうえで支障になったため
    品川燈台は1957年に役目を終えて解体され、明治村へは開村する前年の1964年に
    移築されました。第二台場はその間の1962年に撤去されています。

    その他の台場も公園として残った第三と第六台場以外は撤去されたり
    港区〜品川区沿岸の埋立地に取り込まれて埋没し、今ではいわゆる「天王洲」と呼ばれる
    東品川2丁目の北東角に第四台場の石垣の遺構が少しみられるくらいです。

    写真は品川燈台の土台から撮った入鹿池。壮大です。これを撮った時ちょうど15時でした。
    ていうかなんで灯台そのものを撮らなかったかなあ、自分…。
  • [48] mixiユーザー

    2018年05月23日 00:48

    品川燈台の後は隣接する菅島燈台附属官舎(こちらは三重県鳥羽市から移築されたもの)も見学。
    イギリス人の設計によるレンガ造りの洋風建築でこちらも重要文化財。その中では古い
    様々な灯台レンズや灯台に関する資料などが展示されており、また時間を取られてしまいました。

    こうしてようやく3丁目入り口付近に戻り、母・妹と合流したときには
    15時半のバスに乗るには厳しい時間になってしまったので、結局16時のバスで帰ることに。
    そこで、これまた行きにはほぼスルーだった1丁目エリアを少し散策。
    「森鴎外・夏目漱石住宅」「西郷從道邸」「学習院長官舎」を見たほかトイレにもよって時間調整。

    この中で「森鴎外・夏目漱石住宅」は鴎外が明治23(1890)年から1年ほど、
    漱石が明治36(1903)年から3年ほどそれぞれ住んでいたという家で、『吾輩は猫である』などは
    ここに住んでいる時期に発表されたそう。特に、この日それまでに見た一軒家は中には入れず
    外から眺めるだけでしたが、この家は中に上がることができたので入ってみました。

    平屋の日本住宅であるこの家は、明治村公式サイトの解説では“当時の典型的中流住宅”と
    言及されていますが、建坪39坪(129.5m^2)余りで6つくらいあった部屋の中には女中部屋もあり
    十分に立派な家でした。
  • [49] mixiユーザー

    2018年05月23日 01:18

    こうして出入口の正門前まで戻ってきましたが、バスには余裕で間に合うようにしたので
    15分ほど待ち時間がありました。そこですぐには外へ出ずに正門そばの売店前スペースで小休憩。
    ここで、自分は売店のメニュー『小倉ドッグ』が気になったので購入しました。
    写真がそれです。…全然あんこが見えていませんが(苦笑)。

    今回の旅行で食べたい名古屋めしのひとつに「小倉トースト」という
    トーストに粒あんを塗ったものがあり、小倉ドッグはその亜種とみることができますが、
    これはこれで食べてみたいという気が抑えきれず。実際、ほどほどの弾力のコッペパンに
    あんこと生クリームの組み合わせが絶妙にマッチして至福でした。
    ちなみに妹はその売店で『食道楽のコロツケー』を注文しましたが
    揚がるまでに時間がかかって食べる頃には閉園時間を告げる放送も流れ出し、
    父と分けながら余裕なく急いで食べる羽目になっていました。

    とにかくこうして長時間楽しんだ明治村遊覧もおしまい、他の帰る人たちとともにぞろぞろと退園し
    帰りのバスを待つバス停に向かいました。
    ――そういえば、このレポートを書くにあたってパンフレットを見直していて気づきましたが
    村の正門(31コメ参照)も「第八高等学校正門」という移築建造物のひとつでした。
  • [50] mixiユーザー

    2018年05月24日 00:21

    バスに乗り犬山駅に戻ってきたところで、この日の観光はもうおしまいで時間に余裕があるので
    電車に乗る前に一服することに。駅前の商業施設内をうろうろした結果、1階に併設された
    『カフェ・プロスペール』という店に入りました。そして自分はティラミスラテを注文。

    写真がそのティラミスラテ。
    飲む前に撮っておくのを忘れていたので飲みかけの写真となってしまいましたが…。
  • [51] mixiユーザー

    2018年05月27日 15:54

    そして犬山駅から名古屋市内へ戻ります。今回宿泊するホテルは地下鉄の久屋大通駅が最寄で
    ここからなら地下鉄上飯田線直通の小牧線に乗って終点・平安通駅まで南下し、
    名城線に乗り換えれば最短ルートとなるのですが、名古屋駅に荷物を預けているので
    行きと同じ犬山線で戻るしかありません。小牧線に乗り損ねたという意味でも惜しい。

    写真は犬山線列車を待っている間向かいのホームに停まっていた小牧線経由平安通行き。
    これに乗れれば…。
  • [52] mixiユーザー

    2018年06月02日 02:49

    犬山線〜名古屋本線を使い、往路の逆ルートで名鉄名古屋駅に戻りました。
    荷物は戻ってきた時取り出しやすいように広小路口近くのコインロッカーに預けていたのですが、
    下車後に行きと違う出口から出てしまったこともあり、構内をうろうろした末に
    ようやくコインロッカーに到着。荷物を取り出すと、地下鉄桜通線のホームを目指して再び地下へ。

    桜通線ホームは結構な長さがありました(Wikipediaによるとこの区間では20m車8両編成対応)が
    実際に運行されている車両は20m車5両編成で、大分ホームを余して停車します。
    車両が停車する部分には可動式ホーム柵(いわゆるホームドア)が設置され、
    停まらないところはアクリルだかガラスだかの板でふさがれています。
    また、混雑解消が目的なのか、上下線で停車するゾーンがずらしてありました。

    左:これから乗る今池・徳重方面の3番線。こちらのホームは奥までホームドア(=停車位置)が
      連なっていますが、画像右の反対側(4番線)ホームは停車位置でないため塞がれています。
      (右写真も参照。)
    中:4番線に列車が到着しました。ターミナル駅だけあって多くの人が降ります。
    右:列車を待つ人が増えてきました。4番線側は停車位置でないので待っている人がいません。
      (もっとも次の中村区役所駅が終点なので停車位置でも待っている人は少なかったかも。)
  • [53] mixiユーザー

    2018年06月03日 03:20

    桜通線の列車に乗って3駅先の久屋大通で降りると、
    駅ほど近くの『ホテルビスタ名古屋』に6時30分頃チェックイン。
    自分と父、妹と母の2・2に別れて部屋に入ると、荷物を置いてスマホを充電しながら一休み。

    左:前コメで掲載しきれなかった桜通線名古屋駅の駅名標。
    右:桜通線久屋大通駅のホーム。
      名古屋駅は東山線との乗換駅でしたがこちらでは名城線と乗り換えができます。
  • [54] mixiユーザー

    2018年06月03日 03:37

    その後、片方の部屋に集まって夕食をどこで食べるか会議。付近の飲食店マップ
    (部屋に置いてあったものだと思うけど違うところで手に入れたものかも。記憶曖昧ですみません)
    とにらめっこした結果、割と至近にある居酒屋『海女の酌』錦大津通店に行くことに。

    そこでは名古屋らしいメニュー含め、海の幸山の幸あれこれ頼んでつっつきました。
    どて煮が甘くて美味しかった〜。『松坂豚の味噌焼き』も絶品。
    ただ、手羽先は手がべたべたになるのを懸念して注文避けちゃいましたが。
    それと『味噌かつ串』は前述の味噌焼きと方向性が被るので注文しなかったのですが
    その後旅行中に味噌かつを食べる機会がなかったので、ここで食べておくべきだったと後悔。

    食事後、帰り道でコンビニに寄って食後のデザート的なものを買ったような気もするものの
    しっかり思い出せず…。この辺り記憶が曖昧過ぎてすみません。

    そんなわけで部屋に戻った後は(記憶の上では)特にこれといったことはなく
    1日目を終え就寝しました。
  • [55] mixiユーザー

    2018年06月05日 02:21

    2日目・2月21日、この日は朝7時くらいに目が覚めました。
    そして8時くらいから身支度をして8時半頃に外へ。お目当てはいわゆる“名古屋のモーニング”。
    名古屋を中心とした愛知・岐阜界隈では喫茶店のモーニングにあれこれついてくるという話を
    テレビでよく聞くのでそれを実際に体感したかったのです。
    あらかじめホテルのフロントで、この辺でおすすめのモーニング実施店として
    『加藤珈琲店』という店を聞いていたので、数百m歩いてそこまで向かったのですが、
    着いてみたらなんとまさかの定休日! 着いたけどツイてない…。

    写真はホテルと加藤珈琲店の間で撮った名古屋テレビ塔。
    左と右の写真の手前に映る「GATE 3B」と「GATE 4B」は久屋大通駅の出口です。
  • [56] mixiユーザー

    2018年06月05日 02:26

    仕方ないのでとりあえずこの日の観光の支度をして、移動途中の名古屋駅周辺で
    改めてモーニングサービスをしている店を探すことにしました。

    今回は連泊なので必要な荷物以外はホテルに置いたまま出て地下鉄に乗り、名古屋駅へ。

    左・中:桜通線久屋大通駅ホームその2・3。
    右:桜通線久屋大通駅の駅名標。53コメの名古屋駅でもそうでしたが、名古屋の地下鉄では
      当該路線だけでなく乗換路線の駅ナンバーも表示しているのが特徴的です。
  • [57] mixiユーザー

    2018年06月06日 00:58

    名古屋駅に着くと、名鉄・近鉄・地下鉄の集まる東側から、このあと乗るあおなみ線の改札がある
    西側へ移動。その周辺で手ごろな店を探した結果、ビジネスホテルの角に併設され
    外からも利用できる『COFFEE ROOM ジュエル』という店に決定。
    しかし提供している朝メニューは「モーニング」と「洋定食」と「和定食」。名前から分かる通り
    いろいろついてくるやつは定食で、「モーニング」はコーヒーor紅茶orミルクとトーストのみ。
    これは3日目でも感じることになるのですがテレビで見るような“いろいろついてくる「モーニング」”を
    行っている店はそうそうないようです。
    ということでここでは定食を選びましたが、トースト等は3日目に改めて食べることになるだろうと
    考えて、他の家族が「洋定食」の中、自分は「和定食」の方を注文。

    写真がその和定食。いろいろと品数があって良かったです。
    家族が選んだ洋定食の方は、写真の右端にメニューがちらっと映っていますが(笑)、トースト・
    飲み物のほかにゆで卵・サラダ・フルーツ・ミニオレンジジュースと、あともう1品くらいあったような…。
  • [58] mixiユーザー

    2018年06月06日 02:31

    朝食を終えた後、2日目最初の観光先『リニア・鉄道館』へ行くため、近くの太閤通南口から
    名古屋臨海高速鉄道の名古屋駅構内に入場。あおなみ線に乗って終点の金城ふ頭まで行きます。

    左:可動式ホーム柵(ホームドア)の完備されたあおなみ線名古屋駅ホーム、の北側。
      あおなみ線のホームはJR駅の南の外れ、在来線と新幹線の線路間に食い込むようにして
      立地しており、画面中央が唯一の出口/JR乗換改札である太閤通南口から通じる階段。
      画面左には新幹線ホームが映っており、また画面右に停車している列車の右奥の方に
      在来線ホームが並びます。
      旅客路線としてはここを起点に南(撮影者側)側のみが営業路線ですが、線路自体は
      北(画面奥側)に東海道本線の貨物線(通称:稲沢線)として数駅先まで続いています。
    右:ホーム南側。列車はここから画面奥の方に向かって発車します。
      これから乗る列車は終点近くのレゴランドとコラボしたラッピング電車「レゴランド・トレイン」でした。
  • [59] mixiユーザー

    2018年06月07日 02:35

    あおなみ線は名古屋市港区の鉄道空白地帯を埋めるために旧国鉄→JR東海の貨物路線だった
    西名古屋港線を改良し、第三セクターの名古屋臨海高速鉄道を運営者として開業した路線です。
    今でも一部区間は現役の貨物線として使われており、路線の正式名称も旧来の「西名古屋港線」
    ですが、案内上はイメージカラーの「青(“あお”)」と、「名古屋(“な”ごや)」の「港(“み”なと)」から
    とられた「あおなみ線」の名称で統一されています。

    そのあおなみ線に乗車して終点の金城ふ頭へ。しかしこれが辺鄙。
    名古屋港は複数の市・村にまたがっているのですが、このうち埋め立てによってつくられた
    島である金城ふ頭は名古屋市域の最南端で、Wikipediaによれば2010年時点で居住者は0。
    島内にはあおなみ線と一般道が北から乗り入れている以外に一応
    東西を貫く高速道路が走っていますが(島内にICあり)、地図で見る限り袋小路感は否めません。
    このどん詰まりに伸びるあおなみ線(西名古屋港線)は
    本土と地続きの終点である地下鉄名港線名古屋港駅や名鉄築港線東名古屋港駅とは
    比べものにならないくらい南に張り出しています。
    こと終点・金城ふ頭駅は名古屋市国際展示場(ポートメッセなごや)やこれから行く
    リニア・鉄道館などの施設アクセスくらいにしか使い道がなさそうで
    路線全体の利用者も開業前の想定を大きく下回り、運営は苦戦を強いられています。

    左:金城ふ頭周辺地図。高速道路を除くと北からしか出入りできません。
    右:名古屋市全体における金城ふ頭の位置。
      大きく赤丸をつけた場所が名古屋駅で、そこからあおなみ線はほぼ南に延びています。
      上で比較に挙げた名古屋港駅は青丸、東名古屋港駅は緑丸。
      金城ふ頭の東の島内を貫く線路は貨物線です。
  • [60] mixiユーザー

    2018年06月07日 02:58

    閑話休題。
    終点・金城ふ頭駅に到着し、いよいよリニア・鉄道館へ向かいます。

    左:リニア・鉄道館の側面が見えてきました。一部隠れてますがJR東海のマークも見えます。
    右:敷地内に入りました。殺風景な建物ですね…。
  • [61] mixiユーザー

    2018年06月10日 17:12

    リニア・鉄道館はJR東海によって、主に東海地方で保存されていた車両を集め、2011年3月14日に
    金城ふ頭内に開館した施設。車両39両の展示・解説のほかに模型やシミュレータなどもあります。
    中に入ると、まずは宇宙チックな黒い空間の中で
    それぞれ世界最高速度を出したことのあるシンボル3両がお出迎え。

    左:C62形蒸気機関車17号機。ヘッドマークの「つばめ」はかつて東京〜大阪間を結んだ特急です。
    右:同機の解説。この形式は戦後に大量の旅客用蒸気機関車が必要になった中
      資材不足のため貨物用だったD52形のボイラーを転用して造られ、東海道本線や山陽本線、
      常磐線などで特急や急行を牽引するなど第一線で活躍した日本最大・最速の蒸気機関車。
      特にこの17号機は1954年に狭軌(レール幅1067弌砲両気機関車として
      世界最高速度の時速129kmを記録しました。
  • [62] mixiユーザー

    2018年06月10日 17:15

    前コメ続き。左からC62、300X、MLX01とならんでいました。

    左:955形新幹線試験電車(300X)。1992年にデビューした300系の次世代を担う新幹線に向けた
      技術を実験するため、最初から営業運転を考えない前提で造られた試験車両
      (試験車両なので形式番号が900台ですが、開発時期が300系の直後なので通称が「300X」)。
      1996年にレールを走る電車として当時世界最速の時速443.0劼魑録。
      この車両の技術は700系やN700系に繋がっていきました
      (間に登場した500系はJR西日本の独自開発で仕様も0系→100系→300系→700系…の
       流れから大きく外れる異端児のためリニア・鉄道館では全くといっていいほど触れられず)。
    右:MLX01形リニア車両(超電導リニア MLX01-1)。JR東海が最も社運をかけているといえる
      超電導磁気浮上方式鉄道(超電導リニア)の実験車両のひとつ。
      現在は工事中である「中央新幹線」のルートの一部となっている山梨リニア実験線で
      2003年に、当時の鉄道の世界最速である時速581劼魑録しました。
  • [63] mixiユーザー

    2018年06月10日 18:54

    シンボル展示ゾーンを抜けると館のメインエリアである「イベント広場」に出ました。

    左:イベント広場に入ってすぐあたりの光景。広場の向かって左側には手前から
      700系、300系、100系、0系と歴代の東海道新幹線車両が並びます
      (500系も投入当初は東海道を走っていたけどJR西独自開発の異端児なので(ry)。
      それより右には特急用の国鉄381系電車(クハ381)、戦前に急行用に製造され
      戦後は特急にも使用された国鉄モハ52形電車が見えます。
    右:一番手前の700系車両(723-9001)の解説。「300系に続く4代目となる新幹線電車として…」と
      完全に500系がなかったことにされています(JR東海所属の車両でいえば確かに4代目ですが)。
      ちなみに「723形式」という数字は7が700系、2が普通車、3が博多方制御車であることを
      表しています。
  • [64] mixiユーザー

    2018年06月14日 01:47

    さて、ここで申し訳ないのですが、このあと館内をどういう順に見て周っていたか覚えておらず
    撮った写真とその撮影時間からある程度の時系列はわかるものの、
    どうしても全部は見たタイミングに確証を持てないので、
    以降はおそらく実際の見学順とは異なる部分を含んだ順序での紹介となります。ご了承ください。

    そしていきなり「見た」からは離れますが、館のパンフレットに抽選制である
    新幹線運転シミュレータ・在来線車掌シミュレータ利用の応募券が付いており、
    割と早い方の段階でこれを切り取って応募しておきました。1日に6回抽選が行われ、
    当選者はそれぞれ結果発表がされた次の時間帯にシミュレータを利用することができます。
  • [65] mixiユーザー

    2018年06月18日 02:24

    話を戻して、
    ちゃんと覚えてないけど割と最初の方に見たと思うのは「鉄道のしくみ」コーナーの前半。

    東海道新幹線を中心に、高速鉄道技術の進歩や仕組みが実物の部品や模型で説明されており
    また壁の解説パネルには新幹線東京〜新大阪間の配線を模式的に表した図がずっと続いていて、
    その配線につられながら解説・展示を見ていきました。

    それから鉄道ジオラマも見ました。日本最大級の面積というそのジオラマは、
    名古屋駅を中心に東海道新幹線沿線の建物や風景などが再現されており、
    その中をN700系新幹線をはじめとしたJR東海車両の模型が所狭しと走り回ります。さらに
    時間が経つと日が沈んで暗くなり、そしてまた朝になる…と“鉄道の24時間”が表現されています。
    最大級の鉄道ジオラマは昔、埼玉・大宮の鉄道博物館でも見ましたが、
    あの時は人垣であまりよく観察できなかったように記憶しています。
    それに対して今回は端から端まで目の前でじっくり観察することが出来ました。
  • [66] mixiユーザー

    2018年06月18日 03:04

    正午になる少し前には屋外展示のコーナーにいました。
    ここには117系電車3両と、ケ90形式蒸気機関車が展示されています。

    左:117系外観。この形式は国鉄時代の1979年に関西圏の新快速用列車として登場、
      のちに東海地区にも投入されました。運用としては特別料金不要の近郊型車両でありながら
      2扉の全席転換クロスシートで吊り革なしという、当時の急行型列車をしのぐ設備でした。
    右:中に入って乗務員室の後ろで撮影。「クハ117-30」という車両番号が貼ってあります。

    この117系は3両が繋がって通り抜けできる状態での展示なので、中に入ると
    しっかり乗車してる感が味わえます。さらにこの車内は休憩スペースとして飲食可能となっており
    ここで駅弁でも食べたら座席がクロスシートなのとも相まって非常に風情がありそうです。
    というかなんで座席を撮らなかったんだ自分…。
  • [67] mixiユーザー

    2018年06月18日 03:55

    117系の中でドア上の路線図(運行系統図)を眺めてたり、席に座って水分補給などをしていたら
    妹から電話がかかってきて「もうシミュレータの抽選結果が出てるから、早く確認しに来い」という
    旨の連絡を受けたので、取り急ぎケ90形の写真も収めて、抽選結果を見に行きました。

    左:ケ90形式蒸気機関車。2両しか製造されなかった同型車のうちの1両で
      車両番号も「ケ90」です(もう1両は「ケ91」番)。しかし実に小さい(理由は後述)。
    右:ケ90形式蒸気機関車と117系電車の解説。

    ケ90形は今からちょうど100年前、東濃鉄道(初代。現在バス事業を行う同名会社とは別物)が
    軌間762个侶敲愿監擦箸靴読濱澆靴刃線に投入した機関車。当時はA形の「1」号機(と2号機)で
    鉄道省がその路線の一部を国有化(→国鉄を経て現在のJR太多線の一部)した際に
    鉄道省籍となりケ90(とケ91)に改番されました。
    なお1928年には太多線の残り区間開業とともに旧東濃鉄道の区間も
    1067个鵬軌されているので、ケ90形は製造からわずか10年でその役目を終えました。
  • [68] mixiユーザー

    2018年06月20日 02:00

    シミュレータ利用の抽選結果を確認すると、なんと新幹線運転に当選していました。
    総合案内にて利用券を発券してもらい、12時15分ごろからシミュレータ体験をすることになりました。
    そこで時間までの間、再びイベント広場内を見学していると、63コメの700系車両のところで
    運転台に座れる体験を実施していたので自分もそれに参加。乗務員室内に入ると制帽をかぶって
    運転台に座り、ハンドルを握るポーズを。その様を、スマホを預かった係の人が撮ってくれました。
    さらに別口で記念用の写真撮影も。こっちは現像のあと専用の台紙に写真を飾って持ち帰り用と
    するもので少々値段が張ったのですが、一期一会の記念なのでそれも買うことにしました。

    左・右:自分が映ってる写真はさすがに勘弁…ということで計器類を撮った写真だけ。
  • [69] mixiユーザー

    2018年06月20日 02:37

    さて、いよいよ新幹線運転シミュレータを体験。N700系の運転台の実物大模型を前に座り、
    スクリーンに映る東京〜名古屋間を“運転”します。シミュレーションには
    見習い編、練習編、達人編の3つのコースがあり、初体験の自分は見習い編を。
    ガイドの人から軽く説明を受けた後、出発。計器に映るスピード制限に合わせて
    ハンドルを引いたり倒したりして加減速をし、車両がガタガタすることないように
    なめらかに走らせつつ、所定のポイントを所定の通過時間にあわせて通過していきます。
    そして最後は駅の手前でブレーキをかけて時間ぴったり・停止位置ぴったりで停まるようにします。
    この運転中は本当に指示に合わせた加減速をするのに集中しっぱなしで何かしゃべったりする
    余裕もありませんでしたがかなりスムーズに走り切ることができ、終了時には褒められました。
    かなり緊張する体験でしたが達成感があって楽しかったです。

    左:シミュレータ室の前で自分の番を待っている時に撮った1枚。映っているのはC57形機関車。
      右の方に人が並んでいて部屋の前に『「運転」体験希望者』の札?が立っていますが
      これは在来線シミュレータの部屋で、新幹線シミュレータの部屋は画面外、右手前側にあります。
    右:新幹線シミュレータの修了証。周りが黒くなっていてわかりにくいですが、これは体験終了後に
      運転台横のモニターに表示されたもので持っては帰れません。しかし、いい記念です。
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  • 2018年04月05日 (木) 実際には18/02/20〜22
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